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空想垂れ流し 続く世界 Cパート

続く世界 Cパート


 そうして、ヴァイス・グランセニックと高町なのははその夜を過ごした。
 別に何かあった訳でもない。彼にとっては暇つぶし以上の何者でもない。
 ただ上司が酔い潰れていたから、介抱して、そのついでに飲み足りなかったから飲んだだけ。
 その日、彼は高町なのはと共にタクシーに乗って彼女の部屋まで送り届けそのまま帰宅した。
 これと言って、何も無かった。
 高町なのはに部屋に招かれはしたのだ。だが、彼はその誘いに乗ることなく、すぐに帰宅した。
 明日も仕事があるから、と。
 連絡先は聞いていない。聞く気も無いし、そういう気分ではなかった。

 ――ヴァイス・グランセニックとは堅い男である。
 言動や態度で勘違いされがちだが、彼の貞操観念は非常に堅い。厳格な両親に育てられたこと
に加え、田舎というそういったモノが崩れ難い場所で育ったせいか、そういう“美味しい事態”
を忌避する傾向がある。
 合コンなどをあまり好まないのもそういった部分があるから。
 そんな彼が、酔い潰れた高町なのはに対して自分の部屋に連れて行くとかどこぞのホテルに
連れて行くなどとする筈が――否、出来る訳が無い。彼は、据え膳食わぬは男の恥、ではなく、
据え膳食わぬが男の誇り、という風に捉えているのだから。

 そして、もう一つ理由があった。むしろ、こちらの理由の方が大きいのかもしれないが。
 彼は面倒な女性が苦手だった。無論、軽い女が好きな訳では無いが――だからと言って重い女が
好きな訳でもない。
 至って普通の女性が好きなのである。少なくとも、エースオブエースとか管理局最強とか下手な
アイドルよりもアイドルじみているような上司など、彼の女性の好みからすると完全にアウトである。
 その上、規律正しく、周りを導く優等生肌な性格と、才能と経験に裏打ちされた実績。
 面倒かどうかなど考えるまでもなく面倒だった。
 だから、彼が高町なのはに手を出すことなどあり得ない――彼自身そう思っていたし、女性として
興味も無かった。
 大体、彼女とは同じ部隊ということで、それなりに付き合いは長いが――それだけだ。
 長く付き合いがあるせいで、顔と名前は一致するし性格もある程度は把握している、ただそれだけ。
 プライベートで一緒に遊んだりするようなことは一度も無い――というか、ある訳が無い。誘おうと
言う気も無い。
 それが―――

「…それでね、ヴァイス君、聞いてる?」
「ええ、まあ、はい。」
「はやてちゃんとか酷いんだよ?私のホットケーキ勝手に食べておいて、焼き方が上手くないとか
文句ばっかりで……げふっ、聞いてるの、ヴァイス君!?」

 げっぷを吐き、中ジョッキに注がれたビールをグイグイと飲み下しながら、延々としゃべり続ける
女性――高町なのは。
 あれから週に一度のペースで彼女――高町なのはと自分――ヴァイス・グランセニックは飲み会を
している。
 毎週の金曜日。待ち合わせをして、居酒屋で飲んで帰る。その繰り返し。

(……何がどうなってんだろな)

 そう、思うこともしばしばあった。
 飲み会は嫌いではない。どちらかと言うと好きな方だ――友達連中と馬鹿な話をしながら、飲むことは
ヴァイス・グランセニックでなくとも楽しいものだから。酒自体が嫌いではないのも関係しているのだろう。

「聞いてるの、ヴァイス君!?」
「いや、聞いてます、聞いてますって!!」
「……そうやってさっきから相槌ばっかりで、私の話しなんて一つも……」
「いや、聞いてますよ!?ちゃんと聞いてますって!!フェイトさんが、エリオとキャロにチェリーパイ
作ろうとして、オーブン爆発させたって話ですよね!?」
「……なんだ……ちゃんと聞いてたの?」
「だから聞いてますって。」

 こちらの返答に暫しの間、黙考すると手元にあるコップを煽るようにして飲み込んでいく。
 中身は褐色の液体――確かジャックダニエルとか言う酒だった。
 ちなみにマトモに飲めていない。ちょびちょびと舐めるように飲みながら、時折今のようにぐいっと
煽っては、テーブルに頭をごつんと打って目を覚ましている。
 ごつん。テーブルに額がぶつかった。少しだけ涙ぐんでこちらを見るなのは――無論ヴァイスはビールを
飲みながら携帯を弄って見てない振りをする。

 ―――これが今日だけならともかく毎週見せられているのだから、ヴァイスもかなり慣れてきている。
 当初こそ、いちいち反応して慌てていたが現在では無視するのが一番なのだと理解している。
 慌てると大丈夫だ大丈夫だと騒ぎながら余計に機嫌が悪くなる。
 ヴァイス・グランセニックにとっての鬼門中の鬼門。凄まじく面倒な女性だった。

「……お母さんは、お母さんで、私の生活態度に文句ばっかりだし……私だって……」

 愚痴が始まる――まるで、良い子の仮面を被っていた少女が仮面を脱ぎ捨てるようにして、溜めこまれて
いた愚痴が吐き出されていく。
 延々となのはの愚痴が続く。飲み会は大体時間にしておよそ3時間――なのはが酔い潰れて眠るまでの時間だ。
 その間、ヴァイスは延々となのはの愚痴の聞き役に徹する。
 普通なら、延々と愚痴を聞かされようものなら途中で頭に来て帰るものだが、ヴァイス・グランセニックは
割と律儀な男だった。
 簡単に言えば、ノーと言えない日本人に近い。頼まれると断れない。誘われると拒否し切れない。
 曰く――肉食に見えるけど実は草食系。それがヴァイス・グランセニックの自分自身による評価だった。

(奢るって言い出したの俺だけどさ、何で毎週奢ることになってんだか。)

 続く愚痴に耳を傾けながら心中で自分も同じく愚痴る。
 ヴァイス・グランセニックの給料はそれなりに高い。
 時空管理局と言う潰れるはずのない職業――いわゆる公務員である――に勤めているのだから、その給料は
それなりだ。

 だが、世の中の男性と同じようにヴァイスもまた浪費は激しい。
 オートバイや駐車料金、ラジカセが壊れたので買ったばかりのミニコンポ、ノートパソコン。そして、服。
 古来より女は金がかかると言われるが、男も大して変わらない。
 パチンコやスロット、競馬にハマらないだけ、まだマシなのかもしれないが。

「……それで……それでね、ヴィヴィオ、が……」

 続いていた愚痴は途中から養女の自慢話に変化し――いつも、ここで彼女の口は閉じる。
 ヴィヴィオ。
 その言葉を放った瞬間、彼女の瞳はそれまでの輝きが消えて、淀んだ眼に切り替わる。光など何も無い、彼女に
似つかわしくない汚泥の瞳に。
 時計を見る――11時。そろそろ、時間だ。そう思って彼女に声をかける。

「なのはさん、そろそろ帰りましょうか?」
「……ん。」

 首を横に振るなのは。酔っ払い特有の帰りたくないと言う動作。
 けれど、それをする時点で酔っ払っている訳で――ヴァイスは、彼女の右手を取って、呟く。

「帰りましょうよ。明日も仕事ですし。」

 そう言うと、こんな酔っ払った状態でも生真面目な彼女は苦々しげな表情を浮かべて、数秒間沈黙し、

「……うん。」

 頷いた。仕事、と言うキーワードに反応したのだろう。
 それは元・上司であることの矜持によるものか、それとも“それ以外”の感情によるものなのか。
 多分、前者だ。当然のように分かりきった事実。
 なのに――その表情を見るたびに少しだけ胸が苦しいのは何故だろうか。
 勘定を済ませ店員にタクシーを頼むこと数分。思っていたよりもはるかに早くタクシーが来た。
 彼女を先に乗せ、彼が隣に座る――そうして、彼女を送り届けて、彼は歩いて駅まで向かい、徒歩で帰る。
それがこの飲み会の終わり方。

