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空想垂れ流し 61.此処より永遠に(c)

61.此処より永遠に(c)


 ペダルを踏んで回す。
 乗っているのは極普通の自転車―――いわゆるママチャリだ。
 普通ならついているであろう変速機も何もない、ブレーキがついたハンドルと前方に買い物カゴがついたどこにでもある何の変哲も無いママチャリ。カラーリングはド派手な赤色。

「・・・・また坂か。」
 前方に見えるのは結構な斜度の坂。車道を車が通って行く。それを横目で眺め、はあ、と溜め息一つ、ペダルに足をかけた。自転車が前に進む。
 だが、斜度が強い坂道――この先18%と書いてある看板が目に入った―――を変速機も無いママチャリで昇りきるのは殆ど不可能だ。
 漕ぎながら立ち上がり、体重をかけてペダルを踏み込む。
 そのまま右側に体重をかけて自転車が右側に傾き、左側に体重をかけて今度は左側に自転車が傾く。いわゆる立ち漕ぎだ。
 それを繰り返しながら坂道を登っていく。変速機が無いから息は直ぐに切れるし、ペダルだってずっと重いまま。
 アスファルトに足を置いた。

「・・・・アスランと喧嘩してるよりはずっと良いか。」
 そう呟いて、ペダルを再度踏み込み、自転車を走らせる。
 ――思考を少し前に戻す。
 孤児院でのやり取り。数日前アスランと再会して以来、彼は自分にオーブ軍に入れと毎日来ていた。いつもいつも何かと理由をつけては門前払いしていたが、今日に限っては腹を割って話すぞ、と孤児院の中に入ってきて、ずっと話―――と言うよりも口論を繰り返していた。
 思い出すのはその口論が終わった時のことだった。


「だから、何度言われても俺は嫌だって言ってるんですよ!!」
「シン、何故分からない!!お前にとってはそれが最も良い方法だと言ってるだろう!?」
「だから、それが嫌だって何度言ったら、わかるんだ、あんたは!!」
「お前が分からないから何度も言うんだろう!!」

 二十回目の繰り返し。話は平行線だけを繰り返す。正直、互いに何を言っているのか理解できていない気もする。
 周りで見ているはやてやドゥーエは既にこの繰り返しに飽きて、子供達と遊んでいる。
 キラは苦笑しながらパソコンの前でマウスを操作し、何かしている。ゲームなのだろうか。
 ラクスは一人顔を引き攣らせながら自分達を見ていた。
 ふと、彼女と眼が合った。にっこりと微笑み、自分を手招きしている。

「シン。」
 ラクスが呟いた―――アスランが無言で指で「行け」と示しラクスの元へ行くように促す。
 アスランから眼を逸らすとラクスの方にむかって歩いていく。その後ろでキラが、笑いながらこちらを見ていた―――正直溜め息しか出てこない。

(八神さんもドゥーエも・・・・・いきなり子供達と遊び出すとかどうなんだ、それ。)
「・・・・・なんですか?」

 知らず声が低くなった。胸の憂鬱がそのまま声に出たのかもしれない。ラクスはそんな声に構うことなく、一枚の紙と封筒―――中には紙幣が数枚入っていた―――を自分に渡し、呟いた。

「これとこれとこれを買ってきてくださいな。」

 紙に書いてあるのは日用雑貨と調味料が幾つか。しっかりと地図まで書いてある。

「・・・・俺が行くんですか?」
「シンなら元々住んでた訳ですし、私たちよりもよほど土地勘はあるでしょう?それに・・・・」

 ちらり、とアスランの方を見るラクス。苛々しているのか、机を指で何度も叩きながら右足で床を叩いている。

「・・・これ以上アスランと口喧嘩するのも嫌でしょう?」

 即座に頷く。
 これ以上あんな平行線の議論を続けたくもない―――と言うか、アスランと話をしたくない。言いたくは無いが自分も傍から見ればあれくらいには苛々していただろうから。

「・・・わかりました。」
「ええ、お願いしますわ、シン。街に行く時はあの自転車で・・・・それとこれ。」

 ラクスがエプロンのポケットから封筒を取り出して渡してきた。

「・・・・これは?」
「アスランからです。彼が管理している貴方の口座から引き出したそうで。」

 一瞬、言葉の意味がわからなかった。
 自分の口座からアスランが引き落とした―――何故アスランが自分の口座を管理しているのだろうか。
 まともに金を使うこと自体が少なかったからか、ミッドチルダに来る寸前まで自分の口座に入っていた金額は結構な額だった。
 それこそ、車の一台や二台は新車で買える程度の金額は楽にあった。

「・・・・・何で、俺の口座をアスランが?」

 疑問を口に出した。アスランが自分の口座を管理していると言うその事実に驚いたからだ。

「貴方が行方不明になってる間、貴方の口座を誰が管理するかと言う話になりまして・・・・それでアスランが貴方が戻ってくるまでは自分が管理すると言い出したのです。しっかりと定期も組んであると以前にアスランが言っておりましたわ。」
「・・・・・・」

 ちらり、とアスランに眼を向けた。今も変わらず落ち着きなく、机をトントンと人差し指で叩いている。
 定期まで組んで、しっかり管理している―――実にアスランらしい、と思った。
 恐らく本当に裏表無しで管理してくれているのだろう。
 定期預金まで組んで一銭も手をつけずに行方不明になった男が帰ってくるまで管理する―――確かに、シン・アスカの知るアスラン・ザラならそうするだろう。
 悪い人間では無いのだ。むしろ、人間的に見れば良い人間とさえ言えるだろう。お節介が過ぎるのと、人の話をまるで聞かずに自分で勝手に判断するというだけで。
 正直、どんな顔をすればいいのかわからなかった。感謝するべきなのだろう。けれど、素直にありがとうなどと言える訳も無い。金のことなどどうでも良かった。
 別にアスランがそれを使い込んでいたとしても文句は無い――むしろ、そちらの方が有意義な使い道かも知れないとさえ思う。

「・・・・とりあえず、それなら行ってきます。」
「ええ、お願いしますわ、シン。」

 にこやかに微笑みながらラクスが緑色の薄手のカバン―――買い物袋だろう――を渡してくる。それを受け取ると、溜め息を吐きながら呟いた。

「・・・・はい。」

 そのまま、扉に向かって歩く。アスランには声をかけない。かければ買い物どころかまた口喧嘩が始まりかねないからだ。
 だが、

「シン。」

 そんなこちらの思惑など知らずにアスランが自分に向かって声をかけてきた。

「・・・なんですか?」

 脊髄反射のように声が低くなり、瞳が鋭くなるのを出来るだけ抑える。先ほどの口座の件があるからか、アスランに対していつものような態度を取るのが躊躇われた―――けれど、

「あまり、使い過ぎるなよ?」
「大きなお世話だ、この薄毛野郎!!」

 そんなものはその一言で吹き飛んだ。
 ラクスとキラが苦笑する。子供達も苦笑する。はやてとドゥーエは呆れている。
 気恥ずかしさに駆られ、扉を開けてその場から足早に去った。
 ―――とにかく一言が多い男だ、と、そう思った。

「はぁ、はぁ、はぁ・・・・!!」

 息が切れ、汗が落ちる。
 空は青く、太陽は爛々と照りつけ、肌が焼かれていく。熱を吸収したアスファルトが空気を暖め、太陽からの照り返しが、気温を更に上げている。
 変速機の無いママチャリでの立ち漕ぎと高い気温と湿度―――体力がどんどんと奪われていく。体力だけは誰にも負けない自信があったが、モビルスーツも魔法も使わずにただ自分の力だけと言うことになれば、それほど一般人と違いは無いのだろう。
 パイロットと言っても人間であり、魔導師と言っても人間だ。
 “普通”とは違う部分があるから特別なだけで本質が人間である以上はそれほど変わる訳も無い。

