66.ハジマリ(e)
◇
シェルター内の私室――そこに設置されている巨大なディスプレイに目をやる一人の女性――カガリ・ユラ・アスハ。
ソファーに腰を落とし、唇を歪め、酷く嬉しそうに笑っている。
「さて、あいつはどこまでやれるのか・・・・お前は、どう思う、ラクス?」
「……本当にカガリさんもお好きですねえ、こういう趣向を凝らすことが。」
カガリの隣のソファーに腰をかける桃色の髪の女性―――ラクス・クライン。
「子供達は?」
「皆、画面に釘付けですわ……よっぽどカッコよく見えたんでしょうね、さっきのシンが。」
くすくすと笑いながら、テーブルに置いてあるアイスコーヒーを手に取り、口をつける。
「ヒーロー、か。」
ソファーの肘掛に肘を付き、カガリがディスプレイを見つめながら呟いた。ディスプレイに映っているのはシェルターから飛び出す寸前のアカツキ――シン・アスカだ。
「……アカツキをどうして、シンに?」
画面から目を離さずにラクスが呟いた。画面から目を離す必要は無い――自分も同じくそのまま呟いた。
「あれは、アイツが乗るべき機体なんだとさ。」
「……それは、アスランがそう言ったのですか?」
「アスランとフラガがそう言っていたよ。アカツキの生まれた理由は守る為。それが出来るのはシンだけなんだとさ。」
一拍置いて、話し出す。
「アスランが見極めたかったのはシン・アスカの根幹だ。誰かが苦しんでいるのを止める為にシン・アスカは力を得た。闇雲に力を得て、馬鹿みたいに強くなった。大したコーディネイトもしてないのに、いつの間にかその力はアスランと同等以上と言ってもいいほどの高みにまで駆け上ってきた。」
肘掛から肘を外し、ソファーに体重をかけて寝そべるような態勢―――疲れているのだろう。先ほどのようなモビルスーツを相手に立ち続けると言うことは異常なほどに体力を使うからだ。命の危険を目前にしながら一歩も引くことなく、胸を張って立ち続ける。
世界を平和で支配する“王”と言う誇りがなければ、彼女とて逃げ出していたに違いない。事実、シンは気付いていなかったが、彼女とて震えていたのだ。
話を続ける――言葉は止まらない。
「けれど、その発端となるべき想いを見失っていた。原因は全て私たちにある。あいつから全てを奪って恭順させたのは紛れもなく私たちだからな。」
「……そうですわね。」
沈黙が室内を満たす。カガリは顔色を変えず、ラクスは俯いて――その瞳に去来するのは過去の思い出。
キラ・ヤマト、アスラン・ザラ、ラクス・クライン、カガリ・ユラ・アスハ。
この四人をシン・アスカは“変わった”と形容した。
その通りだ。彼らは変わった。それこそ劇的に、まるで別人のように。
―――シンがミッドチルダに消えていた一年間。その間、世界はかつて無いほどの混沌に見舞われた。
起きた事件は焼き回しのようなもの―――テロとクーデター。廃棄コロニーを地球へと落下させ、ナチュラルの粛清を行おうとした人間がいた。実行犯はアスランの父親の部下―――ザラ派のテロリスト。
それをアスランが鎮圧した。インフィニットジャスティスと少数の精鋭による強襲によって。
同時期にプラントでもクーデターが起きた。現政権――ラクス・クラインに反旗を翻した。クーデターの主犯は反クライン派だった。ターミナルがラクス・クラインの為に作り出した巨大モビルアーマーが奪われ、プラントは一時期かつてないほどの危機に見舞われた。
それをキラとラクスが鎮圧した。ストライクフリーダムと少数の精鋭で。
同時期に発生したその二つの事件によってプラントはかつてないほどの混乱に見舞われた。同時に地球も――コロニーを落とされると言う未曾有のテロリズムによって。
彼らは、それを乗り越えた。無論、それ以前から彼らは変わり続けていた。
自分達が、世界を“奪い取った”のだと自覚し、逃れられない責任を持たされたことに気付き、そしてその責任の遵守の為に彼らは生き―――カガリ・ユラ・アスハは女王となり、ラクス・クラインは女帝となった。
キラ・ヤマトはその結果変化した。変化しなければならなかった。愛する伴侶が変わり、その伴侶に自分がやったことを突きつけられた――言葉ではなく行動で。
アスラン・ザラはその結果変化した。変化しなければならなかった。自分が引き起こした結果に気付いてしまったから――シン・アスカを壊したのは自分なのだと自覚したから。
そうして、彼らは変わった。シンが突然変わったように感じたのは間違いだった。
彼らは、変わり続けていたのだ――彼はそれに気付くことも出来なかったが。
それらを乗り越えた結果として今がある―――アスラン・ザラがシン・アスカを求めていたのは別に同情でも何でも無い。その力が必要だと考えたからだった。
勿論、アスラン・ザラは馬鹿だから、シンに“目的”があるのなら、決して無理強いはしないだろうが。
不意に、カガリが呟いた。
「…昔、守れなかった年下の友達を重ねてるのかもしれないってあいつは言っていた。」
守れなかった友達――ラクスの顔が少しだけ、苦しげに歪んだ。
「ニコル・アマルフィ、ですか。」
カガリが頷き、続ける。