 タクシーの車窓から見えるクラナガンの光景を眺める。ネオンで輝く世界。あの襲撃によって壊されなかった場所。
 毎回、意識を失くすくらいに飲んで酔い潰れるので、彼女がタクシー代を払ったことは一度も無い。
 大体、いつもヴァイスが払っている。正直、出費の方はかなり大きいが――奢ると言った手前、それを途中で
反故にするのも嫌だった。

 それに、実を言うとそれほど、この飲み会は嫌でもなかった。
 高町なのは、とは、管理局員にとって、高嶺の花だ。
 決して届かないと言う象徴。
 空を飛び桜色の砲撃魔法を打ち放ち、悪を倒して正義を唄う英雄――或いは正義の味方。 
 誰が見ても分かるほどの分かり易い英雄。
 その手で世界すら救えてしまう女性。
 世界と言う重さを壊す破壊者。

 高嶺の花と言う名前ですら、彼女の前では霞んでしまう。
 そんな彼女も一人の人間だとこの数週間で知った。
 当たり前のように笑って、当たり前のようにいじけて、当たり前のように酔い潰れて――そんな当たり前を見られた。
 勿論、機動六課で同僚をしていた以上は他の人間よりも彼女に近かったのは間違いない。

 けれど、そこではそんな風な“当たり前”は見られなかった。
 飲み会などをしたことは無い――と言うよりも女性だらけの飲み会に参加したくは無い。
 確かに彼はおっぱい星人だがそれとこれとは話しが別だった。
 女性だらけの飲み会にポツンと男性が一人いる。よくこれをハーレムだ、両手に花だなどと揶揄する人間もいるが
実際はそんなに良い物ではない。気まずい。かなり気まずいのだ。
 あの女性同士の話題に男性が入って行く瞬間の気まずさと言ったらかなりのものがある。

 元よりそういったことは無かったが―――前述した理由から、あっても恐らく参加はしなかっただろう。
 だから、彼は――と言うか恐らく近しい人間以外は知らないのだろう。高町なのはが同じ人間なのだと言うことを。
 たとえ英雄でも正義の味方でも、その正体はただの人間――そんな事実、こんな風に一緒に飲まなければ
知り得なかったことだ。
 馬鹿だと言われるかもしれないが――それはそれで悪くない気分だった。
 財布が常の何倍の速さで軽くなっているのは間違いないが。

(……ま、悪いことばっかじゃねえさ。)

 肩に暖かな感触。横を見れば、寝息を立てる彼女が自分に寄りかかってきている。
 無防備この上無い、隙だらけの姿。
 それを――ほんの少しだけ、可愛いと思った。

「馬鹿だね、俺も。」

 呟いて、そのままにしておいた。
 こうやって、お目当てでも無い女の愚痴を聞くのも悪くない――そんな馬鹿な自分に苦笑した。
 それが、これから壊れるとも知らずに。


 ――今日は、一人で寝たくないの。
 薄いワイシャツだけを羽織った彼女。ベッドに座ってこちらを見ていた。見につけているものは
その白いワイシャツと桃色の下着だけ。
 いつもは横合いで縛っている髪を解き、流れるままにしている――背中の中腹にまで伸びるその髪は
月光に照らされて美しく輝いている。

 瞳は怯えた子犬のように自分を見て、愚かにも身体は僅かに震えている。
 口の中が乾いていた。
 心臓が激しく鳴り出して煩い。
 それが緊張によるものか、それとも本来なら絶対に手に入らないモノを“汚す”権利を偶然にも
手に入れた興奮なのか―――分からない。
 彼女の瞳はまっすぐに自分を見ていた。
 その瞳に魅入られたのか、目が離せなかった。妖しさすら放ち――常の彼女には決して無いであろう、
淫魔の如く綺麗や可愛いなどを超越した、魔に染まった美しさ。
 そして、自分は――

 ――此処に来るまでの軌跡を思い出す。別に、いつも通りのことだった。
 彼女を部屋まで送り届け、そして、彼女に――手を、引かれて。
 その眼に魅入られたように、そのまま寝室に連れられて。
 彼女はただ自分の手を引いて、そして、少しだけ待っててと言って、自分を置き去りにして――そして、
ワイシャツと桃色の下着だけに着替えてきた。
 どくん、と胸が高鳴った。
 誘蛾灯に誘われる蛾のようにして、足が勝手にそちらに近づこうとする/踏み込むべきではないと
自分のどこかが告げる。

 口内はカラカラに渇いている。心臓の鼓動がどくんどくんと鳴るたびに、耳にまでその振動が届いて鼓膜が
破裂しそうに震える。耳だけではない。全身全てが心臓になったかと思うような――土砂降りのような鼓動の音。
 毀れる吐息。彼女の瞳がこちらを見た。
 それに、僅かに身体を身じろぎさせて後ずさる。
 月明かりだけが部屋を照らす。ベッドに座る彼女はただただ綺麗で、綺麗で、綺麗で――

「……お願い、ヴァイス君。」

 そうして、今に至る。
 落ち着かせる為に息を吐けば逆に吸い込むと言う愚行さえ犯す始末。

(落ち着け。いいか、落ち着け。)

 その言葉を吐く時点で落ち着いてなどいない。困惑する思考と混濁する視界。室内は薄暗く、月明かりのみが部屋を照らす。
 いつの間にか、時刻は深夜0時を過ぎて丑三つ時まであと少し。

「……ど、どうしちまったんですか?」

 それだけを零す。意味が分からない。どうして、何故、何で。意味の無い問いが脳裏で渦巻いていく。
 意味が分からないからだ。理解出来ないからだ。
 どうして、自分をここに誘ったのか。
 そう、どうして、自分なのか、だ。
 場にそぐわない感触。自分がここにいるのは“おかしい”と言う曖昧な確信。
 彼女が瞳をこちらに向けた。
 その瞳を濡らすのは期待とわずかばかりの欲情――いや、違う。そんな“正しい”感情ではないモノ。
 もっと、どす黒い何か。

「……ヴァイス君。」

 彼女が自分に近づく。
 ワイシャツの隙間から見える胸の谷間――思っていたよりもあるのかもしれない。
 思わずごくり、と喉を鳴らしつつ――我に返って、後ずさる。

「…じょ、冗談は」
「……冗談なんかじゃ、ないの。」

 手首を掴まれ、引っ張られる――彼女の顔が自分の胸の辺りにぶつかる。

「な、なのはさん……?」

 その二つの手が自分の背中に回される。瞳は見えない。
 鼻腔をくすぐる香り――彼女の髪の匂い。柔らかな身体の感触を感じる。回された腕に力が篭って抱き締められる。

「……もう、一人で寝るのは嫌なの。」

 一人、と言う言葉を聞いてようやく気が付く。

(……ヴィヴィオ、ちゃんがいない?)

 時刻は既に丑三つ時――深夜一時。
 大抵の子供は既に寝ているだろうし、この生真面目な上司であれば、この時間には既に寝かしつけていることだろう。
 なのに、いない。子供がいないのだ。
 ベッドには誰もいない。顔を動かし、部屋を見る。寝室から全てが見える訳ではないが――まず、気配が無い。
 寝ているのならば寝息の一つでもありそうなものなのに、何も聞こえない。
 聞こえてくるのは、彼女と自分の息だけで――
 辺りを見回す自分に気づいたのか、彼女が呟く。

「ヴィヴィオは……いないよ。」
「え?」

 彼女が顔を胸に押し付け、表情を隠す。どんな顔をしているのか。嗤っているのか泣いているのか、
今の態勢では何も見えない。

「ヴィヴィオは、もういない―――世界を救うんだって、行っちゃった。」

 言葉は流麗にすらすらと流れていく。予めこんな言葉を準備していたような錯覚すら覚えるほどに滑らかに
彼女は語る。

「…どういうことっすか。」

 少しだけ声が上ずっているのが分かる。

「わからないよ。私も……何にも分からないの。」

 彼女の手が自分の服を掴む。胸元が何かで濡れていく――多分、涙。それに気付いて起こそうとすると彼女の両手の
自分の服を掴む力がそれを拒否するように強くなる。

「フェイトちゃんは死んで、はやてちゃんも死んで……・ヴィヴィオも生贄になるってどこかに行って……ユーノ君や
クロノ君は、ヴィヴィオを連れて行っちゃって。」

 低い声でそう告げる。変わらず顔は見えない。掴む手の力も抜けていない――否、言葉を吐き出すごとに強くなる。

「……もう、誰もいないの。」

 呟きと共に涙がこぼれて、シャツを濡らす。彼女が隠していた気持ちが溢れていく。吐息が胸にかかり、彼女の
体温が伝わってくる。
 かける言葉は無い。室内に満ちるのは痛いような沈黙。どちらも口を開かない――どうするべきなのか分からない。
 慰めればそれで良い。別に小難しいことなど何も無い。
 手を彼女の背中に回して抱き締める。それだけで良い―――はずなのに。
 彼女の顔が、重なる。
 あの日――妹を誤射した日。その日から僅かの間、一人の女性に溺れたヴァイス・グランセニックに。

 ―――キミはそういうことが出来ないもんね。

 いつかの女の言葉が蘇る。

 ―――妹さんに会いに行かないの?