「・・・・そうい、や・・・・ギンガさんは、違った・・・んだっけ。」

 漕ぎながら、思い出す―――彼女のことを。

「・・・フェイト、さんも・・・・そうだったな・・・!!」

 立ち漕ぎしながら、もう一人の彼女を思い出す。
 思い出すと、胸が騒いでいく。幻影がちらつくことにはもう慣れているが、それでもこの心にとってあの二人は劇薬のようなものだった。
 今はその事実を落ち着いて受け止めることが出来ている―――その程度には慣れたのだろう、その幻影にも。
 ルナマリアに溺れそうになったあの日からもう4日が経っていた。
 皆の様子は変わらない。
 キラはあの夜のことを誰にも言っていないらしく、誰も何も言わなかった。彼の自分に対する態度も変わらなかった。それからはずっとそれまで通りでいる。どちらもあの夜のことを口に出すこともなく、触れることも無かった。
 八神はやてとドゥーエは変わらずに子供の世話をしたり、家事手伝いをしている。
 はやてはあの夜、何かがあったことくらいは分かっているのだろうが無理にそれを詮索はしてこなかった。他にも彼女はパソコンを用いたり、デバイスを使って通信を行ったりと何かしているようではあったが。
 ドゥーエに至っては子供達の先生稼業を満喫しているようにしか見えないほどに楽しそうだった。
 自分は―――シン・アスカは何も変わらない。
 相も変わらず辛気臭い顔をして、黙々と作業に打ち込む毎日―――変わったことと言えば、前述したように幻影がちらつくことを受け止めて受け入れたことくらい。
 確かに幻影が見えるほどに自分の心は壊れているのかもしれないが、見えないはずものが見えるだけで日常生活には支障は無い。大体にして心が壊れているのは元々である。別に、今更それに怯えることも無いのだ。

「・・・・はぁ、はぁ、はぁ・・・!!」

 坂の勾配は今も変わらず18%―――要するに1mにつき18cmの落差があると言う勾配だ。言葉にすれば僅かに感じられる18cmと言う高さは実際の道路においては非常に急に感じられる。歩いて昇ることも躊躇するような勾配である―――少なくとも自転車なら大抵は溜め息をついて、押して歩くような勾配だ。
 故に余計なことに気を回している余裕はそれほど無い。だから漕ぐことに集中する。汗や吐気と一緒にそれまでしていたような雑多な考えを吐き出せとばかりにがむしゃらに漕ぎ続ける。
 その内に思考がスッキリとしていく。一つのことに集中することで余計で雑多な考えが記憶の引き出しの中に整理されていく。頭が真っ白になっていく。
 ―――気がつけば、坂が終わっていた。どれだけ漕ぎ続けていたかは分からない。時計を見れば数十分ほど経過していた。
 そこは慰霊碑だった。街に向かう為に必ず通らねばならない場所―――オーブ戦没者慰霊碑。
 こんなところまで毎日散歩に来ていると言うのであれば、ドゥーエは一体どれだけの距離を毎朝歩いているのだろうか―――そこまで考えて思い至る。
 彼女は自分と違って“魔法”を使えるのだ。魔法を使ったとすれば、確かにこの程度の距離は僅かなものに過ぎない。
 自転車を慰霊碑の前まで進ませて、止めた。足を下ろして、自転車をその場に止めて慰霊碑に近づく。
 あの日からまるで変わらない慰霊碑。汚れや小さな傷はあるものの“光景”としてはあの日とまるで変わっていない。
 慰霊碑に向かって歩いていく。

「ここは・・・あの日のまま、だな。」

 あの日の光景を思い出す―――何もかも失ったあの日のことを。
 慰霊碑の前で止まり、その思い出を幻視する。
 うな垂れる自分。笑っているキラ。笑っているアスラン。
 恐らく、今ならば違う光景になるだろう。そんな確信がある。
 キラ・ヤマトは変わった。以前のように薄っぺらな覚悟ではなく、本物の覚悟―――奪うことと奪われることを自覚し、今を生き抜いている。
 アスラン・ザラは――多分変わっていない。今も変わらずに訳の分からないウザったい男―――“志は高いが不器用で要領の悪い理想主義の先輩”そのままだった。けれど、 成長はしているのだろう。自分の為に定期をわざわざ作っている辺りで、そう思った。昔ならそういったことにまるで気付かない男だったから。
 そして、自分――シン・アスカはまるで変わっていない。今もあの日のまま、戦い続けているだけ。
 自分だけが変われていない―――置いていかれていると言うその事実に少しだけ寂しさを感じる。
 慰霊碑の横を通り過ぎて、崖の近くにまで歩いて行く。見える風景は海平線と蒼い空と金色に輝く太陽。

「俺は、今もあの日のまんま、か。」

 今、その場から一歩踏み出せば、確実に死ねる。
 死にたいならそうしたら良い。そうすれば少なくともこの胸の虚無も疼きも悲哀も憎悪も、全て消えていく。
 幻影がちらつくことも無い。惨めさに苛まされることも無い。
 崖の高さは10mを軽く越える。死ぬには最適だ。けれど―――一歩後退した。その崖から離れるようにして。

「今更・・・・死んでも、な。」

 死ねば―――自分は楽になれる。
 だが、それでは自分以外の誰かにきっと迷惑が掛かる。
 捜索に出る人間だっているだろうし、ラクスやキラの性格ならもしかしたら葬式くらいはやるかもしれない。
 そして、はやてやドゥーエにもきっと迷惑を掛ける。
 迷惑を掛ける以上は死ぬ意味など無い。
 だが、だからと言って生きる意味があるかと言われればそれも無い。力を失った自分に生きる価値などありはしない。
 死であれ、生であれ、それは一つの方向性であり、行きつくべき場所なのだ。
 自分にはソレが無い。だから、死ぬ意味も、生きる意味も、その両方の意味が分からない。

「・・・・・行くか。」

 自分は一体、何をしたいのか―――何も分からない。
 慰霊碑の周りに敷き詰められた黄色い花。それが風に吹かれて飛んでいくのが見えた。
 ―――吹き飛ばされた花。それをまた植えればいいと言った男。吹き飛ぶのが嫌だった自分。
 あの男は今ならどう答えるのだろう?
 自分は―――今も花がその場で綺麗に咲くことを望んでいる。
 けれど、花は風に吹かれて散ることで種を飛ばす。
 風に吹かれて散っていく花。それが自然の理なのだと風が囁いた気がした。

「・・・・どうしたいのかな、俺は。」

 呟いた途端、幻影がまたちらついた。幻影は今も視界の端で出現と消失を繰り返す―――微笑みを繰り返す。
 その微笑みがその答えを握っている。そんな気がした。多分、それは錯覚だろうけど。

「・・・・で、これで終わり、と。」

 呟きながら、買い物カゴに買ってきたモノが入った買い物袋を入れる。
 時間がかかるかと思っていた買い物はスーパーマーケット一店で事足りてしまい、予想よりもはるかに早く手持ち無沙汰になってしまった。
 時刻は既に正午に近い。
 今から真っ直ぐ帰っても恐らくアスランはいるだろう。わざわざそこに真っ直ぐ帰ると思うと憂鬱になってくる自分を感じる。
 買い物カゴを見る。ラクスに頼まれて買ってきたモノは調味料だけだった。生ものでは無いので別に腐る心配は無い。