「だから、ほっとけないのさ。アスランは。それで余計に嫌われていくっていうのに、それでもあいつは放っておくことが出来ない。」
息を吐いて、少し微笑み、語る――誇るように、馬鹿にするように、愛しげに。
「アスラン・ザラは融通の利かない馬鹿だからな。良い意味でも悪い意味でも。」
「あら、惚気ですか?」
「自分の旦那のことを惚気るくらいは良いだろう?別に私だけのものでもないんだし。」
苦笑――と言うよりも呆れるように唇をひくつかせるラクス。
「メ、メイリンも、でしたっけ?」
「ん?ああ。国家元首と一般人との二股なんてするのはあいつくらいだろうさ。」
今晩の夕食をどれにするか語るように、何でもないことのようにしてカガリが話す。僅かに沈黙が流れ、ラクス・クラインの顔が歪む―――もう少しは動揺すると思ったのにまるで動揺しないとはどういうことか。返答に詰まると言うか、どう返答するべきか分からない。返す言葉が見つからない、という奴だった。
(……正直リアクションに困る話題ですわね。)
基本的に恋愛方面に関しては常識的なラクス・クラインには理解出来ない話題だった。何せ二股である。普通は無い。在り得ない。
カガリの方を見れば、沈黙するラクスを特にどう思うでもなく、愉しげにシン・アスカの乗るアカツキを見つめている。
沈黙が辛い――多分自分だけが。
とりあえず、口を開いてみた。
「……アスランもよく決心したと思いますわ。あの性格だから、一生どっちも選べないと思ってましたのに」
「なに、あれは選んだというよりも、無理やり選ばせたのさ。どっちもな。」
「……ああ。」
余計にリアクションが取りづらかった。
選ばせた――そう言えば、以前キラがアスランからの相談を受けていた時のことを思い出す。
◆
「何そのハーレム!?何でキミはいつもそうやって美味しい目にあう訳!?裏切ったんだな!!ラクスの胸と同じように僕を裏切ったんだな!!」
「……いや、カガリが俺にハーレムじゃないから大丈夫だと言ってな。何かメイリンも頷いてて……流されてしまったんだ。」
「流された結果が、この婚姻届に書いてある備考:愛人有りってこと!?」
「……二股だからオッケーとか言われて」
「それ、アウトオオオオオオオオ!!!!」
◆
無論、その後に失礼極まりないことを言っていたキラを調教……もとい、折檻した訳だが、傍から聞いてる自分も思ったモノだ。
(どう考えてもアウトですよねえ、それ。)
無論、自分ならそんなことは認められない。
女であれば自分“だけ”を見て欲しいと思うのは当然のこと。故にキラ・ヤマトが自分以外を見るようなことがあれば、きっと自分は悲しくなるだろう―――実際、悲しいのだから、本当だ。
自分“だけ”ではなく、キラは今もどこにもいない誰かを見つめているのだから――それが悲しくて、悔しい。
彼の心の中にある消せない影は今も消えずに彼の中に残っている。それでも、自分は彼から離れようとは思わない。
(惚れた弱み、なのでしょうかね、これも。)
画面が切り替わって、あの巨人が映り込む。
ストライクフリーダムとインフィニットジャスティスが今も戦い続けている。
満身創痍ながらもオーブ軍の機体も戦っている
ストライクフリーダムは僅かな手傷を負った程度、インフィニットジャスティスは肩の装甲を抉られてはいるものの、戦闘可能―――状況は悪い。
唇を噛んですぐにでもその場に駆けつけたい衝動を抑え込む―――瞬間、天空から巨人を射抜く白い矢。
画面が動いた。矢が放たれた方向が拡大される――小さな人影。人数は二人。さらに拡大される――見覚えのある人間がそこにいた。この数日間を共に過ごした二人の女性。
それほど大きくない身長に反して強い意志を秘めた瞳。茶色い髪の毛。白いワイシャツとジーンズで身を包んだ女性―――八神はやて。
金色の髪と捻くれたような瞳。ラバースーツを胸の部分が突き出るように盛り上がる扇情的な姿――ドゥーエ。
空に浮かび、先端が十字架状になっている杖を巨人に向けて/両の手を前に突き出すようにして、二人の女がそこにいた。
「……まさか、本当に……?」
深夜の会話にてシンがキラに言い放った「魔法」という言葉。ラクスもそれを聞いていた――元より、何者かも分からない人間を無条件で住まわせるほど、ラクス・クラインは、“女帝”は甘くない。盗聴程度のことはしていたから、彼女も聞いてはいたが―――まさか、という思いが先んじて、真実を確かめようなどとは思わなかった。
本当に、“魔法”というモノが存在してるかなど、確認しようという方がおかしいのだから当然と言えば当然なのだが。
「あれが、魔導師、という奴か。」
画面を食い入るように見つめるカガリ。
自分も同じく画面に釘付けになる。
子供たちのいる部屋から歓声が聞こえる。
変化が起きた。恐らくCE史上初めての魔法という異常が表舞台に現れた瞬間だった。
◇
「…やっぱり効いてへんなあ。」
白い矢―――氷結の息吹(アーテム・デス・エイテス)による砲撃を終えた八神はやてが呟いた。放った気化氷結魔法は4本。その全てが黒と青の巨人のバリアジャケットの前に掻き消されていった。本来なら着弾個所から熱を奪い凍結させるのだが、着弾する前に掻き消されてしまえば、意味は無い。仮に氷結出来たとしても、恐らくは意味は無いだろう。