 現在と過去が重なる。眼の前で泣いている彼女が、泣いているいつかの女に重なる。

 ―――それじゃ、さよなら。

 もう、思い出の中にしかいない“女”。今はどこにいるのかも分からない“女”。自分が大切にしたかった“女”。
 面倒な女は苦手だった。自分に何かを求めてくる女は苦手だった。そう、こんな風に――誰でも良いから縋りつこうと
する女は苦手だった。昔の自分の鏡写しを見ているようで。
 胸の奥にある傷跡が疼く。
 重なるはずの無い肖像。目前の女性とは似ても似つかない女性との思い出。目前の彼女と重なるのは自分の姿。そして
立ち尽くす自分に重なるのはいつかの“誰か”。
 手を伸ばそうとして、戻す。繰り返すこと三回。繰り返すごとに震えが酷くなる。脅えと罪悪感で。
 高町なのはを抱き締める。ただそれだけが出来ない。

 彼女がどう思っているにせよ、抱き締めれば、ただ抱き締めるだけで終わる筈も無い――それが、どうしようも無い
ほどに嫌だった。そんな抱き方は嫌だった。好きでも無い女を慰める為だけに抱くのは嫌だった。
 胸の傷跡が疼く。思い出の中の誰かの肢体が蘇る。
 慰め合った記憶。妹を守れなかった罪悪感の発散。無力感に苛まれ逃げ出した後悔。
 思い出す幾つもの記憶――何故それらを思い出しているのだろうか。
 胸が痛い。抱き締められるだけで冷汗が流れ出て止まらなくなる。
 自己嫌悪が全身を這いまわる。毛虫のように這いまわる。蛇のように絡み付く。

「……今だけでいいの。私と一緒に――」

 過去と現実が交錯する。記憶の中の自分と交錯する。彼女と自分が重なり合う。
 生理的な嫌悪感。吐き気を催す自己嫌悪――同族嫌悪の極みだ。

「……すいません、俺、帰ります。」

 そう言って、彼女の言葉を遮って、その身体を押し退ける。

「……ヴァ、イス、君?」

 間抜けな返答。何を言われているのかすら理解できていない呆けた顔。
 まさか――断られるとは思わなかったのだろう。彼女はいつも人の輪の中心にいたから、そんな発想は生まれて
こないのかもしれない。

「……なん、で?」
 ようやく見れた顔は泣いていたせいか、瞼は赤く腫れ上がって眼は充血して、頬は涙で濡れていた。本当にあの時の
自分と――今もさして変わらない自分と同じ顔。その顔に無言で背を向けた。
 縋りつくような声音。その声を聞くたびに胸が締め付けられるように痛い。
 血を流す妹の顔が思い浮かび、その後に溺れた誰かの顔が思い浮かび、そして最後に浮かんだのは――そんな誰かを
裏切った自分の顔。
 見ているだけで苦々しさに包まれて死にたくなる、そんな顔。

「俺は、あんたとそんな関係になりたくて、飲んでた訳じゃないんです。」

 冷たい声。先程までのように暴れ狂う胸の鼓動は最早無い。心の内が平面になっていく。白濁化して何も見えなかった
意識が鮮明に常の光景を取り戻す。
 波打たない平面の心。抉られた傷跡を忘れる為に心が身体を制御する。

「楽しかったから飲んだだけです。だから……困るんですよ、そういうの。」

 口調は出来るだけ平坦に。顔は出来るだけ朗らかに。

「一緒に……いてくれないの?」

 こちらを見上げる彼女の視線は普段ならばありえない儚さすら感じられて――それがどこまでも、昔の自分と重なり合って、
胸が疼いて居た堪れなくなる。

「あ、あはは、俺そういうの苦手なんで。」
「……そっか。」

 彼女が俯いて、こちらから意識を逸らした。二の句を告げる前にその場から足早に歩いて、玄関へ。

「いく、の?」

 縋るような声/聞きたくない――誤魔化すように笑いながらその場を離れる。
 玄関に到着する。ドアノブに手をかけ、回して引く。

「それじゃ、俺、行きます。」
「……ま、待ってよ、ヴァイ……」

 彼女が言い終える前に扉を閉めた。扉の前で深呼吸を一つしながら、呟く。

「……なのはさん、悪い。俺やっぱりアンタ無理だわ。」

 一瞬眼を閉じて、気を取り直して全力疾走。目指すは階段。エレベーターで下りるなど面倒なことはしていられない。
 階段に近づくと、階段を二段飛ばしで降りていく。その最中呟いた。

「……嫌な事、思い出しちまったじゃねえか。」

 口調が変わる。上司への口調ではなく、地の口調へと。
 彼女の縋り付くような声が耳障りで仕方が無い。胸の奥から湧き上がる真っ黒な情動。
 階段を降り切って、出口に急ぐ。焦燥感があった。一刻も早くこの場から出ていきたいと言う焦燥が。
 マンションの出口の扉に手を掛ける。視界の隅に郵便受けが見えて、そちらを何の気なしに振り向いた。
 見えたモノは、“高町”と書かれた郵便受け。

「……っ」

 舌打ちと共に扉を叩くようにして開けて走り抜けた。
 耳障りな言葉が反響する。反響する度に思い出したくも無いモノを思い出して、沈黙だけを求めて走り抜ける。
 ―――そうして、自分はその場を去った。その数日後に陸士108部隊へ配属されることが決まったと連絡があった。
 彼女――高町なのはに連絡をしようと電話を手に取った。けれど、いざ連絡をしようとするとどうしても、“別にそこまで
する必要があるのか”という思いが浮かび上がった。
 彼女と自分はただの元上司と元部下。

 何の因果か、飲み友達のような関係になったが、それだけだ。それ以上でもそれ以下でも無い。
 そこから先は無い。望んでいないし、求めていない。
 結局、連絡は取らず、自分はクラナガンを出て行った。彼女からの連絡はあったが、もうクラナガンにいないことを告げると
寂しそうに「そう」とだけ呟いて電話は切れた。
 胸が少しだけ苦しかった。

 それから、連絡は無い。こちらから連絡を取ることも無い。
 ――部署が変われば、環境も変わる。そこに慣れるだけで結構な時間は必要となる。仕事に溺れることで嫌なことは忘れていった。
 けれど、昔の自分と重なる彼女の泣き顔と寂しそうな声が脳裏から離れない。
 そして、機動六課で共に過ごした仲間達との記憶も――その全てが自分を苛んでいるような気がして離れない。

 ――お前は、そのままでいいのかと。流されて行くだけでいいのか、と。

 眼が醒めた。カーテンで閉められていない窓から差し込む月明かりのせいか、部屋全体が明るい。時計を見れば時刻は1時。
結構な時間を寝ていたようだ。
 寝ていた場所は自室のベッド。かけられていたシーツをどかし、身体を起こす――途端、頭痛が走り抜けた。