「・・・・・少し、ぶらついてみるか。」

 少し離れたところにアーケード街が見える。自転車を走らせて、アーケード街の近くの自転車置き場に自転車を置いて、買い物かごを手にそちらへと向かった。

「・・・・・結構人いるんだな。」

 歩くこと数分。眼の前に広がるアーケード街は予想よりも賑わっていた。
 戦争から二年経った―――その戦争の傷跡はそこには無い。
 痕跡―――割れたままのガラスやひび割れた道路、崩れ落ちた遠方のビル―――は見え隠れするものの、雰囲気がまるで違う。
 この街も前に進んでいるのだ。時間は川の流れの如く、全てに等しく流れていくことを実感する。
 止まったままの自分。同じ場所に留まり続ける自分とは違うのだ――それが余計に寂しさを募らせる。

「とりあえず、何か見てみるか。」

 溜め息を一つ吐いて、頭から余計な考えを消し去る。
 まず、目についたのはエスニック調の建物。適当に扉を開けて中に入る木板の壁と幾つかのテーブル。壁には何着か女性物の服―――確かアオザイと言った民族衣装―――がかけられている。店内に入って目立っているのは二人組の男女――カップルが多くいた。互い互いに手を握り合って身体を近付けている。
 それを見ていると頭の奥底から何か得体の知れない感情が浮かび上がる。
 それは不快な感情ではなく、どちらかというと温かく優しく、そして悲しくて辛くて、でも大切な―――そんなイメージの感情。どこかで経験した覚えのある、けれどもう思い出せない遠い記憶の中にある感情。

(・・・・なんか変な気分だな。)

 その得体の知れない感情に戸惑いを感じる。
 彼らから眼を離す。感情の高ぶりは収まらない。どうやらカップルが理由と言う訳でもないらしい。
 気を取り直して、店内に置いてある品物に目をやった。
 その店は雑貨屋だった。アジアンテイストの服や鞄、装飾品、それ以外にもパイプや食器等様々な品物が揃えてあった。
 別に何を買うつもりもなく、それをただ眺めていた。
 気に入った品物があれば、手にとって見たり、広げて見たりした。

(案外楽しいもんだな、こういうの。)

 適当に時間を潰すだけのつもりだったが、案外楽しめている自分に驚く。そうして品物を眺めながら知らず知らずの内に時間が過ぎていった。
 ―――この服はあの人に似合いそうだ、この帽子はあの人に似合うな、このネックレスはあの人に合うかな、この鞄はあの人が使えばなあ。
 思い浮かぶ言葉の中心にいるあの人、と言う存在。それに気づかぬまま、時間は過ぎていき、そして―――気づく。

(何、考えてるんだろな、俺は。)

 シンが思い浮かべていた“あの人”―――ギンガ・ナカジマとフェイト・T・ハラオウンの二人。知らず知らずの内に、この服が似合いそうだとかこの帽子が似合いそうだとか、そんなことを思っていた。
 自分は、もう、どこにもいない二人にプレゼントでもしようというのだろうか。墓前に添えるとでも言うのだろうか―――葬式すら途中で切り上げて、帰って訓練に没頭していた自分にそんな資格があるとでも言うのだろうか。

「・・・・・はあ。」

 殆ど無意識に吐き出される溜め息―――ほぼ習慣に近い。
 溜め息は吐けば吐いた分だけ幸せを逃していくと言うが、現在自分の幸せはどれくらい残量があるのだろう?そんな馬鹿な考えが浮かんで消える。
 手にとっていた青色のアオザイ―――ギンガに似合いそうだと思った――と麦わら帽子――フェイトに似合いそうだと思った――を棚に戻して、店を出る。
 冷やかしだけで帰った自分にも店の主人は「ありがとうございましたー」と叫んでいた。
 正直、何か買って帰ろうかと思ったが、やめた。
 それを買ってどうするつもりなのだろう?
 滑稽な話だ。死人は何も喋らない。何も言わない。なのに、自分はコレが似合うだとか馬鹿なことを考えている。
 どうでもいい、と心中で繰り返す。何度も繰り返すことで滑稽な自分を嘲笑出来るように自分の心を整理する。
 そうでもしなければ、その思い出に引き込まれてしまいそうな自分がいたから。

(どうでもいいことだ。)

 ギンガ・ナカジマのことも。フェイト・T・ハラオウンのことも。
 二人を守れなかったことも。二人に返事を返せなかったことも。
 何もかもがどうでもいいことだ。

「・・・・どうでもいいんだ。」

 小さくつぶやき、心の落ち着きを取り戻す。
 自転車の方を見る。
 帰る前に海にでも寄っていこう―――そう思って、自転車に乗った。
 瞬間、偶然、目があった。
 ―――恐らく買い物をしているルナマリア・ホークと。

「―――っ!!」

 脊髄反射。考えるよりも早くペダルに足を掛けて、思い切り踏み込んだ。

「ちょ、ちょっとシン!?」

 答える必要はない。
 とにかく会いたくなかった。
 あの夜のことを思い出すと、情けないのか、申し訳ないのか、それらが入り混じった気持ちで胸が一杯だった。
 自転車のペダルを踏み込んで一気に速度を上げる。そのまま脱兎の如く全力でその場から逃げ出そうとする。
 ―――その時、ルナマリアの絶叫が聞こえた。もう何と言うか、色気もへったくれも無い絶叫が。

「きゃああああ、痴漢があああああ!!!」

 言葉の内容を理解した瞬間、眼が勝手に見開いて、同時に身体が動き出した。
 地面に足を押しつけ、両手を力一杯握り締めて全身全霊で急ブレーキ。
 勢いを殺し切れずに自転車が前輪を中心に回転(ターン)する。甲高い耳を貫くタイヤの摩擦音と焦げるゴムの匂いが鼻をつく。
 そのまま、ルナマリアがいた方向に向かって自転車を向けると、再度をペダルを踏み込んだ。
 さっきよりもはるかに強く全力全開で立ち漕ぎ―――景色が一瞬で流れていくような錯覚を起こすほどの加速。電柱に危うくぶつかりかけながらも何とか停止し、直ぐに降りて、ルナマリアの元に走っていく。彼女は地面に跪いて俯いたまま。

「どこだ!?痴漢はどこだ!?」

 辺りを見回してもそれらしい人間はいない。むしろ、大きな声で痴漢痴漢と連呼している自分を見る奇異の視線ばかり――その奇異の視線を睨み付ける。視線が勝手に逸れていく。

「ルナ!!痴漢はどこ行っ・・・・」

 言葉を言い終える前に自分の右手を掴む人肌の感触――彼女の右手に掴まれていた。
 にっこりと笑いながらルナマリアが呟いた。

「はい、捕まえた。」
「・・・・は?」

 掴まれた右腕が痛い――いきなり、力任せに引っ張られた。

「痛っ!?ル、ルナ!?ち、痴漢はどうしたん・・・・あいだだだだ!!!」

 彼女の爪が食い込んだ。マニキュアやネイルアートをする為に程よく伸ばされた女性の爪はある意味凶器のようなものだということを実感する。
 痛みに叫ぶ自分を無視してルナマリアが歩き出した。

「痴漢?そんなのいる訳ないでしょ?いたら、助け呼ぶ前に自分で殴り潰してるわよ。」
「なっ!?じゃ、じゃあ、さっきの悲鳴は・・・・」
「嘘に決まってるじゃない。あんた、馬鹿?さ、行くわよ。」