地層のように幾重にも積み重ねられた、モビルスーツ等の機械によって構成された装甲の中心まで氷結出来るとも思えない。
故にその結果は予想通りと言ってもいい―――だが、精度や制御はともかく威力だけなら誰よりも強いと思っていたが故にこの結果はそれなりに胸に来る光景ではあった。
「あれだけデカいんだから当然じゃない?それとも本当に魔法だけで何とかなるとでも思ってたのかしら?」
からかうように笑うドゥーエ。次瞬、笑いは消えて、表情が引き締まる。
「……あいつの意識はこっちに向いたようね。」
巨大なレジェンドの視線がこちらを見ている。視認しているのだろう―――自らに刃向う者共を。
改めて見れば、圧巻と言ってもいい大きさだった。
ミッドチルダにいた時よりもはるかに大きい――小さな山程度の大きさはあるようにすら思う。
そんな人型の兵器が街を蹂躙し、世界を燃やし尽くす。悪夢と言わざるを得ない光景だった。
八神はやての方に視線を向ける。意味は無い。ただ、胸に生まれた不安のやり場がなかったからかもしれない。
「……さあ、行くで、ドゥーエ。」
はやてを見れば、彼女の表情もまた硬い。けれど、それでも無理矢理彼女は笑っている。
脅えて震えて倒れてしまいそうな自身を奮い立たせる為に、笑っている。
釣られて、自分も顔に笑顔が舞い戻る。不敵な微笑み―――怖い。巨大、というのはそれだけで人の脳髄に恐怖を刻みつけるモノだからだ。
だから、笑う。笑うことで恐怖を弾き飛ばす。生身であんな化け物と戦うなんていう世迷言を肯定する。
子供と、あの馬鹿な男を守る為に。身体が求めるあの男との逢瀬。そんなモノに縛りつけられる自分自身が疎ましい―――けれど、これもまた自分。同時に子供たちを守りたいと願う鎖もまた自分自身。今は、その衝動に身を任せたい、そう思った。
―――それが既に自分の中に芽生えた“本物”の思いだと信じて、彼女ははやてに返答する。
「……ええ、始めましょう、八神はやて。」
ドゥーエの返答を聞いて、はやてが十字杖を握りしめる手に力を込める。
あの馬鹿の顔を思い出す。脅えて、震えて、それでも戦おうとしたあの馬鹿を。
守ると決めた―――守り抜いて、そしてヒーローになって欲しいと思った。
自分自身の勝手な夢。現実にいる筈の無い妄想の存在。それにあの男はなろうとして足掻いている。そんな姿が好ましく映っていた。
今はそれに加えて一つだけ別の想いも混じり込んでいる。
(えらい、かっこよかったからな、あの馬鹿)
あの劇的な変化――立ち上り出した瞬間を、自分は見た。そして、痺れた。全身に電撃が走る瞬間とはあれなのだろう。
男が立ち上がろうとする瞬間とはあれほどに痺れるのだ。心を揺さぶるのだ。それこそ、これほどに熱い気持ちになるほどに。
惚れそうや、ではなくて、既に惚れているのかもしれない。意地っ張りな自分はそんなことを絶対に認めないだろうけど。
誰であっても良かったという想いは、すでに無い。今、あるのは、あの男をヒーローに“したい”という気持ち。
だから、死なせたくない―――脅えているままで死んでもらっては困るのだ。
立ち上り出したというのなら、
(しっかり、立ち上がってもらわんとな。)
見据えるは巨人――レジェンドというモビルスーツのなれの果て。
十字杖を向けて、厳かに呟く。呟きは宣言。恐らく出来ることは、長距離から砲撃を放つことのみ。近づけば死ぬ。その事実は確定されていると言ってもいい。
だから、撃ち続ける。撃って撃ち続ける。援護にもならないかもしれない。単なる牽制にしかならないかもしれない。だが、それで十分だ。
自分はただ魔力の続く限り魔法を撃ち続けるだけなのだから。
「第2ラウンド―――」
呟きは合図。魔力を込める。術式を組み上げる。
「スタートや。」
言葉と共に魔法を放つ。
夢を求めた女と名前を忘れた女の戦いが、始まった。
◇
「……ジリ貧か。」
呟きながら操縦桿を倒し、フットペダルを踏み込んで、巨大なレジェンドに肉薄する。下手に離れれば命取りになる―――安全なのは、装甲と装甲が触れ合うほどの超至近距離。
ディスプレイを見ればキラのストライクフリーダムが幾度も幾度も砲撃を繰り返し、自分に向けられるレジェンドの攻撃を引きつけている。同時に、魔法――と言う力でこちらを援護する二人の女性も。
インフィニットジャスティスの背部のバーニアを吹かし、触手(ケーブル)を掻い潜ってレジェンドの装甲を切り裂きながら移動/そのまま、背面に回り、一旦離脱――触手(ケーブル)が迫り来る。
「舐めるなっ!!」
コンソールを操作し、背部のリフター―――ファトゥム01との接続を解除/上空へと飛翔するファトゥム01と重力に従い落下するインフィニットジャスティス。
触手(ケーブル)の動きに戸惑い―――目標が突然、二つに分かれたことで停滞する/それも一瞬。
触手がインフィニットジャスティス目掛けて追いすがる。