「……あったま、いてえ。」

 ぼそりと呟きなが身を起こす。コメカミの辺りがズキズキと痛み、胸の中心が熱い――胸焼けだ。テーブルの上に所狭しに置か
れていた幾つもの料理は既に全て片付けられており、自分の上にはしっかりとシーツがかけられている。
 恐らくシンやあのナンバーズ――ドゥーエが片付けたのだろう。
 頭痛に顔をしかめながらどういう状況かを思い出す。意識を失っていたのは、シンの酒を一気飲みしたせいだろう。そこから先の
記憶がまるでない。
 当然と言えば当然か。舐めるようにして飲むべきウイスキーをコップ一杯分ほど一気飲みしたのだから。
 思い出すと余計に吐き気がこみ上げてきた。

「…・・・吐いてくるか。」

 シーツをどけてベッドから足を下ろして立ち上がる。立ち上がった瞬間、吐きそうになった――それを堪えてそのままトイレに
直行する。
 扉を開けた瞬間、冷え切った廊下の空気が室内に入り込む。
 暖房で暖められていた室内に慣れ過ぎて、冷気が身体に染みて一気に眼が醒める。
 醒めた意識に引っ張られて同時に吐き気も酷くなる。

「……うっぷ。」

 吐き気を堪えながら歩く。途中、廊下に全てぶちまけてやろうかとも思ったが、醒めた意識が後のことを考えさせて
思い留まらせた。
 数分の歩行。それだけで酷く辛かったが、吐き出してからは楽だった。
 水面に浮かぶ吐瀉物を眺めながら、荒く息を吐いて、トイレのレバーを動かし、流す。
 トイレットペーパーを千切り取って、口元を拭い、トイレに落とす。
 レバーを動かそうとして、もう一度吐き気がこみ上げてくる。

「……ぁっ…!!」

 うめき声を上げながらトイレに口元を向けて肉体の思うままに吐き出させる。食道を通って流れ出てくる酸っぱい匂いのする吐瀉物。
中身は酒とツマミと酒とツマミ――胃の中から全てが出ていく。ベッドで吐かなかっただけマシだった。後の処理のことを考えると
起きたことは実に良かった。
 ひとしきり吐くと、胸がすっきりして、全身にどっと疲れが押し寄せる。

 トイレットペーパーを引き回し、千切って口元を拭う。それをトイレに放り入れて、レバーを回す。
 ざー、と水が流れる音だけが室内に響く。
 手洗い場で手を荒い、口をすすいで吐き出す。ついでに顔も洗う。冷気で冷された水道水が酔った火照りを更に覚まし、
少しだけ気分が改善された。

「……寝るか。」

 ぼそりと呟き、ふらふらと廊下を歩き、部屋を目指す。
 深夜の隊舎は静かだった。既に季節は2月――エルセアは雪は降らないが、それでも寒い。
 吐く息は白く、ぶるっと身体が震えてくる。吐き気で誤魔化されていたが、気温は恐らく5℃以下は確実だ。

「なんか着てくりゃ良かったな。」

 両腕を交差させて身体を抱き締めるように抑え擦る。少しでも暖かくなるように――僅かに暖かくなる。
 ふと、屋上へと続く階段、その先にある扉が開いているのが見えた。月明かりが差し込んでいる。

「……道理で寒い訳だ。」

 入り込んでくる風の冷たさに顔をしかめながら、階段に近付き登って行く。
 開いた扉と扉の隙間から差し込む月明かり――酔いを覚ますには良いかと思い、少しだけその扉を動かした。

「さっむ……と、おお、やっぱ晴れてるのか。」

 扉を開けて屋上に入り込む。空は晴れて冬特有の柔らかい輝きを放つ月が鎮座している。星は月の光に隠れてその姿を隠してしまい、何も見えない。

『動作がずれて来ているぞ、シン。……来客だ。一旦休憩するぞ。』

 声がした。慌てて振り向き、その方向――ヴァイスがいる場所と逆側――入口から離れた奥まった場所から聞こえる声。
 そちらに歩いて行くと、そこに大剣――恐らくはデバイス――を構え、全身を汗で濡らしたシン・アスカがいた。

「……シン、お前、何やってんだ。」

 声に気付いてシンがこちらに振り返った。
 顔は汗まみれで全身からは湯気が上がり、荒く息を吐き、腰を落とす。
 大剣を持つ手は震え、握り締めることなど出来そうにも無い。肩で息をしながら、俯いて、深呼吸を繰り返す。
 膝は既に笑っており、座っていることすら億劫なのか、そのまま屋上に背中を預けて寝そべった。

「は、あ……」

 喋ろうとして喋ることすらままならないでいる。見て分かるほどの疲労困憊。
 それなりに体力には自信があるはずのシンがここまで疲労するとなればどれほどの訓練を繰り返していたのだろうか。

「…お前、まさか俺が寝てからずっとやってたのか?」
「は、はは、日課、ですから。」

 息も絶え絶えにそれだけを呟いた。シンはそのまま瞳を閉じて、呼吸を整えることに集中する。
 ごくり、と唾を飲み込んだ。

(…訓練馬鹿だとは知ってたが。)

 時間は深夜。自分が寝てからずっと続けているのだとすれば、少なくとも4時間以上は確実に訓練していると言うことになる。
 それだけの時間の訓練ならば通常だが――通常の訓練でここまでの疲労は起きない。
 無論、楽な訓練をしても意味が無いが、立ち上がることも出来ないほどの訓練は単なるオーバーワークでしかない。身体を壊すだけだ。

「…日課なのか。」
「約、束…なんですよ。ギンガ、さんから、これだけは……繰り返せって。」

 傍らに置かれているスポーツドリンクが入ったプラスチック製の瓶に口をつける。
 飲みほしている最中も変わらず手は震えている。脱水症状とまではいかないだろうがその一歩手前だ。

「これだけはって……そんなに汗だくになるまで何やってたんだ。」
『基礎訓練だよ、ヴァイス・グランセニック。』
「…基礎、だと?」
『素振りと魔力の収束と変換と解放。それだけを延々と繰り返しただけだ。』
「繰り、返し…続けて、ないと…直ぐに忘れそうで。」

 そう、笑いながら右手を広げ、朱い魔力の輝きが明滅させるシン。
 魔力の収束と変換と解放――いわゆる魔法の基礎の基礎。誰でも一度は通る道だ。
 魔法とは、簡単に言えば、魔力素によって現象――あるいは何らかの作用を起こす技術である。
 起きる作用は、“変化”、“移動”、“幻惑”に大別され、シンが今やっている収束と変換と解放はこの内の“変化”と“移動”の二つの基礎に該当する。それも基礎中の基礎であり、ある程度のレベルに達すれば誰もがやらなくなる反復作業。

「……お前なら基礎なんてもう十分だろうに。」

 漏れる言葉は本音だった。シンの実力は十分に知っている。
 それこそ、自分など歯牙にも欠けない圧倒的な戦闘能力。
 あの巨人と渡り合うほどの化け物じみた――むしろ化け物といった方がいいような圧倒的な力。
 そんな男が今更基礎を繰り返すと言う部分がどうしても腑に落ちない。
 そんな自分にシンが呟いた。

「俺が、デバイス無しで……出来る、ことって、これ以外、ない……ですから。」

 だから愚直に努力する。反復する。何時間もかけて同じことを飽きることなく、何度も何度も繰り返す。
 デバイスが無い状態――普通、その状態に至れば負けは確定だ。
 デバイスがあるのと無いのでは能力にあまりにもはっきりとした差が出るのだから。

 例えば速度。同じ魔法を撃つにしろデバイスの有無によっては構築から発動までに十秒単位で差が出る。

 例えば威力。同じ魔法を撃ったとしてもデバイスの有無で増幅率は大きく変化する。それこそ火と炎と言った程度には。

 例えば戦術の幅の広さ。同じ魔力量で撃てる魔法の幅が圧倒的に広がる。少なくとも瞬間的に引き出せる魔法の数に10種類以上の差が
生まれるのは間違いない。

 デバイスが無いと言うことはそれだけで不利となる。中にはデバイスを用いないで魔法を使う者もいるが――大多数がデバイスを用いるこの時代に、それは、“例外中の例外”だ。