 爪を食い込ませたまま歩く彼女に引っ張られるようにして、自分も歩いていく―――と言うか連行されていく。

「ちょ、ちょっと待て、ルナ!!どこに行く・・・あいだだだ!!爪が!!爪が!!」
「あのね、シン。」

 ルナマリアがいきなり振り返る。

「私、怒ってるの、分かる?」

 眼と眼が合う。睨み付けられて、身体が自然と後ずさった。

「・・・・・ル、ナ?」
「久しぶりに会ってあんなことした私もどうかしてたと思うけど、あんな全力疾走して帰った挙句に、街で会ったらこれでもかっていうくらいに自転車で全力疾走して逃げ出されたら、そりゃ私も怒るわよ。そうでしょ?」
「・・・・ごめん。」

 歩きながら呟いた。
 確かに顔を見た瞬間に逃げ出すのは拙かったのかもしれない。

「・・・・まあ、いいけどさ・・・・・せめて何で逃げ出すかくらいは教えてなさいよね・・・っと、着いたわよ。」

 顔を上げて前を見る。どこにでもあるようなコンクリート造のビルだった。
 その一階部分―――そこに喫茶店ミネルバと書かれた看板が上がっている。扉には「CLOSED」と書かれた札がかけられていた。

「ここって・・・・」
「私の店よ。こないだ来たでしょ?」
「・・・・・そっか、ここ、あの時の」

 以前来た時は深夜だったせいか、今とは周りの風景がまるで違って見えていた――まるで気付かなかった。

「ほら、行くわよ。」
「あ、ああ。」

 促されるまま中に入る―――まだ開店していないからか、店内は薄暗い。
 ルナマリアが自分から手を離して、すたすたとカウンター内に入っていく。

「シンはブラックよね?」
「あ、ああ、ブラックで。」
「じゃ、そのままそこ座ってて・・・・逃げたら承知しないからね?」
「……分かった。」

 こちらが答えるのを確認すると、ルナマリアは棚から出したヤカンにミネラルウォーターを流し込んで火に掛ける。ヤカンを火に掛けている間に道具を棚から取り出し準備をしていく。
 てきぱきとした停滞無い動作。慣れているのがよく分かる――彼女と別れてから既に3年が経過しているのだ、と実感する。

「はい、これ。」

 そうして物想いに耽っている内にいつの間にかルナマリアがコーヒーを自分の前に置いてきた。透明感のある褐色の液体――いつも自分が飲んでいる缶コーヒーとは比べるのもおこがましい、真っ当なコーヒーだ。香ばしい良い香りが鼻腔をくすぐる。

「ああ、悪い。」

 呟いてコーヒーを手に取り、口をつけた。
 コーヒーが口の中に流れ込む。程よい酸味とコクが口内を走り抜ける。
 一口飲んでみて思わずほうっと息を吐いた。

「・・・・旨いな、これ。」
「ミネルバ特製ブレンドコーヒーよ、中々のもんでしょ?」
「ああ、これは旨い。」

 そのまま二口目。何度飲んでも変わらない旨さ。
 見ればルナマリアもコーヒーを入れていた。自分の分なのだろう。

「・・・・この店、今日は休みなのか?」
「まあね。今日は定休日なの。」

 ルナマリアはそう言ってコーヒーに口をつけた。
 そうして、沈黙が室内に満ちていった。
 コーヒーに口をつけては、呆っと室内を見渡す。片づけられた店内。カウンターの中の冷蔵庫に貼られたメモ。
 そうやって店内を眺めていると、不意に沈黙が破られた。

「それで、あんたは何でさっき私から逃げた訳?」

 コーヒーを飲みながら彼女が呟く。

「こないだ、言ったことと何か関係があるの?・・・・その、あんたがついこないだまでいた別世界とかに。」

 その問いに答えを返そうとして―――躊躇する。
 この間、ここから飛び出したのは“堪らなくなった”から――――二人の幻影が消えなくなったから。その微笑みが自分を苛み続けるから。
 先ほど、ルナマリアから逃げ出した理由は単純に後ろめたかったから――――時折現れる幻影への後ろめたさだった。

「さあ、どうだろうな。」
(・・・・考えてみればおかしな話なんだよな。)

 そう、冷静に考えてみればこれはおかしな話だった。
 二人は、死んだ。守れなかった。その責任は全て自分にある。だから、後悔するのは理解できる。死んだ二人はもう何も出来ないのに、自分はおめおめと生きている。そこに後ろめたさを感じるのならばそれで良い。
 けれど、あの時自分はそんな後ろめたさを感じたりはしなかった。
 ルナマリアに溺れる。それで全てを忘れる。自分を蔑むことで自分を保つという最低の行為。
 その時、自分は“それでいいのか”、と思った。
 それでいいのか―――つまり、その選択肢を選んでいいのか、と。

「・・・・・シン、話して。」

 ルナマリアには彼女たち二人のことを話してはいない。
 何となく後ろめたかった―――昔の恋人に、誰かから告白されました、なんて話をしたくはなかったから。
 だが―――すう、と息を吸い込んで吐き、コーヒーを口元に運び、口をつけ、一口飲んだ。
 ルナマリアに譲る気はないだろう。理由を知るまでは帰さない――そんな気持ちを感じる。
 どうして、そこまでこんな話を聞きたいのか。
 疑問は浮かぶが、心の底から湧き出た一つの言葉がその疑問を掻き消していく。

(どうでもいいか。)

 覚悟ではなく諦念によってシンの判断が確定する。

「理由、か。あるとすれば・・・・・・・」

 口を開いて放たれる言葉は―――多分自分の惨めさを酷く加速させるだろう。

「前にも言ったけど、あっちに行った時、初めはさ、正直死にたかったんだ。こっちで殺されたのは多分平和の為だった。俺みたいな人間はこっちにいたんじゃ、ずっと火種でしかないから・・・・・俺は納得してた。後悔はあったけど、死んでもいいかなって思った。」

 死にたかった、と口に出した辺りからルナマリアの視線が険しくなる。構わず独白/自嘲を続ける。

「で、向こうに行って、俺は死に場所を奪われたって思った。あそこで死んで終わるつもりが、気がつけば終わることなく続いてたから、余計にそう思った。ゴールしたと思ったら、実はそこはスタートだったって感じだった。」

 知らず視線が天井に向かう。目を閉じた―――浮かび上がるその頃の思い出。明瞭に、明確に。まるで夢でも見ているみたいに。

「・・・・それであの人に助けてもらったんだ。」
「あの人?」
「・・・・・ギンガっていう女の子だ。その子に俺は助けられて、目的を見つけた。」
「目的・・・・ああ、守ること、だっけ?」
「ああ。今度こそ、こっちじゃ出来なかったことをあっちでやろうって。それで俺は魔法をそのギンガ―――ギンガさんに教えてもらって」

 呼び捨てはどうにもしっくりこなかったので言い直した。それを見てルナマリアが苦笑する。

「・・・・あんた、子供にさんづけしてたの?」
「なんかさ、お節介なお姉さんって感じの子だったんだ。だから、さんづけしてた。年は、俺より一つ下だったんだけどな。」

 話を続ける―――不思議なもので話したくないと思っていたのに、語り出すと滑らかに口が動いていく。
 本当は、誰かに語りたかったのかもしれない。何の為に―――そんなことは分からないけれど。