コンソールを再度叩き、ファトゥム01に指示を伝達/上空へ飛び去ったソレが一直線に下降する――両翼の翼に赤刃が灯る。
翼がこちらに迫り来る触手を背面から切り裂いていく―――自機との接触まで数秒。
瞬間、全身のスラスターを操作し、ファトゥム01の背部に設置されている取っ手を掴む――急加速。
「くっ…!!」
全身に掛かる重力の負荷を無視し、そのまま移動――離脱。
アスランの顔が歪む。画面を見れば当初は20にも届かんばかりだった友軍の数は既に10を切っている。
―――状況ははっきり言って最悪だった。
こちらの攻撃は殆ど効果が無い。どれほど装甲を切り裂こうとも巨人の歩を止めるどころか、緩めることすら出来ていない。
対してこちらは一撃でもまともに受ければその時点で戦闘不能が確定する。
再度迫る触手を右手に握ったビームサーベルで切り払いながら、距離を調整/至近距離から離れるのは危険と判断―――現在の距離に確定し、維持しながら回避と斬撃を繰り返す。
(どうする。)
自問する――援軍は来るだけ無駄だ。来た瞬間、先ほどの砲撃を行われて終わりだ。
けれど、現状でこの巨人を倒すことは難しい――不可能と言っても良い。
純粋に火力が足りない。
あの巨人の周囲を覆うようにして目には見えない何か――恐らくバリアとでも言うべきものが張り巡らされている。近接戦闘や、死角からの攻撃に対しては発動しないと言う欠点はあるものの、ソレがある限り、ビームライフル等の攻撃はほぼ通用しないと言って良い――現状の戦力では死角を作り出し突く事もその防御を破るほどの攻
撃を行うことも出来ない。
最も大きな火力と言えばストライクフリーダムのドラグーンを交えた最大掃射。
だが、重力下でそれを行うことはどんな機体であろうと不可能だ。そんな機能は元々存在していない。
インフィニットジャスティスには元よりそういった火力は装備されていない。近距離戦に特化した機体で在る以上は当然だった。
現状の延長としての結果は考えるまでもなく死。全滅以外に在り得ない―――ならば、どうやってその結果を否定し、目的を達成するべきか。
―――アスラン・ザラとは正義の士である。自身が設定した正義を貫くことを覚悟した時、如何なる問題、苦難があろうとも彼は必ずやり遂げる。成功させる。成就させる。
アスラン・ザラは諦めない。諦めることを知らないのではなく、諦めることそれすらも“手段”として、目的を掴み取る。往生際の悪さは天下一と言っても良い。故に煙たがられる。嫌われる。
手段を選ばないことで嫌われる。
結果的に成功させることで煙たがられる。
故に―――そんなアスラン・ザラが“保険”を用意していない訳が無いのだ。
最初からこんな状況を想定していた訳ではないが、アスラン・ザラの状況予測とは最悪の結果を常に想定することからスタートする。
現在考えられ得る最悪の結果――それは、自身を含めた全機が全滅し、オーブが蹂躙され、カガリ・ユラ・アスハが死ぬこと。
未だ、その状況には至っていない。故に状況は最悪でも、最悪の結果にはまだ至っていない。
かけた保険が失敗したという通信は未だ入ってこない。ならば、恐らく保険は成功したということ――まだ間に合っていないと言うだけで。
その保険が本当に役に立つかどうかなどは分からない。一年近いブランクを挟んだソイツが来たところで、即座に落とされるだけかもしれない。
だが、だがだ。
自分の知っているソイツは――そんな程度で諦めるような潔い人間ではなかったはずだ。
―――視界の端に映るレーダーに新たな何かが見えた。こちらに向かって迫るく二つの光点。
それを確認し、唇が嬉しげに歪む―――瞬間、そこを突くように迫る触手。
「ちっ!」
それを掻い潜り再度移動。瞬間、眼前にモビルスーツを握り潰せるほどに巨大な手が見えた。
迫る手。それで叩かれただけでこの機体は終わる。自分は死ぬ。防御は間に合わない。攻撃も間に合わない。
不意打ち気味に放たれたその一撃に反応することなど出来はしない。どれほど機体に備え付けられたセーフティシャッターが強固であろうと、あれだけの巨大な質量の一撃を受ければセーフティシャッター自体は壊れずとも、中にいる人間は衝撃で昏倒する。
迫る拳。終わるという実感―――だが、不思議と恐怖は無かった。走馬灯も走りはしない。死への恐怖を感じられないほどに戦闘に没頭していたから――違う。死への恐怖を感じる“必要”が無いからだ。
迫る手を見て、フットペダルを反射的に踏み込み、機体を全速で後退させる。回避は間に合わない。
だが怖くは無い―――見えたからだ。分かったからだ。知ったからだ。
“保険”が間に合ったことを―――シン・アスカが来たことを。
「ようやく、来たか。」
呟き/上空から降り注ぐ幾つもの緑の光条―――続いて、朱い光条。眼前に迫り来る拳の表面で幾つもの爆発。装甲がバラバラと崩れ落ち、拳が動きを止めて後退する。
上空を見る。ディスプレイに映るモビルスーツ――陽光を反射し、キラキラと輝く太陽の如きモビルスーツ。
シン・アスカ/アカツキがビームライフルと両脇から伸びる巨大な砲身を構えて、そこにいた。
「遅いぞ、シン。」
至極当然のようにして、アスラン・ザラが呟いた。