 普通はデバイスを奪わせないことを考えて訓練をする。前述した理由により、奪われた時点で敗北は必至なのだから。
 だが―――この男は、奪われることを前提に訓練を繰り返している。不思議と言えば、それが不思議だった。
 どうして、そこまでするのか、と。
 屋上の床に腰を落とし、座り込む。ひんやりとした床の感触に一瞬身が強張るも気にせずにそのまま座り続ける。
 不思議そうにこちらを見つめる朱い瞳に目を合わせ、口を開いた。

「そこまでするのも――あの二人取り戻したいから、なのか?」
「…まあ、そりゃ、そうですね。」

 シンが仰向けに寝そべる。空に見える月は今も柔らかく輝く。
 その輝きを見ながらシン・アスカの脳裏に浮かび上がる二人の女性――ギンガ・ナカジマとフェイト・T・ハラオウン。シン・アスカが返事を返したい二人の女。

「告白されて、それで返事出来ないまま、二人は消えて――だから、言いたいんですよ、好きだって。」

 それは昼間、ドゥーエが言っていたように二股をしたい、ということだ。
 二股――誠実とはかけ離れた行為であり、それ以上に最低という言葉が似合う行為でもある。
 シン自身、自覚はあるのだ。最低なことだという自覚は。
 けれど――それで止まれるなら、ここにはいない、と思う。
 最低だと言われて、もしかしたら二人からも拒絶されて、何もかも失って、無意味なことになる可能性だってあり得る。

 むしろ、その可能性は高い――というか二股など生まれてから一度も彼はしたことは無いし、しようとも思わなかったから、可能性が高いのか低いのかどうかすら分からない。
 大体シン・アスカの恋愛経験などはルナマリア・ホークに溺れたことくらいで、まともな恋愛など一度もしたことが無いと言っていい。
 だから、そんな彼に分かるのは自分の心にあるその気持ちが、普通の恋愛からは著しく乖離したモノだと言う実感だけ。
 けれど――その思考を遮るようにしてヴァイスが口を開いた。

「それは――あの二人の両方が好きだってことなのか?」

 シンは至極当然のようにして、その質問に答える。

「……そうですね。」

 返答が僅かに遅れた。シンの表情が一瞬歪んだ。それは、後ろめたさからによるものか。
 ヴァイスの表情が自然と歪んでいく――というか、歪まざるを得ない。
 ヴァイス・グランセニックは、常識的な人間だ。当たり前の常識――普通の幸せを望む人間。顔が歪むのは理解出来ないからだ。
 二人の女を同時に好きになって、どちらをも選ぶなど正気の沙汰ではないのだから。

「大きなお世話かも知れないが……俺は、お前がどうして、そんなことを考えたのか理解出来ないんだ。普通はどっちかを選んで、どっちかを断る。そういうもんだろ?」

 それは本心からというよりも世間一般の考え方であるが、真実である。
 過去、それも数百年前ならば、いざ知らず、この現代において二人の女性を同時に好きになって、どちらも選ぶなどということが許されるはずが無い。倫理的にも、常識的にも、世間体的にもだ。

「それに相手の都合ってのもある。お前がそう思ってたって、あの二人はそう思わないってこともある――というか普通はそうなるだろうな。」

 シン・アスカが空を見る。その朱い瞳に映るのは柔らかな輝きを発する白い月。静かにただ月を見つめながら、黙りこむ。言い返そうと言う雰囲気は無い。ただ静かに空を眺めて黙している。

「……そうですね。」

 彼の肯定の呟きは静かに空気に融け込んでいく。
 その呟きを聞いてヴァイスは自分自身に悪態を吐きたくなる。
 これはお節介だ。それも大きなお世話に該当するお節介。あまりにも自分の柄ではない。
 常ならば、聞くことなどない。他人の色恋沙汰に首を突っ込むなど厄介事を自ら背負い込むのと同じだから。
 それでも言葉を発した理由は二つ。
 眼前の男が二股をする為に故郷も過去も振り切って、此処に来たと言う、昼間に聞いた事実が信じられなかったから。それが理由の一つ。

 ヴァイス・グランセニックにとってシン・アスカとはそれほど付き合いの深い人間ではないが、それでもそんなことをする人間には思えなかったのだ――故郷も過去も振り切っての部分ではなく、二股という部分が。
 二人の女性から言い寄られ、羨ましい、もしくは大変そうだ、とは思っていたが、そのどちらをも選ぶような人間には思えなかった――むしろ、そのどちらも選ばずに孤独に生きる方が似合う人間だと思っていたから。

 そしてもう一つの理由は――最低なことに、八つ当たりだ。
 高町なのは。彼女のことを考えるとため息ばかりが吐き出される。あの時、どうするべきだったのか、と。
 彼女は養女を連れていかれたと嘆いていて、それを行ったのは彼女の仲間だと言う。連れていかれた理由は世界を救う為。
 あそこから逃げ出した理由はそれとは違う、ただ彼女が昔の自分と同じことを呟いていたことに嫌悪感を感じたから。
 だが――その中に劣等感が無かった訳でも無い。

 世界を救う、などという大それた理由の前で人は無力に諦め、その理由を肯定する。年齢を重ねれば重ねた分だけその傾向は顕著だ。
 成長するごとに限界を知って諦めて流されることを人は覚えていく――今の自分のように。先天的資質に大きく依存する魔導師という職業においてはそれはよりはっきりと表れる。
 高町なのははエースオブエースと言われるように、世界を救ってしまいかねないほどの力を持っている。
 個人の力だけで――無論他者からの協力もあるだろうが――彼女は世界を変えられるのだ。
 彼女がいる世界は、そんな世界だ。そんな世界にいる彼女の悩みは自分にとっては、どうしようもない事柄となる。
 世界を救うという理由を突き付けられて、それでも彼女の娘――義理ではあるが――を助けに行くと言う言葉は出せない。
 それが真実であろうと虚偽であろうと関係ない。

 自分が生きている世界と親しくも無い少女を天秤に賭けて、後者を選ぶ人間などいる訳が無い。在り得ないとさえ思える。
 口を開いて、紡がれていく言葉が一般論という名の刃を吐き出していくのがその証拠だ。
 その胸のモヤモヤ――何のことは無い。単なる劣等感と悔恨。それを一般論という名の刃に乗せて叩きつけているだけに過ぎない。

 言葉は紡がれる。刃となって。話すごとに自分の胸の奥に、澱の様なモノが溜まっていくことを感じる。常識によって非常識を叩き潰していくことへの満足感――酷く下卑た満足感だった。

「……お節介ついでに言っとくが、どちらか選んだ方がお互いに傷も少ないと思うぜ? 二兎を追う者は一兎をも得ずって言うしな。 少なくとも――俺には世の中がそんな都合良く回るとは思えない。」

 そう、したり顔で言いきってから、僅かばかりの満足感を感じ取って――胸に後悔と罪悪感が満ちていく。
 黙りこんだシンの横顔を見て余計にその想いが募っていく。

(……言いすぎたか。)

 胸中に満ちるのは、前述した後悔と罪悪感がないまぜになった苦々しさ。
 何があって、そんなことを考えたのかは知らないが、こうまで劇的に変化したと言うことはそれなりの経緯があり、そしてその経緯を知る者だけが文句を言っていい。
 それを知らない自分の言葉など大きなお世話以外の何物でも無い。
 それなら言い切る前に気づけと言いたいが、感情はそこまで万能ではない。いつだって、後悔するのは何もかもが終わってからだ。
 そうして、謝ろうと口を開いた瞬間、シンが一瞬早く口を開いた。

「……これが、最低なことだって俺も分かってるんです。」

 言葉を遮ってシンが呟いた。

「シン?」

 自分の問いに答えずシンが話し続ける。

「俺はあの二人を好きになって、あの二人は俺を好きになってくれて―――だから、俺はあの二人と一緒にいたい。多分、それだけなんですよ。」
「それだけってのは……」
「二股だってことは知ってました。けど、俺が自分の気持ちに気づいた時には二人とも死んじゃってて……もう、届かないんだなあって思ったら、泣けてきて、気づいたらボロボロ泣いてました…本当に情けないですけど。」