「それでフェイトさんと出会って・・・・」

 聞きなれない名前にルナマリアの眼が細まった。

「フェイト?」
「俺の一応直属の上司っていうことになって、一緒に仕事してた。」

 思い出す光景。クラナガンでのフェスラとの出会いの前から彼女は自分に良くしてくれていた。
 どうしてあんなにも自分のことを構ってくれていたのかは分からなかったけど―――思い出す笑顔はいつも綺麗で朗らかで。

「その二人は、今も向こうにいるの?」
「死んだよ。殺されて―――俺が守れなかったから死んだ。俺が殺したようなもんだった。」

 瞳を開く。二人の顔を思い出す。明確にその思い出は再生される。
 二人の幻影は今も視界の端っこで笑っている。
 その幻影が示す意味は―――慰められたいのかもしれない。
 シン・アスカは悪くない。悪くない。誰かを守れなくても仕方ないんだ、と。
 守れなかったことへの言い訳に自分は彼女たちの幻影を使っているということ。

(だとしたら、最低だな。)

 吐き捨てるように心中で呟く。

「理由は、それだよ。二人の顔が消えないんだ。忘れようとすると酷く頭が痛くなる。・・・・消えないんだよ、その二人の幻影が。もうどうでもいいって思ってるのに、消えないんだよ」

 支離滅裂な言葉の羅列。どこにも繋がらないばらばらの言葉たち。

「それが、原因?」
「・・・・多分。」

 そこまで語り通して、沈黙が満ちていく。
 ルナマリアからの返事は無い。あの日から一歩も前に進まない自分のことを呆れているのかもしれない。
 そう思うと少しだけ気が楽になる。
 正直、誰かに嗤われた方が気が楽だったから。

「あの二人はさ、俺なんかに関わっちゃいけなかったんだよ。」

 呟き、唇を歪めて嗤う。

「俺に関わったせいで殺された。俺がいたから殺された。」

 口を開く度に声に力が籠っていく。

「俺がいなかったらあの二人は死ななかった。俺がいなかったら幸せに暮らしてたはずだ。俺がいなかったら――」
「シン、ちょっといい?」
「・・・・・え?」

 頬に衝撃/痛みが走る。揺れる視界。ゴキ、と言う音が脳髄に響き渡る―――気がつけば目の前に床。鼻から床に突っ込んだ。
 椅子が倒れて、テーブルを巻きこんで、がらがらと音を立てて崩れていった―――そこまできてようやく気付く。自分がルナマリアに殴られたことに。彼女が右拳をストレッチでもするように、ぶらぶらと振っていた。

「・・・・いきなり、何するんだよ、ルナ。」

 知らず声が低くなる―――胸の奥で湧き上がる苛立ち。
 左頬がずきずきと痛い。
 唇を歪めて自分を見下ろすルナマリア。アカデミーでも、ミネルバでも、溺れていた時も、そんな彼女を見たことはなかった。

「分からないの?」

 こちらを見下ろしながら彼女が呟いた。

「・・・何が、だよ。」
「いじけて、良い気になってるからわかんないのか、それともそんなことも分からないくらいに、その女達に腑抜けにされちゃったのか。」

 自身を射抜く冷たい瞳―――胸の奥の方でギシリ、と音が鳴った。

「おい、お前今何て言った。」
「聞こえなかったの?それなら何度でも言って上げるわ。」

 見下ろしながら、嗤いながら、ルナマリアが口を開いた。

「今のあんたは腑抜けだって言ってんのよ。一人で不幸面して慰めてもらいたいようにしか見えないわね。」

 唇を歪めた嗤いを見て眉間に力が入り、瞳が尖っていくのを感じる。奥歯を噛み締めて、必死に自制する―――今にも殴りかかりそうな自分自身を。
 だが、

「大方、その女たちに甘やかされて、そんな腑抜けになっちゃったんじゃないの?」

 ―――そんな自制はその言葉で全て吹き飛んだ。
 考えるよりも早く身体が動く/殆ど反射的な動き―――肉体に刻み込まれた鍛錬の証。
 左足を踏み込み、右拳を突き出す。目の前の人間が女だとか戦友だとか昔の恋人だとかそんなものは頭の中から掻き消えた。
 脳が肉体に送る指令は厭らしげに歪んだその口を閉じさせることだけ。

「―――忘れたの?」

 呟きと同時に今度は右頬に衝撃。拳で殴られた実感/その拳がまるで見えなかった。
 意識が揺らいで消えて地面に頭から突っ伏し、四つん這いのような態勢になった。

「あ、ぎ・・・!?」

 ずきん、ずきん、と割れそうなほどの頭痛が走る。膝に力を入れて立ち上がる―――力が入らずにかくん、と折れて再び四つん這い。
 右腕が何か腕のようなモノに挟まれたような実感があった。打ち込まれた一撃は恐らくクロスカウンター。

「私も赤なのよ?今のアンタに負けるほど落ちぶれて無いわよ。」

 そう言って、ルナマリアは再びこちらを見下ろす―――湧き上がる感情は憤怒。殺意すら込めて彼女を睨み付けた。

「・・・・取り、消せ、今の、言、葉・・・・!!!」
「なんで怒ってるの?別にどうだっていいんでしょ?」

 軽い口調で続けるルナマリア。
 加速する苛立ち。憤怒。怒りのあまりに握り締めた手の爪が指に食い込んでいく。痛みすら感じ取れ無いほどに。

「どうでも、いいだ、と・・・?」

 真っ白な頭が勝手に言葉を紡ぐ。
 脳が勝手に彼女達の微笑み――――世界で一番大事で何よりも大切なその微笑みを再生する。

「あんた、さっきそう言ったじゃない。どうでもいいって。」

 床に手を突いて立ち上がる。膝に力が入らない。立ち上がることすら難しい。
 ―――だから、何だ。立ち上がれ。気合を入れろ。そんな力が入らない程度で、彼女達を汚させるな。
 椅子やカウンターテーブルを掴んでありったけの力で引っ張り、支えにして立ち上がる。
 ぜいぜい、と息を切らしながら立ち上がる。膝は揺れっぱなしで頼りない。生まれたばかりの小鹿でもまだマシだと思えるような挙動の頼りなさ。
 それら全部を頭の中から追い出して、必死に立ち上がる。
 ルナマリアは今も自分を見ている―――きつく、睨み付けるようにして。
 どうでもいい、と確かにそう言った。自分はさっきそう言って、自分自身を嘲笑した。けれど、それでもそれを看過する訳にはいかない。自分のことなんてどうだっていい。許せないのはそんなことじゃない。
 唾を飲み込み、逆に睨み返す。絶対逸らさない。何があろうと逸らすのは駄目だ。今ここで逸らせば一生何かを後悔する。一生自分は■■になんてなれない。
 だから、全身全霊を込めて、睨み付けて、叫んだ―――そんな事実を認めたくなかったから。