シェルター内の私室――そこに設置されている巨大なディスプレイに目をやる一人の女性――カガリ・ユラ・アスハ。
ソファーに腰を落とし、唇を歪め、酷く嬉しそうに笑っている。
「さて、あいつはどこまでやれるのか・・・・お前は、どう思う、ラクス?」
「……本当にカガリさんもお好きですねえ、こういう趣向を凝らすことが。」
カガリの隣のソファーに腰をかける桃色の髪の女性―――ラクス・クライン。
「子供達は?」
「皆、画面に釘付けですわ……よっぽどカッコよく見えたんでしょうね、さっきのシンが。」
くすくすと笑いながら、テーブルに置いてあるアイスコーヒーを手に取り、口をつける。
「ヒーロー、か。」
ソファーの肘掛に肘を付き、カガリがディスプレイを見つめながら呟いた。ディスプレイに映っているのはシェルターから飛び出す寸前のアカツキ――シン・アスカだ。
「……アカツキをどうして、シンに?」
画面から目を離さずにラクスが呟いた。画面から目を離す必要は無い――自分も同じくそのまま呟いた。
「あれは、アイツが乗るべき機体なんだとさ。」
「……それは、アスランがそう言ったのですか?」
「アスランとフラガがそう言っていたよ。アカツキの生まれた理由は守る為。それが出来るのはシンだけなんだとさ。」
一拍置いて、話し出す。
「アスランが見極めたかったのはシン・アスカの根幹だ。誰かが苦しんでいるのを止める為にシン・アスカは力を得た。闇雲に力を得て、馬鹿みたいに強くなった。大したコーディネイトもしてないのに、いつの間にかその力はアスランと同等以上と言ってもいいほどの高みにまで駆け上ってきた。」
肘掛から肘を外し、ソファーに体重をかけて寝そべるような態勢―――疲れているのだろう。先ほどのようなモビルスーツを相手に立ち続けると言うことは異常なほどに体力を使うからだ。命の危険を目前にしながら一歩も引くことなく、胸を張って立ち続ける。
世界を平和で支配する“王”と言う誇りがなければ、彼女とて逃げ出していたに違いない。事実、シンは気付いていなかったが、彼女とて震えていたのだ。
話を続ける――言葉は止まらない。
「けれど、その発端となるべき想いを見失っていた。原因は全て私たちにある。あいつから全てを奪って恭順させたのは紛れもなく私たちだからな。」
「……そうですわね。」
沈黙が室内を満たす。カガリは顔色を変えず、ラクスは俯いて――その瞳に去来するのは過去の思い出。
キラ・ヤマト、アスラン・ザラ、ラクス・クライン、カガリ・ユラ・アスハ。
この四人をシン・アスカは“変わった”と形容した。
その通りだ。彼らは変わった。それこそ劇的に、まるで別人のように。
―――シンがミッドチルダに消えていた一年間。その間、世界はかつて無いほどの混沌に見舞われた。
起きた事件は焼き回しのようなもの―――テロとクーデター。廃棄コロニーを地球へと落下させ、ナチュラルの粛清を行おうとした人間がいた。実行犯はアスランの父親の部下―――ザラ派のテロリスト。
それをアスランが鎮圧した。インフィニットジャスティスと少数の精鋭による強襲によって。
同時期にプラントでもクーデターが起きた。現政権――ラクス・クラインに反旗を翻した。クーデターの主犯は反クライン派だった。ターミナルがラクス・クラインの為に作り出した巨大モビルアーマーが奪われ、プラントは一時期かつてないほどの危機に見舞われた。
それをキラとラクスが鎮圧した。ストライクフリーダムと少数の精鋭で。
同時期に発生したその二つの事件によってプラントはかつてないほどの混乱に見舞われた。同時に地球も――コロニーを落とされると言う未曾有のテロリズムによって。
彼らは、それを乗り越えた。無論、それ以前から彼らは変わり続けていた。
自分達が、世界を“奪い取った”のだと自覚し、逃れられない責任を持たされたことに気付き、そしてその責任の遵守の為に彼らは生き―――カガリ・ユラ・アスハは女王となり、ラクス・クラインは女帝となった。
キラ・ヤマトはその結果変化した。変化しなければならなかった。愛する伴侶が変わり、その伴侶に自分がやったことを突きつけられた――言葉ではなく行動で。
アスラン・ザラはその結果変化した。変化しなければならなかった。自分が引き起こした結果に気付いてしまったから――シン・アスカを壊したのは自分なのだと自覚したから。
そうして、彼らは変わった。シンが突然変わったように感じたのは間違いだった。
彼らは、変わり続けていたのだ――彼はそれに気付くことも出来なかったが。
それらを乗り越えた結果として今がある―――アスラン・ザラがシン・アスカを求めていたのは別に同情でも何でも無い。その力が必要だと考えたからだった。
勿論、アスラン・ザラは馬鹿だから、シンに“目的”があるのなら、決して無理強いはしないだろうが。
不意に、カガリが呟いた。
「…昔、守れなかった年下の友達を重ねてるのかもしれないってあいつは言っていた。」
守れなかった友達――ラクスの顔が少しだけ、苦しげに歪んだ。
「ニコル・アマルフィ、ですか。」
カガリが頷き、続ける。