 嗤いながら話し続けるシン。

「それから、あの二人が生きているってことを知って――その時、決めたんです。」
「…何を、決めたんだ?」
「二度と泣かせないって。」

 言葉に詰まる。その言葉は誰もが思うこと。思い人を二度と泣かせないと誓って、そして妥協して――それは自分とて例外ではない。

「あの二人は俺なんかのことを好きだって言ってくれた。最初はどうして俺なんかをって思って訳が分からなかったけど――本当は嬉しかった。二人に告白されて、俺は嬉しかった。だけど、」

 ぎりっと歯噛みする音が聞こえた。シンの瞳が鋭くなり、先ほど死人の数について聞いた時とは違う怒気が空間を侵食する。

「それに気づく前に、あの二人は殺されて――俺は勝手にぶっ壊れた。」

 ぶっ壊れた――ギンガとフェイトの二人が死んでからのシン・アスカはそれまでよりも更に陰鬱で、無愛想で、何よりも無機質な機械の
ような眼をしていたことを思い出す。

「……勝手に死んだって勘違いして、守れなかったってぶっ壊れて――ふざけたガキの論理ですよ。」

 吐き捨てるように呟く。朱い瞳は爛々と輝き、その憤怒を隠そうともしていない。

「だから、守りたいのか? その時の帳尻合わせをしたいから。」
「…そういう気持ちは、やっぱりあります。守れなかったあの二人をもう一回守りたい――そういう気持ちは今も消えてません。」
(こいつにとっちゃ、二股って意識は無い……単なる罪滅ぼしなの、か?)

 言葉から感じ取れる想いは、恋ではなく無償の奉仕。違和感がある。そんな人間があんな風に朗らかに笑えるモノだろうか。
 そう思い至った瞬間、空気を侵食するような怒気が掻き消えた。胸に感じていた圧迫感が消え去り、口調が元に戻る。

「ただ――」

 言葉が紡がれる。

「――今はそれ以上にあの二人の笑顔が見たいんです。」

 シンが立ち上がり、空の満月に向かって瞳を向けた。戦闘している訳でも無いのにバリアジャケットを形成していた――防寒具代わりにしていたのだろう。
 良く見ればデバイスも、バリアジャケットもそのデザインが変化している。
 デバイス・デスティニー。刀身の色は朱。柄の色は黒。片刃の大剣の姿をしたソレの柄の中心にそれまでは無かったモノがあった。

 ギンガ・ナカジマが左手につけていたモノを思いださせる回転式弾倉(シリンダー)。それが埋め込まれ、溶け合っている。

 バリアジャケットのデザインも、まるで違っている。朱いラインの入った黒いバリアジャケット。朱いラインの中心には金色のラインが走り抜ける。
 どこかフェイトを連想させる外套のようなバリアジャケット。デザインが彼女のバリアジャケットの外套に酷似しているからかもしれない――そう言えば、フェイト・T・ハラオウンが死に、シン・アスカのデバイスにその一部が組み込まれていたことを思い出す。

「泣いてたんですよ、あの二人。俺に好きだって言って、泣いてたんです。」

 静かに話は続く。口を挟もうとは思わない。ここはそういう場面ではない――そんな思いが浮かぶ。

「俺は、好きな人を――あの二人を泣かせてばっかりで笑わせようなんて一回も思ってなかった。だから、」

 右手を開いて、閉じて、握りしめる。

「――今度会ったら絶対にあの笑顔を守る。もう二度と泣かせない。」

 淡々と紡がれていく心情の吐露。ヴァイス・グランセニックの知るシン・アスカの本当の素顔――恋に狂った人間の心象風景。

「だから俺は―――」

 瞬間、シンの言葉を遮るようにして、世界が白く染まり、巨大な音が響いた。音は何かの爆発音――それも遠くから響き渡るような。

「こいつは……!?」

 ヴァイスが呟き、付近を見渡す――遠方、ここから凡そ数十kmほどの場所。
 咄嗟にストームレイダーを起動し、スコープを覗きこむ。
 夜闇に隠れて全体像は見えない。見えるモノはシルエット。暗闇の中にあって薄く輝くところどころさび付いた金色が混じり込んだ灰色の装甲。背部に見える翼のようなスラスターと、翼のような突起が突き出た肩の装甲。
 全長は少なくとも20mを超える――それはあの日、クラナガンに現れた、あの巨人と同質のモノ。
 紅い一つ眼が頭部の中心で左右に動く。左手の盾の先から伸びる銃口が火を吹いた。次いで右手に握る巨大な剣を振るう――郊外に建てられていたドーム型の建物が壊された。
 上がる煙と炎。サイレンが鳴り響く。陸士108部隊隊舎に響き渡る緊急警報。

「……あれは。」
『ZGMF-515 シグー。モビルスーツだ、シン。』

 デスティニーの冷静な呟き。シンが握り締める手に力を篭める。
 一瞬、瞳を閉じて、開く。開いた瞬間、それまで瞳にあった狂気は掻き消え、冷たい戦意だけを秘めた瞳がそこにあった。

「デスティニー、ここからあそこまで“跳べる”か?」
『昼間に使用したせいで、魔力量が不足している。バックアップにも魔力残量は少ない。実質的に使用不可だ。』
「周辺から搾取した場合は?」
『推奨しない。少なくとも数十分の待機が必要になる上に、お前自身の侵食を早めることになる。』

 侵食、とデスティニーが告げた瞬間、シンの顔が一瞬強張ったが――直ぐに気を取り直して呟いた。

「……じゃあ、こっちで近づくしかないんだな。」
『その通りだ、マイマスター』

 空気が緊張し、肌が粟立っていく。
 シンとデスティニーのやり取りに口を出すことなく眺める。
 飛び交う言葉には意味が分からない単語ばかり――否、分かることはある。言葉の意味は分からずとも、眼前の男がこれから、あの巨人と戦おうとしていることくらいは。

「……わかった。行くぞ、デスティニー」
『了解した。』

 デスティニーの呟きと同時にシンの両膝の外側に現れる朱い炎の刃を発する短剣。炎の刃が外側に翼のように伸びて行く。
 屋上の柵の上に手を掛ける――思わず呼び止めた。

「シン、お前――」

 振り返らずにシンが呟いた。声に隠しきれない熱が浮き出て、僅かに震えている。

「……俺が先に行ってアイツを街の外に誘導します。」
「シン!!ちょっと待て!!お前一人じゃ…」
「……さっさと行かなきゃ人が死ぬ。」

 自分の叫びを遮るようにしてシン・アスカがこちらを見た。
 柵を握り締める手が震えている。こちらを見つめる月明かりで白く染まる顔。
 そこに嵌まり込んだ血走った瞳を見た瞬間、背筋が粟立った。憤怒に狂った悪鬼の如き顔がそこにあった。
 奥歯を噛み締め、その威圧に抗って言葉を放つ。

「……だ、だから、待てよ!!お前一人で行っても…」
「確かに俺一人じゃ無理かもしれないですね。」

 彼はそこで俯いて、一瞬だけ逡巡して――

「だったら――」
「“だから”、さっさと来て下さいね、ヴァイスさん……!!」

 ――憤怒などまるで無い、笑顔でそんなことを言い放った。

「……来てくれって、お前、何…ぷおぁっ!?」
 言い終える前に爆発音。舞い上がる土埃を防ぐようにして右腕で口元と眼元を覆い隠す。
 叫んだ瞬間、既にシンの姿はそこにはない。視界の端を朱い光が掠めた。

「あの、馬鹿野郎……!!」
 直ぐに振り返って、階段に続く扉を力任せに開ける。階段を二段飛ばしで下りて、踊り場を駆け抜けて、自分の部屋に戻り、机の上に置いたままのヘルメットを手に取ると、そのままもう一度振り返って全力疾走。
 見れば隊舎にいる全員が一斉に動き出している――その全てを無視して走り抜ける。途中何人にも呼び止められたが全て無視して走る。
 何で走っているのか、自分も皆と一緒に行けばいい。そんな思いが浮かんで――衝動がそれを掻き消した。
 皆が集合している、格納庫とは逆側にある隊舎出口を叩くようにして開いて飛び出す。
 自転車置き場に止めてある自分のバイクに駆け寄って、エンジンをかける。
 同時にバイクを自転車置き場から引っ張り出して、跨る。