「―――いいわけ、ねぇだろ!!!」

 ルナマリアの表情が僅かに歪んだ―――気にする余裕などどこにも無い。
 そんな余裕など沸騰した脳髄のどこにも置いておく場所は無い。

「ああ、そうさ、俺は馬鹿でくそったれで、死んじまった方が良いような人間だ!!」

 放たれる言葉は叫びの如き吐露。鬱屈した心情の奥底の欲望そのもの。

「けどな・・・・それでもなぁ!!」

 腹の底から、心の底から、叫んだ。

「あの二人はそんな馬鹿でくそったれな俺のことを信じてくれたんだよ!!」

 そう叫んで睨み付けた視線を逸らさない―――ふっと、ルナマリアがどこか寂しげな感じで“微笑んだ”。

「何よ、全然腑抜けになんかなってないじゃない。そんなに本気で怒れるんだったらさ。」

 嘲笑が消えた。視線から棘が消える。

「ル、ナ・・・?」
「まだ、わかんないの?・・・・あんたはね、惚れてんのよ、その二人に。失くしたら、頭おかしくなるくらいにね。」

 苦笑しながらこちらを見る―――一瞬言葉の意味が理解出来なかった。

「・・・・え?」

 はあ、と溜め息を一つ吐いてルナマリアが話し出す。

「惚れてるって言ったのよ。昔の女の前で今の女の惚気とかちょっとは考えて喋りなさいよね。しかも二股とか・・・・副長が聞いたら、このリア充とか言って血涙流して襲ってくるわよ?・・・ったく、何で私がこんなこと・・・・」

 そう言ってルナマリアがカウンターの中に戻っていく。

「・・・俺が、あの、二人、を・・・?」

 膝から力が抜けて、床に腰を落とした。
 知らない内に自分はいつも彼女達のことを考えていた。
 後ろめたいとか思ってるということは、自覚があった訳で――――自分は、当の昔に惚れていた、のだろうか。

「・・・・毎日毎日、思い浮かべてる女がいたら普通は惚れてるって自覚するもんよ?はい、これ。」

 左を見ればルナマリアが新たなコーヒー―――アイスコーヒーを自分の傍に置いていく。殴られたせいか、口の中が切れていたので正直アイスコーヒーはありがたかった。

「殴ったお詫びってことで、お昼くらいは作ったげるわ・・・・・それまで、それでも飲んでなさい。絶対に逃げんじゃないわよ?」

 ぎろりと、睨み付けられて苦笑する―――もう、別に逃げる必要は無い。
 全身の力を抜いて床に寝そべった。見える天井は以前とは違って見える。今が昼間で光があるからか、それとも他の理由なのか―――多分両方だろう。

「・・・・とっくの昔に惚れてたってことか。」

 小さく、呟いた。
 失ってからそのことに気がつくのも馬鹿な話しだ。無様な話だ。
 手に入れた返事―――答えを伝える相手はもういない。
 悲しい、と思った。悔しい、と思った。
 だけど―――胸に生まれたこの気持ちは何なのだろうか。
 辛さと苦さを生み出しながら、同時に暖かさを生み出すこの気持ちは。

 ―――貴方が好きです、シン。
 ―――私、シンが好きだから。

「・・・・二人の女に本気で惚れる、か。確かに馬鹿だな、俺は。」

 薄っすらと微笑んで―――もう、届かない答えを呟いた。
 二人のことが好きだった。
 ギンガ・ナカジマに惚れていた。
 フェイト・T・ハラオウンに惚れていた。
 いなくなったことが悲しかった。守れなかったことが悔しかった。
 ―――好きだから。
 たとえ、彼女達のことを何も知らないとしても、上辺だけで惚れたのだとしても、惚れていることに違いは無い。
 別に、そこに間違いなんてなかった。
 誰かを好きになることに間違いなんてないのだから。
 ―――それが正解なのかどうかは分からない。多分、そんなことはどうでもいいのだ。
 そうして、瞳を閉じて、意識を落とす。
 ルナマリアの声はまだ聞こえてこない。聞こえてくるのはトントンと包丁を叩く音と何かを煮ている音。

「・・・・ああ、悔しいなあ。」

 そう、呟いて、シン・アスカは一人そこで寝そべっていた。
 涙は―――まだ毀れていなかった。毀れそうだけど堪えていた。
 涙を流すにはまだ知らないことが多すぎたから。
 ―――涙を流すなら、一人で。そう、決めていたから。


「だから、俺の元で働けと言っているだろう、シン!!」

 どん、とコップを置いた瞬間テーブルが揺れた。

「いいか、俺がどれだけお前のことを待っていたと思っている!!ルナマリアだってな、お前のことをずっと・・・」

 そう言いつつ、手酌で自分のコップにワインを注ぐアスラン・ザラ―――顔は真っ赤で眼もかなり充血している。恐らくそれほど強くないのだろう。コップを煽るスピードはそれほど速くないと言うのに既にふらついてきている。
 その対面辺りで非常にうざったそうにアスランに付き合う男―――シン・アスカ。

「ああ、もう、キラさん、このうるさいの引き取ってくださいよ!!」

 キラに向かってそう叫び、自分もぐいっとウイスキーを一息で飲み込む。
 アスランにワインを独り占めされたので、仕方無しにウイスキーをコップに注いで“煽っている”。アスランに対してシンの飲むペースは異常を通り越して魔的だ――と言うか殆ど馬鹿だ。
 ワインのアルコール度数は凡そ25度程度。それに対してウイスキーのアルコール度数は40度を越える―――少なくとも“煽る”ように飲んで大丈夫な代物では無い。

「まあ、観念しなよ、シン。アスランも久しぶりに羽目外してるみたいだし、しばらく付き合ってあげてよ・・・おっと、そろそろボクの番か・・・・次、どれ切るかなー。」

 パソコンの画面を眺めながらネット麻雀をしている青年―――キラ・ヤマト。コップの中には透明な液体――恐らくは日本酒が入っている。キーボードの横に置いてある一升瓶のラベルには「大吟醸皇武」と書かれている。それを一口一口味わうように飲んでいる。
 その横ではドゥーエと子供達がジュースとホットケーキミックスを片手にホットケーキパーティをしていた。

「皆、美味しい?」
「美味しい!!」
「最高!!」
「ドゥーエせんせい、ボク今度はほっとけーきあらもーどが食べたい!!」
「よし、皆頑張って作るわよ!!」

 そう言って蜜柑と黄桃の缶詰を開けて、ホットケーキミックスを混ぜ始める。
 片や男三人がだらだらと各自酒を持ちながら、各々ダラダラと飲み続け、片や子供と女がホットケーキをこれでもかこれでもかと言わんばかりの枚数を焼き続ける。

「・・・・ラクスさん、この家でやる飲み会ってこんなんなんですか。」
「いえ、初めてですわ。この家でこんなパーティなどするのは。」

 とんとん、包丁で野菜を細長く切って野菜スティックを作っているラクス。恐らくツマミを作っているのだろう。皿には味噌とマヨネーズが添えられている。

「でも、キラもアスランも楽しんでるようですし・・・・正直、こんなに賑やかだと楽しくて嬉しくなりません?」

 はにかむようにクスクスと笑うラクス。そうしている間にもツマミが一つ一つ出来て行く。
 野菜スティックを作り終えると次はアスパラやネギ、ワケギを薄切り牛肉で巻いていき、一つ一つ皿の上に並べていく。
 ガスコンロの上に置かれた鍋ではポトフと肉じゃが―――こちらは自分ガ作った――が煮込まれている。

「・・・いや、まあ、それはそうなんですけど・・・・」

 はやては唇を引くつかせ苦笑しつつも手を動かす。彼女もラクスと同じくツマミ係だ。細切りにしたネギとニンニクの芽を卵と薄力粉と水で解いた生地に絡めて、フライパンで焼き上げている。
 じゅうっと生地が焼ける音がし、香ばしい匂いが漂っていく。最後にごま油を鍋肌から回しかけて生地をカリッと仕上げ、フライ返しで仕上がった一枚ずつを更に盛っていく。フライパンを空にするとチヂミを乗せた皿を持ってテーブルの前へと移動する。
 ラクスがそれを見て先ほどの野菜を薄切り牛肉で巻いたものを乗せた皿を持ってフライパンの前に移動する。