「だから、ほっとけないのさ。アスランは。それで余計に嫌われていくっていうのに、それでもあいつは放っておくことが出来ない。」
息を吐いて、少し微笑み、語る――誇るように、馬鹿にするように、愛しげに。
「アスラン・ザラは融通の利かない馬鹿だからな。良い意味でも悪い意味でも。」
「あら、惚気ですか?」
「自分の旦那のことを惚気るくらいは良いだろう?別に私だけのものでもないんだし。」
苦笑――と言うよりも呆れるように唇をひくつかせるラクス。
「メ、メイリンも、でしたっけ?」
「ん?ああ。国家元首と一般人との二股なんてするのはあいつくらいだろうさ。」
今晩の夕食をどれにするか語るように、何でもないことのようにしてカガリが話す。僅かに沈黙が流れ、ラクス・クラインの顔が歪む―――もう少しは動揺すると思ったのにまるで動揺しないとはどういうことか。返答に詰まると言うか、どう返答するべきか分からない。返す言葉が見つからない、という奴だった。
(……正直リアクションに困る話題ですわね。)
基本的に恋愛方面に関しては常識的なラクス・クラインには理解出来ない話題だった。何せ二股である。普通は無い。在り得ない。
カガリの方を見れば、沈黙するラクスを特にどう思うでもなく、愉しげにシン・アスカの乗るアカツキを見つめている。
沈黙が辛い――多分自分だけが。
とりあえず、口を開いてみた。
「……アスランもよく決心したと思いますわ。あの性格だから、一生どっちも選べないと思ってましたのに」
「なに、あれは選んだというよりも、無理やり選ばせたのさ。どっちもな。」
「……ああ。」
余計にリアクションが取りづらかった。
選ばせた――そう言えば、以前キラがアスランからの相談を受けていた時のことを思い出す。
◆
「何そのハーレム!?何でキミはいつもそうやって美味しい目にあう訳!?裏切ったんだな!!ラクスの胸と同じように僕を裏切ったんだな!!」
「……いや、カガリが俺にハーレムじゃないから大丈夫だと言ってな。何かメイリンも頷いてて……流されてしまったんだ。」
「流された結果が、この婚姻届に書いてある備考:愛人有りってこと!?」
「……二股だからオッケーとか言われて」
「それ、アウトオオオオオオオオ!!!!」
◆
無論、その後に失礼極まりないことを言っていたキラを調教……もとい、折檻した訳だが、傍から聞いてる自分も思ったモノだ。
(どう考えてもアウトですよねえ、それ。)
無論、自分ならそんなことは認められない。
女であれば自分“だけ”を見て欲しいと思うのは当然のこと。故にキラ・ヤマトが自分以外を見るようなことがあれば、きっと自分は悲しくなるだろう―――実際、悲しいのだから、本当だ。
自分“だけ”ではなく、キラは今もどこにもいない誰かを見つめているのだから――それが悲しくて、悔しい。
彼の心の中にある消せない影は今も消えずに彼の中に残っている。それでも、自分は彼から離れようとは思わない。
(惚れた弱み、なのでしょうかね、これも。)
画面が切り替わって、あの巨人が映り込む。
ストライクフリーダムとインフィニットジャスティスが今も戦い続けている。
満身創痍ながらもオーブ軍の機体も戦っている
ストライクフリーダムは僅かな手傷を負った程度、インフィニットジャスティスは肩の装甲を抉られてはいるものの、戦闘可能―――状況は悪い。
唇を噛んですぐにでもその場に駆けつけたい衝動を抑え込む―――瞬間、天空から巨人を射抜く白い矢。
画面が動いた。矢が放たれた方向が拡大される――小さな人影。人数は二人。さらに拡大される――見覚えのある人間がそこにいた。この数日間を共に過ごした二人の女性。
それほど大きくない身長に反して強い意志を秘めた瞳。茶色い髪の毛。白いワイシャツとジーンズで身を包んだ女性―――八神はやて。
金色の髪と捻くれたような瞳。ラバースーツを胸の部分が突き出るように盛り上がる扇情的な姿――ドゥーエ。
空に浮かび、先端が十字架状になっている杖を巨人に向けて/両の手を前に突き出すようにして、二人の女がそこにいた。
「……まさか、本当に……?」
深夜の会話にてシンがキラに言い放った「魔法」という言葉。ラクスもそれを聞いていた――元より、何者かも分からない人間を無条件で住まわせるほど、ラクス・クラインは、“女帝”は甘くない。盗聴程度のことはしていたから、彼女も聞いてはいたが―――まさか、という思いが先んじて、真実を確かめようなどとは思わなかった。
本当に、“魔法”というモノが存在してるかなど、確認しようという方がおかしいのだから当然と言えば当然なのだが。
「あれが、魔導師、という奴か。」
画面を食い入るように見つめるカガリ。
自分も同じく画面に釘付けになる。
子供たちのいる部屋から歓声が聞こえる。
変化が起きた。恐らくCE史上初めての魔法という異常が表舞台に現れた瞬間だった。
◇
「…やっぱり効いてへんなあ。」
白い矢―――氷結の息吹(アーテム・デス・エイテス)による砲撃を終えた八神はやてが呟いた。放った気化氷結魔法は4本。その全てが黒と青の巨人のバリアジャケットの前に掻き消されていった。本来なら着弾個所から熱を奪い凍結させるのだが、着弾する前に掻き消されてしまえば、意味は無い。仮に氷結出来たとしても、恐らくは意味は無いだろう。