「……ああ、クソ、何で俺はこんなことやってんだろうな!!」
 毒づいてヘルメットを被り、前輪を中心に車体が円を描くようにして旋回させて、方向転換。
 タイヤと地面が擦れる甲高い音とゴムの焦げる匂いが鼻を付く。
 後方から自分を呼ぶ声が聞こえる。そちらに行くべきだと理性が吼えて、衝動がそれを押さえ込む。

 本当に自分は何をやっているのか。
 未だに着替えてさえもいないし、二日酔いの胸焼けは消えていない。酒はまだ確実に残っているし、今警察に捕まれば間違いなく飲酒運転になって一発免停、その上、懲戒免職確定という崖っぷち。
 メリットなどまるで無い。意味など皆無。自分が行ったところで何をすることも出来ない。一瞬の思考だけで現れる幾つものデメリット。
 訳の分からない衝動に突き動かされている。明らかに乗せられている。自分のペースではない。

 ―――“だから”、さっさと来て下さいね、ヴァイスさん……!!

 あの男の言葉を思い出す。それを思い出して唇が歪んでいくのを感じる。

「……ああ、さっさと行ってやるよ、シン・アスカ!!」

 遠方で爆発が起きた。焦燥が駆け抜ける。
 スロットルレバーを回し一気に加速。脳裏に、最短経路を思い浮かべると、そのまま深夜、誰もいない街中を疾走する。


 ――それは巨人だった。
 色は白と灰色。燃え上がる炎の色に染め上げられて世界を壊す巨人。以前、クラナガンに現れ、
ニュースで報道されていた巨人と同じモノ―――意匠に違いはあるが、そんな違いなど子供にとっては関係が無い。

「…ひ、ひっく…おにー、ちゃん……おとーさんとおかーさんは……?」
「……だ、大丈夫だ。きっとお父さんとお母さんが助けに来てくれるよ! だ、だから泣くなって!!」
「ひっ……ひっく、う、お、おかーさん……・おとーさん……」

 どすん、と地面が震えた。妹が身体を震わせて、再び泣き出す。それを見て、少年は妹を抱き締める。
それは妹の涙を止める為、というよりも自分自身の震えを止める為でもあった。
 恐怖で身体が竦んで動けない。泣き叫びたいのに、近づく巨人の足音に怯えて泣くことすらままなら
ない。親はいない。転んだ妹を起き上がらせている内にはぐれてしまっていた。
 誰もいない。誰も助けてくれない。逃げられない。助けを呼ぶことも出来ない。

 恐怖に脅える彼に出来ることと言えば、瓦礫の中に身を隠して巨人が行き過ぎるのを待つくらいだった。
 どすん、と地面が震えた。加速する恐怖。怖い。怖い。怖い。怖さを掻き消そうと妹の身体を抱き締
める力を強くしようとして――声が聞こえた。背筋を這い回る毛虫の如き不快感を生み出す声。拡声器
越しに耳を蝕む汚濁の声。

『ふふふ……どうやら、誰か隠れているようだ。』

 声は朗らかで穏やかだ。
 楽しそうに/その楽しさが怖い、
 嬉しそうに/その嬉しさが怖い、
 喜びに満ちている/その喜びが怖い。
 叫びだしそうな妹の口を手で押さえて声を出させないようにする。同時に自分も口を閉じた。涙は止ま
らない。本当に怖くて怖くて涙は止まらない。絶対に見つかるものかと必死に口を閉じて、吐き出したい
嗚咽を止め続ける。

『……さて、どこに隠れているのかな?』

 優しく囁きながら――拡声器によって音声は周辺に響き囁きなどではないが――その手の剣を振るった。
その剣はまるで違う出鱈目な方向へと振り抜かれた――どうやら巨人は正確な場所を知っている訳では
ないようだった。
 剣を振るう風切音が鳴り響き、それがビルに激突する。鉄筋コンクリート製のビルが為す術も無く
バキバキと巨大で不快な音を立てて崩れていく。
 パリン、とガラスが割れる音がほぼ同時に――僅かにズレながら――連鎖して鳴り響く。
 最後に聞こえてきたのは巨大な物体――ビルの破片が地面に落下する音。
 地面が振動し、身体が揺れる。思わず声を出しそうになる――それを必死にせき止める。

『……外れ、か。ならば、こちらか。』

 今度は左手に掴んだ盾――そこから伸びる巨大な黒色の銃身を手近な建物に向けた。
 間髪入れずに放たれる何十発もの銃弾の雨。弾丸は直径が数十cm以上。弾丸の速度で放たれるのその
鉄塊は銃というよりも、光線のように夜闇に火線の軌跡を浮かべて飛んで行く。
 耳を劈く音の群れ。鼓膜が破れそうなほどに痛い。ただただその巨人の蹂躙を見つめ続ける。
 子供ながらにその恐怖に耐えて声を発しなかった少年は類稀なる忍耐力を持っていた。
 だが、

『…いない、か。どうやら、鼠とでも間違えたか……。』

 多分、そのまま口を閉じて黙りこんでいれば巨人は去っていった。
 それは間違いの無い事実だ。そのまま気を緩めずに、沈黙に徹していれば、問題は無かったのだ。
 だが、彼は少年だった。まだ幼い少年だった。
 恐怖を堪えて沈黙に達していたのは、そうする必要があったから。そうしなければ死んでいるから。
 必要があったからそうしているのであり、必要でなくなればそんなことを続けることもない。
 だから、少年は命の危機が去ったことに僅かながら気を緩めた。少なくともこのままこの状態を維持し
続ければ自分は助かるのだ、と。
 少年は知らなかった。その気の緩みこそが最も忌避すべきモノであることを。その油断こそが生死を
分ける境目だと言うことを。

「ひっく、うっ、ううっ、うわああああ!!!!!!」

 妹が泣きだした――涙が毀れ、嗚咽が毀れ、“声”が毀れた。
 見れば、僅かに気が緩んだことで、右手の位置が僅かに下がり、妹の口元を押さえていない。

「み、ミヤ、泣くな!! 見つかっちゃ…」
『……そこにいたか。』

 どすん、と地面が大きく揺れた。巨人の紅い一つ目が、自分たちを捉えていた。

「あ、あ……」
『……しかも、子供とはな。 どうやら、“私”の趣味に合っているらしい。』

 どすん、と地面が揺れた。一歩こちらに近づいた。

「ひっ…!」

 唇を吐いて出た言葉は、言葉にもならないうめき声。
 妹を抱き締める力を強めた。妹の泣き声が大きくなった。声を出すことも出来ない。

『……“並列化”をする前で良かったよ。君らのような子供の泣き顔を皆と共有するのは惜しい。』

 左手の盾が向けられた。その先端にある銃口と目があった。

『怯えているな……良い顔だ。』

 ガチガチと歯と歯が触れ合う。少年は咄嗟に彼の妹を守るように、巨人に背中を向けて抱き締めた。
 巨人から声が響く。

『――死ね。』

 放たれるその鋼は人間の身体など一発で引き裂き、肉片に変える。
 秒間に数十発という速度で放たれるソレは正に銃弾の雨と言って良い威力を以って、子供達を、
肉塊に変えていこうとする。
 ――けれど

「や、ら」

 ――拡声器越しの、くぐもった、醜悪なその声に被せられるように、

「せ、る―――」

 ――朱く燃える、馬鹿みたいに巨大なモビルスーツサイズの“大剣”が、

「かあああああ!!」

 ――彼らの眼前に突き刺さった。

 銃弾の雨が全てその剣によって防がれた。
 材質は何なのか分からないが、銃弾程度ではまるで壊れない巨大な刃金。
 視界を埋め尽くす、朱い炎に覆われた巨大な刃金。
 子供達はいきなり現れたソレに困惑する。
 これは何なのか。どこか来たのか。さっきの声は何だったのか。子供たちの脳裏を飛び交う幾つもの問い。
 だが、そんな問いは次の瞬間見せられた光景で、脳裏から吹き飛んだ。
 朱く燃える巨大な刃金が“動いた”。同じく呆気に取られて銃撃を止めていた巨人に向かって、
刃を向けて――まるで、誰かがそれを握りしめているかのようにして――振り抜かれた。