「・・・せやけど、シンの奴なんか帰ってきてからサバサバしてますね。」

 チヂミを盛り付け、新たに棚から出した小鉢に醤油とごま油とコチュジャン――チヂミのタレである―――を入れて混ぜ合わせながら、ラクスに話しかけた。

「もしかしたら、何か良い事あったのかもしれませんね。随分と明るくなった気がしますし・・・あ、はやてさん、チヂミが出来たなら一緒にこれも持っていってもらえます?」
「はいな。」

 軽く呟いてチヂミと野菜スティックが乗せられた皿を持って、シンたちが騒いでいる部屋へと向かう。

「・・・・・どうする。この局面から・・・駄目だ、これ絶対に通らないよ。」
「シン!!聞いているのか!?」
「・・・・あんた、何で置き物の熊に向かって喋ってるんだ。」
「・・・もうグッダグダやな。」

 苦笑しながら、テーブルの上に皿を置いていく。

「ほら、皆ご飯出来たでー!」

 言葉と同時に皆が寄って来て食べ始める。
 キラは一人黙々と野菜スティックを齧りながら、

「・・・・クールだ。クールになるんだ、キラ・ヤマト。よく言うじゃないか。狂気の沙汰ほど面白いって・・・クク・・・ククク・・・・」

 どことなくザワザワという擬音が聞こえてきそうな雰囲気でマウスを操作し捨て牌を決めた――その後ろでそれを眺めていた子供――アルが呟いた。

「あ、それ通らないよ、おとーさん・・・・ああ、やっぱり。」
「何で―――!?」
(・・・・あれは親子の語らいっていうんやろか。)

 頭を抱えて子供達に笑われているキラ。それを横目に今度はアスランを見る。

「うん、そうだ。分かってくれたか、シン!俺はずっとお前とまともに話をしたかったんだ・・なのにお前はいつも俺を見るなり睨みつけては、皮肉を言って・・・・俺は悲しかった、悲しかったんだぞ、シン!」

 ワインをラッパ飲みしつつチヂミを齧り、相変わらず熊の置き物にぶつぶつと語り続けている。
 どう見ても背中がすすけているのは何故だろうか。というかアレがシンに見えている辺り彼の視界も確実に狂ってる。終いには泣きながら熊の置物に肩を絡め、明日に向かってレッツゴーとか言っている。
 流石にこれはやばいんじゃないかとはやてがアスランの看病をしに、近づこうとした時、玄関から外に出ていく人影を見た。

「・・・・シン?」

 出ていったのはシン・アスカ―――自分にとって、何よりも期待し、放っておけない相手。自分の傍にいなければ“気が済まない”存在。

(・・・・どこ行くつもりや?)

 彼が飲んでいたコップにはウイスキーは既に残っていない。ボトルを見れば琥珀色の液体は既に残っていなかった。

(こ、これ全部、一人で飲んだんか?)

 自分にしてみれば致死量とも言える酒量である。流石に背筋が寒くなった。酔いというのは人の心を素直にさせる。
 心のタガを外して、壁を消して、本音を話させて、通常ならやりもしないことを行わせる―――無論、それが良い方向ならば良いが、得てしてそうとは限らない。
 今日の朝までのシン・アスカを思い出す。陰鬱そのものと言ってもいい彼を。
 ―――それが嫌な予感を想起させる。酒がタガを外させて、普段なら“思いとどまる”ことを“思い留まらせなかったら”――――嫌な、予感がした。

「・・・・・行かないの?」

 びくっと振り向く。ドゥーエが背中越しに呟いたのだ。

「な、なんや、いきなり。」
「心配そうにしてたからね・・・・さっさとついていったらって思ってね。」

 そう言って、コップの中にある小麦色の液体―――ビールを口に運ぶ。左手にはチヂミとホットケーキが所狭しと並んだ大皿を持っている。

「給仕くらいは私がやっててあげるから、さっさと見てきなさいよ。」
「・・・・・あんた、案外ええ奴やな。」
「・・・・うっさい。さっさと行ってきなさい」

 頬を朱に染めてドゥーエが呟く。その朱はアルコールによるものか、それとも照れくさいからか。
 彼女は皿とビールを持ったまま、台所に入っていく。

「・・・・まあ、そんなアホなこともせんと思うけどな。」

 玄関の扉を開けて、外に出た。
 もし、自分の予想通りならば多少強引な手管―――それこそ引っ叩くだけで無理なら、効果の有る無しに限らず考えられる全ての手段を使う必要もあるかもしれない―――そう思って。


 月光冴え渡る蒼い夜。月の光が砂浜を照らし、潮騒の音だけが鳴り響く海辺―――孤児院から少し離れた砂浜だった。
 シン・アスカはそこで、両手を頭の後ろで組んで枕代わりにし、空を見上げて寝そべっていた。
 服が砂で汚れることも気にしてはいないようだ。
 自分――八神はやては歩きながら近づいた。心配していたこと――入水自殺などと言う馬鹿なことをするつもりは無いようだった。その事実に安堵する。
 もし、そんなつもりならば籠絡や無理矢理な既成事実の作成、その他考えられ得る全ての手管を使って、止めるつもりだったから――流石にそういうコトはしたくは無い。

「・・・・何しとるんや?」
「八神さん、か・・・・・いいんですか?向こうにつき合わなくて。」

 寝そべるシンの隣に腰を下ろす。海からの風が心地よく肌を流れていく。多少なりともアルコールを口にしていたからか、僅かに身体は火照っているから余計にそう思う。

「ドゥーエが代わりに手伝ってくれるって言うてね。一休みしに来たんや、私も。」
「…そうですか。」

 その一言を最後にシンは何も言わず、空を眺めていた。
 自分も同じく隣に座って空を見た。
 月明かりが照らしながらも見える星空。
 こちらに来てから何度も見た星空―――未だにその空の鮮明な輝きに圧倒される。
 どちらも言葉を発さない。
 話す必要などないくらいに通じ合った仲ではないから、タイミングが掴めないのかもしれない。少なくとも自分はそうだ。
 聞きたいことはあった。
 どこが変わったかは分からないが、隣で寝そべっている男はどこか変わったと思う。
 何が違うのかと言われれば即答は出来ないが―――以前まであった鬼気迫る雰囲気、もしくは張り詰めた緊張感。そういったモノが和らいだように感じる。スッキリした、という感じが一番近いのかもしれない―――何がスッキリしたのかは分からないが。
 何か良いことがあったのだろう、とラクスは言った。
 仮にそうだとしたら何があったのだろうか。聞きたいことがあるとすればそれだった。
 沈黙――それほど時間は経っていないだろうに、かなり長く感じる。
 たまらず口を開いて声をかけようと思った矢先、それに先んじてシンが口を開いた。

「・・・・二人のこと話してくれませんか?」

 朱い瞳は今も変わらず空を眺めたまま、声を出した。

「シン?」

 戸惑いを感じた。
 自分の知るシン・アスカならば“絶対に”聞かない類の質問―――誰かのことを知りたい、と。
 シンが続ける。

「俺、あの二人のこと何にも知らないから・・・・だから、教えてほしいんです。」

 言葉を切って、続ける。視線は今も空を見て―――その先に何を見ているのかは分からない。思い出を見ているのかもしれない。

(・・・・これ、は。)