地層のように幾重にも積み重ねられた、モビルスーツ等の機械によって構成された装甲の中心まで氷結出来るとも思えない。
故にその結果は予想通りと言ってもいい―――だが、精度や制御はともかく威力だけなら誰よりも強いと思っていたが故にこの結果はそれなりに胸に来る光景ではあった。
「あれだけデカいんだから当然じゃない?それとも本当に魔法だけで何とかなるとでも思ってたのかしら?」
からかうように笑うドゥーエ。次瞬、笑いは消えて、表情が引き締まる。
「……あいつの意識はこっちに向いたようね。」
巨大なレジェンドの視線がこちらを見ている。視認しているのだろう―――自らに刃向う者共を。
改めて見れば、圧巻と言ってもいい大きさだった。
ミッドチルダにいた時よりもはるかに大きい――小さな山程度の大きさはあるようにすら思う。
そんな人型の兵器が街を蹂躙し、世界を燃やし尽くす。悪夢と言わざるを得ない光景だった。
八神はやての方に視線を向ける。意味は無い。ただ、胸に生まれた不安のやり場がなかったからかもしれない。
「……さあ、行くで、ドゥーエ。」
はやてを見れば、彼女の表情もまた硬い。けれど、それでも無理矢理彼女は笑っている。
脅えて震えて倒れてしまいそうな自身を奮い立たせる為に、笑っている。
釣られて、自分も顔に笑顔が舞い戻る。不敵な微笑み―――怖い。巨大、というのはそれだけで人の脳髄に恐怖を刻みつけるモノだからだ。
だから、笑う。笑うことで恐怖を弾き飛ばす。生身であんな化け物と戦うなんていう世迷言を肯定する。
子供と、あの馬鹿な男を守る為に。身体が求めるあの男との逢瀬。そんなモノに縛りつけられる自分自身が疎ましい―――けれど、これもまた自分。同時に子供たちを守りたいと願う鎖もまた自分自身。今は、その衝動に身を任せたい、そう思った。
―――それが既に自分の中に芽生えた“本物”の思いだと信じて、彼女ははやてに返答する。
「……ええ、始めましょう、八神はやて。」
ドゥーエの返答を聞いて、はやてが十字杖を握りしめる手に力を込める。
あの馬鹿の顔を思い出す。脅えて、震えて、それでも戦おうとしたあの馬鹿を。
守ると決めた―――守り抜いて、そしてヒーローになって欲しいと思った。
自分自身の勝手な夢。現実にいる筈の無い妄想の存在。それにあの男はなろうとして足掻いている。そんな姿が好ましく映っていた。
今はそれに加えて一つだけ別の想いも混じり込んでいる。
(えらい、かっこよかったからな、あの馬鹿)
あの劇的な変化――立ち上り出した瞬間を、自分は見た。そして、痺れた。全身に電撃が走る瞬間とはあれなのだろう。
男が立ち上がろうとする瞬間とはあれほどに痺れるのだ。心を揺さぶるのだ。それこそ、これほどに熱い気持ちになるほどに。
惚れそうや、ではなくて、既に惚れているのかもしれない。意地っ張りな自分はそんなことを絶対に認めないだろうけど。
誰であっても良かったという想いは、すでに無い。今、あるのは、あの男をヒーローに“したい”という気持ち。
だから、死なせたくない―――脅えているままで死んでもらっては困るのだ。
立ち上り出したというのなら、
(しっかり、立ち上がってもらわんとな。)
見据えるは巨人――レジェンドというモビルスーツのなれの果て。
十字杖を向けて、厳かに呟く。呟きは宣言。恐らく出来ることは、長距離から砲撃を放つことのみ。近づけば死ぬ。その事実は確定されていると言ってもいい。
だから、撃ち続ける。撃って撃ち続ける。援護にもならないかもしれない。単なる牽制にしかならないかもしれない。だが、それで十分だ。
自分はただ魔力の続く限り魔法を撃ち続けるだけなのだから。
「第2ラウンド―――」
呟きは合図。魔力を込める。術式を組み上げる。
「スタートや。」
言葉と共に魔法を放つ。
夢を求めた女と名前を忘れた女の戦いが、始まった。
◇
「……ジリ貧か。」
呟きながら操縦桿を倒し、フットペダルを踏み込んで、巨大なレジェンドに肉薄する。下手に離れれば命取りになる―――安全なのは、装甲と装甲が触れ合うほどの超至近距離。
ディスプレイを見ればキラのストライクフリーダムが幾度も幾度も砲撃を繰り返し、自分に向けられるレジェンドの攻撃を引きつけている。同時に、魔法――と言う力でこちらを援護する二人の女性も。
インフィニットジャスティスの背部のバーニアを吹かし、触手(ケーブル)を掻い潜ってレジェンドの装甲を切り裂きながら移動/そのまま、背面に回り、一旦離脱――触手(ケーブル)が迫り来る。
「舐めるなっ!!」
コンソールを操作し、背部のリフター―――ファトゥム01との接続を解除/上空へと飛翔するファトゥム01と重力に従い落下するインフィニットジャスティス。
触手(ケーブル)の動きに戸惑い―――目標が突然、二つに分かれたことで停滞する/それも一瞬。
触手がインフィニットジャスティス目掛けて追いすがる。
コンソールを再度叩き、ファトゥム01に指示を伝達/上空へ飛び去ったソレが一直線に下降する――両翼の翼に赤刃が灯る。