『……なっ、これ、は…!!』

 巨人が後方に跳躍し、その刃金を回避する――瞬間、数十本もの剣と同じ朱い光条。それが大きな
曲線を描いて、巨人の360度全てに襲いかかっていく。

「なんとか、間に、あった…!!」

 少年がいきなり聞こえた別種の――どこか幼さを残した声がする方向に振り向いた。同じく妹も。
 そこには、荒く息を吐きながらも無邪気な笑顔を浮かべて、こちらに手を伸ばす、一人の男がいた。

「もう、大丈夫だ…!!」

 朱い瞳と黒い髪。白い肌がそれらを強調し、どこか幽鬼を連想させる面影。普段ならば絶対に脅える
ような――けれど、瞳の柔らかさとその笑顔が教えてくれる。
 彼は味方だと。助けてくれる人なのだと。
 少年は妹を抱きしめながら、大粒の涙を零す。妹も同じく涙を零す。
 それは恐怖の涙ではなく、誰かが助けてくれることへの安堵の涙。

『……くっ、これはっ……!!』

 巨人が立ち上がる。今も朱い光条は巨人の周囲を飛び回り羽虫のようにその行動を阻害している。
 視界を阻害し、その動きを喰い止めるただの足止め。
 少なくとも、もう数分程度は動きを止められるだろう。

「いいか、ここは俺が食い止める。君達は直ぐに逃げるんだ!」
「け、けど…」

 少年が脅える。安堵したせいか、足に力が入らないのかもしれない。
 朱い瞳の男が、少年の頭を撫でる。優しく、そして元気づけるようにして。

「泣くな。もうちょっとだけ頑張るんだ。」

 男が諭すようにして声をかけていく。
 それでも少年の震えは消えない。
 当然だろう。その程度の言葉で死の恐怖が消えるはずもない。
 男が続ける。

「……妹、助けようとして頑張ってたんだろう? だったら最後まで頑張らないでどうする?」

 男の朱い瞳が妹を見た。少年も釣られてそちらを見る。

「ひっく、お、おにいちゃん……」

 少年の服の裾をぎゅっと力強く握り締める少女――震えは止まらない。止まらないけれど、涙が毀れ落ちなくなる。

「…妹、守りたいんだろう?」

 少年が頷いた。そして、妹の手を自分の手に重ね合わせ力強く握り締める。絶対に離さないと言わんばかりに。
 男が、再度、無邪気に微笑む。

「良い根性だ――さあ、早く行くんだ。」

 少年が振り返って、妹の手を更に力強く握り締める。
 妹はその腕の強さを頼もしげに思ったのか、笑顔を向けて、少年と共に走っていく。
 走りだして、少年の足が止まり振り向こうとする――恐怖は消えていない。
 振り返るなと言われて、振り返らないだけの強さを、同じ年代の誰もが持たないように少年も、また持っていない。
 振り返れば――朱い瞳の男が、そんな少年に背中を向けて立っていた。
 少年と、その妹を守るようにして。

「大丈夫。君達は、必ず、俺が守るから。」

 少年は妹の手を引いて再度走り出す。何故かはわからないがそうしなければいけないと思った。男の言葉に促されて、
少年の心に灯った炎に従って。
 少年は走る。夜の闇を切り裂くようにして――生き抜く為に走り抜く。


『……随分と、不遜な物言いだな。』

 朱い光条――パルマフィオキーナが消えていく。先ほど放った拡散型のパルマフィオキーナ――は威力は低いがかく乱には都合が良い。デスティニーによる自動操作故にシン自身の狙いとは大幅に違う場所を撃ち抜く可能性もあるが。

「不遜なのはどっちなんだかな。 なあ、ラウ・ル・クルーゼ?」

 男が――シン・アスカが呟いた。
 モビルスーツから聞こえる声は、以前、彼が敗北したあの男と同じ声。
 乗っているのがどうして、旧型のシグーなのかは分からないが。

『…これは驚いた。どうやら、君はあの男を知っているのか。』
「……あの男だと?」
『くくく、どうやら口が滑ってしまったようだ。』
「お前は……ラウ・ル・クルーゼじゃない、のか。」
『違う、とだけ言っておこう……魔導師君。』
「まあ、いいさ。 どっち道、その機体ぶっ壊してコックピットから引きずり出せばいいだけだ。」

 シンのその答えに男が不思議そうに問い返した。

『……おかしな人間だな、君は。このモビルスーツを見ても、まるで怯えた様子が無……』

 言葉を遮って、朱い刃金が下方から上方へと、一直線に跳ね上がった。
 咄嗟に巨人――シグーはその巨体を僅かに後ろへ動かし、巨大斬撃武装(アロンダイト)による斬撃を回避する。

「…ちっ。」

 舌打ちし、その巨大な――人間では絶対に扱わない、モビルスーツサイズの大剣――巨大斬撃武装(アロンダイト)を構える。
 長々と喋っている隙を突いて一気に終わらせようと思ったのだが、それほど甘くは無いらしい。
 逃げ去った子供たちについては既にヴァイスのストームレイダーに現在の座標を転送しておいたので遠からず彼が子供たちを保護してくれると思う。
 今、自分にとって大事なのは子供たちを保護することではなく、この巨人をここから出来る限り、離し、その上で倒すこと。
 憤怒の炎が灯る。胸の奥から湧き上がる熱い炎。
 子供たちに見せた笑顔は心の底からのモノだが――それとは別に度し難い憤怒を感じる。

「別にあんたがラウ・ル・クルーゼだろうと、誰だろうと関係ないさ。」

 瓦礫の山に不可視の糸――エクストリームブラストの為の“搾取”の糸を伸ばす。
 右の瞳に何かが入り込んでくる違和感。デスティニーからの警告音。“浸食”が促進する、と脳裏に情報が展開される――全て無視。

「お前は、この街をこんなに壊して、その上、子供を……あの兄妹を殺そうとした。」

 付近は瓦礫だらけでそこかしこから炎が噴き出ている。その全てに糸を伸ばし、自らのモノとして搾取し取り込んでいく。
 炎も、瓦礫も、もう動かない車も、破壊されたモノの全てを。
 巨大斬撃武装(アロンダイト)を握りしめる腕が震える。恐怖でも、寒さでも無い。単純な一つの感情――怒りによって。

 周辺に繋いだ糸から流れ込む幾つもの幻影(ヴィジョン)。
 見えるモノはそこに生きる者を見てきた無機物の記憶。そこに染みついた思い出。
 全身に満ちていく力。同時に身体の中心で違和感が生じる――全て無視。
 歩きながらシグーの正面にまで歩いていく。途中、まだ無事だった玩具屋のショーウインドウに映る自分を見た。
 右眼の色が朱ではなく、金色に変わっている。
 その事実に自嘲の笑みが浮かぶも――それは仕方ないことだと割り切る。
 モビルスーツを相手にする以上、相応のリスクを払わなくては、勝つことなど――渡り合うことすら難しいのだから。

「怯える訳が無いだろう? 俺は怒り狂ってるんだから。」

 警戒心を滲ませた声で男が呟いた。

『……君は、何者だ。』

 何者だ、という問いに一瞬考えこみ――直ぐにそれに相応しい言葉を思い出す。
 自分がなりたいモノ。これからなろうとするモノ。出来る、出来ないではなく、そうなりたいと願う空想の存在。

「シン・アスカ―――これから、その機体をぶち壊して、お前をそこから引きずり出す、ただの“ヒーロー”だ。」

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Author:SOWW
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 プロフィールの写真はスコットランドとイングランドの間にある町の空です。新婚旅行でネス湖行ってきましたが、ネッシーに会えませんでした。
とりあえず気合い入れて頑張ります。更新します。

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