翼がこちらに迫り来る触手を背面から切り裂いていく―――自機との接触まで数秒。
瞬間、全身のスラスターを操作し、ファトゥム01の背部に設置されている取っ手を掴む――急加速。
「くっ…!!」
全身に掛かる重力の負荷を無視し、そのまま移動――離脱。
アスランの顔が歪む。画面を見れば当初は20にも届かんばかりだった友軍の数は既に10を切っている。
―――状況ははっきり言って最悪だった。
こちらの攻撃は殆ど効果が無い。どれほど装甲を切り裂こうとも巨人の歩を止めるどころか、緩めることすら出来ていない。
対してこちらは一撃でもまともに受ければその時点で戦闘不能が確定する。
再度迫る触手を右手に握ったビームサーベルで切り払いながら、距離を調整/至近距離から離れるのは危険と判断―――現在の距離に確定し、維持しながら回避と斬撃を繰り返す。
(どうする。)
自問する――援軍は来るだけ無駄だ。来た瞬間、先ほどの砲撃を行われて終わりだ。
けれど、現状でこの巨人を倒すことは難しい――不可能と言っても良い。
純粋に火力が足りない。
あの巨人の周囲を覆うようにして目には見えない何か――恐らくバリアとでも言うべきものが張り巡らされている。近接戦闘や、死角からの攻撃に対しては発動しないと言う欠点はあるものの、ソレがある限り、ビームライフル等の攻撃はほぼ通用しないと言って良い――現状の戦力では死角を作り出し突く事もその防御を破るほどの攻
撃を行うことも出来ない。
最も大きな火力と言えばストライクフリーダムのドラグーンを交えた最大掃射。
だが、重力下でそれを行うことはどんな機体であろうと不可能だ。そんな機能は元々存在していない。
インフィニットジャスティスには元よりそういった火力は装備されていない。近距離戦に特化した機体で在る以上は当然だった。
現状の延長としての結果は考えるまでもなく死。全滅以外に在り得ない―――ならば、どうやってその結果を否定し、目的を達成するべきか。
―――アスラン・ザラとは正義の士である。自身が設定した正義を貫くことを覚悟した時、如何なる問題、苦難があろうとも彼は必ずやり遂げる。成功させる。成就させる。
アスラン・ザラは諦めない。諦めることを知らないのではなく、諦めることそれすらも“手段”として、目的を掴み取る。往生際の悪さは天下一と言っても良い。故に煙たがられる。嫌われる。
手段を選ばないことで嫌われる。
結果的に成功させることで煙たがられる。
故に―――そんなアスラン・ザラが“保険”を用意していない訳が無いのだ。
最初からこんな状況を想定していた訳ではないが、アスラン・ザラの状況予測とは最悪の結果を常に想定することからスタートする。
現在考えられ得る最悪の結果――それは、自身を含めた全機が全滅し、オーブが蹂躙され、カガリ・ユラ・アスハが死ぬこと。
未だ、その状況には至っていない。故に状況は最悪でも、最悪の結果にはまだ至っていない。
かけた保険が失敗したという通信は未だ入ってこない。ならば、恐らく保険は成功したということ――まだ間に合っていないと言うだけで。
その保険が本当に役に立つかどうかなどは分からない。一年近いブランクを挟んだソイツが来たところで、即座に落とされるだけかもしれない。
だが、だがだ。
自分の知っているソイツは――そんな程度で諦めるような潔い人間ではなかったはずだ。
―――視界の端に映るレーダーに新たな何かが見えた。こちらに向かって迫るく二つの光点。
それを確認し、唇が嬉しげに歪む―――瞬間、そこを突くように迫る触手。
「ちっ!」
それを掻い潜り再度移動。瞬間、眼前にモビルスーツを握り潰せるほどに巨大な手が見えた。
迫る手。それで叩かれただけでこの機体は終わる。自分は死ぬ。防御は間に合わない。攻撃も間に合わない。
不意打ち気味に放たれたその一撃に反応することなど出来はしない。どれほど機体に備え付けられたセーフティシャッターが強固であろうと、あれだけの巨大な質量の一撃を受ければセーフティシャッター自体は壊れずとも、中にいる人間は衝撃で昏倒する。
迫る拳。終わるという実感―――だが、不思議と恐怖は無かった。走馬灯も走りはしない。死への恐怖を感じられないほどに戦闘に没頭していたから――違う。死への恐怖を感じる“必要”が無いからだ。
迫る手を見て、フットペダルを反射的に踏み込み、機体を全速で後退させる。回避は間に合わない。
だが怖くは無い―――見えたからだ。分かったからだ。知ったからだ。
“保険”が間に合ったことを―――シン・アスカが来たことを。
「ようやく、来たか。」
呟き/上空から降り注ぐ幾つもの緑の光条―――続いて、朱い光条。眼前に迫り来る拳の表面で幾つもの爆発。装甲がバラバラと崩れ落ち、拳が動きを止めて後退する。
上空を見る。ディスプレイに映るモビルスーツ――陽光を反射し、キラキラと輝く太陽の如きモビルスーツ。
シン・アスカ/アカツキがビームライフルと両脇から伸びる巨大な砲身を構えて、そこにいた。
「遅いぞ、シン。」
至極当然のようにして、アスラン・ザラが呟いた。