 それは、ある意味信じられない変化だった。
 他人への興味を薄れさせ、全てを同一に見て、全てを守ろうとした大馬鹿野郎。その結果として誰も守れずにその責任を背負い込んで、自身を追い詰めていった男。
 口を開くのが躊躇われた。それは、変化などと言う一言で纏めるには信じられないほどに“劇的な変化”だったから。
 シンが起き上がり、自分に目を向けた。朱い瞳に“虚無”が無い。あるのは、真っ直ぐな欲望と静かな意思。

「なんで、知りたい、と思ったんや?」
「あの二人が好きだからです。だから―――もう、二度と忘れたく無いから。」

 そう言ってシンは自分を見つめた。まっすぐ、目をそらさずに。
 ――少しだけ寂しくて、そしてそれ以上の嬉しさを感じ取った。
 口元が不敵に歪むのを止められない。胸の奥で沸き立つ熱い何かが生まれていく。心臓の鼓動が大きくなっていくのを実感する。
 何があったのかは知らない。どうしてこうなったのかは分からない。これが待ち望んだ変化なのかどうかは分からない。だが、これは良い。これは最高だ。
 ――男が立ち上がり出す瞬間がこれほどに“痺れる”モノだなんて知らなかった。

(あかんな、惚れそうや。)

 冷静に心の中で呟いて、はやては話し出す。心中の様子など一切外に出すことなく。

「・・・・ええよ。教えたげるよ、あの二人のこと―――うん、君が惚れた二人のことを。」

 口を開き、話し始めた。
 自分とフェイトの出会い。そして、彼女の生い立ちや彼女がどう生きてきたか。執務管となる為の努力。そして、ゆりかご戦。それから今に至るまで。
 自分とギンガの出会い。彼女の生い立ちと境遇。両親のこと、彼女自身の存在について、そしてゆりかご戦で敵になって戦ったこと。それから今に至るまで。
 それは彼女たちの全てを表す記憶ではない。
 四六時中一緒にいた訳でも無いので当然ではある。
 それは八神はやての記憶。フェイト・T・ハラオウンという親友とギンガ・ナカジマという後輩の記憶。
 それは、シン・アスカの知らないフェイトとギンガ。彼が知る筈のない思い出。
 シンはじっと静かにそれを聞いていた。十分、二十分。時間はどれだけだろう。気がつけば、シン・アスカは泣いていた。

「・・・・シン。」

 静かに、ではない。泣いて喚いて叫びそうな慟哭を、必死に押さえつけて、嗚咽している。
 ボロボロと涙が落ちていく。鼻水も出ている。かっこ悪い泣き顔。身体を震わせて、叫ぶのを我慢して、それでも涙が止められない。
 そんな子供のような泣き顔。

「・・・・・」

 手を差し出し、彼の肩に手を回そうとする。自然な動作。考えてのものではなく、その泣き顔を見ていたら反射的に抱き締めようとしていた―――けれど、シンの身体が動いた。自分の手から逃げるようにして離れていく。

「・・・・触らないでください。」
「・・・・シン?」
「今、触られたら・・・・縋りつきそうだから・・・だから、今は」

 嗚咽しながら、途切れ途切れに言葉を零す。
 何故か、その姿を見ていると胸の奥が締め付けられるように痛くなる。

「泣くだけ泣いたら・・・・元気になるんやで。」
「はい・・・。」

 言って、立ち上がり、振り返った。
 背中越しに聞こえる嗚咽交じりの泣き声。
 振り返りそうになる自分を必死に抑えて、その場から歩いていく。
 多分、シンはそれをこそ望んでいるから。
 そうして、数百mほど歩いたところだろうか。人影を見つけた。

「・・・・盗み聞きか?」
「・・・・そうね。」

 答えたのはドゥーエ――シンを騙した敵の女。
 彼女はじっとシンの方向を見つめている。戦闘機人という出自から、恐らく彼女にはシンの泣き声や泣いている姿は見えているのだろう―――優しげで、寂しげで、少しだけ悲しそうな顔で彼女はシンを見つめていた。

「けど、意外やな。」
「何が?」
「こういう時、嗤うような奴やと思ってた。」

 そう呟いて、ドゥーエはため息を吐いて肩をすくめた。

「・・・・本当は嗤ってやろうと思ったんだけどね、嗤えないのよ。」

 口元が笑おうとして震えている。いや、口元だけではない――彼女の身体中が震えていた。

「・・・・泣いてるアイツを何とかしたいってね。この身体が言ってるのよ。」

 悔しそうにドゥーエは顔を歪め、砂浜に膝を突き、そして呟いた。

「・・・・これは、一体誰の気持ちなのかしらね。」
「それもドゥーエの気持ちやろ?」

 ドゥーエの金色の瞳が八神はやての方を向いた。二人の目と目があう。絡み合う金色と茶色―――八神はやてが優しげに微笑んで、呟いた。その微笑みはどこか母親のようで――

「人間だったら、色んな面があるやろ?それと同じや。ドゥーエがどんな人に変わってもドゥーエはドゥーエのままや。そんな不思議なもんやないよ、それも。」
「・・・・これも、私?」
「・・・・自分のことやからって、完璧に把握できるもんやない。皆―――私かて、そうや。だから、きっとそれもおんなじや。」

 振り返ってシンの泣いている方向を見る―――一瞬だけですぐに振り返って、彼女は再び歩き出す。

「・・・・ほな、私行くわ。」

 八神はやてはそう言って、その場から去っていく。
 ドゥーエはその後ろ姿をしばし見つめて―――立ち上がり、彼女もシンの方向をもう一度見た。
 空を見ながら泣いている男。格好悪くて、無様で、惨めで―――けれど、何故かその姿は心を騒がせる。

「これも・・・・私の気持ち、なの?」

 声は闇に溶けて消えていく。答える人は誰もいない。当然だ。それは、自分自身の中からしか掴み出せない答えなのだから。
 そうして、彼女もまた歩き出す。今しばらくの仮宿―――子供たちのいる場所へと。
 そこに、答えがあるような、そんな気がして。


 ―――夜の空、満月が綺麗だった。
 泣いて、喚いて、叫んで、泣いて―――どれほど泣いていたのかは分からない。
 一時間は泣いていたように思う。もしかしたら、数十分程度かもしれない。
 仰向けに寝そべって、両手両足を大の字に広げ、空を眺めた。

「・・・・今度そっちに戻ったら、墓参りにでも行きますよ。」

 心の中ではなく外に向かって声を吐きだす。

「・・・・俺は、もう少し生きてみます。あんたらのこと、忘れないように。」

 ―――懐でデスティニーが朱く明滅していた。彼はそれに気づかず、手に入れた答えを反芻する。


 同時刻。オーブ洋上。

「くそっ!!こいつは一体何なんだ!!」
「艦長、船がどんどん海の中に引っ張り込まれています!」
「モビルスーツ隊はどうした!?」

 艦長と呼ばれた男が大きく叫んだ。慌てて通信士が通信を送る―――通信士の顔が青色に染まる。

「ぜ、全機撃墜されて、います。」
「くそったれ・・・!!」

 オーブ海軍イージス艦の艦長に就任して以来、こんな経験など彼には無かった。
 いや、そんな経験をした者などは有史以来存在しないだろう。
 モビルスーツとの戦いとも戦艦との戦いともまるで違う、こんな“化け物”がいるなど想像したことも無かった。
 嵐の夜。荒れ狂う海の波間から船を絡め取るようにして、現れる触手(ケーブル)。
 昔話に出てくる化け物――大海蛇(シーサーペント)のように、それは船に絡み付き、侵食していく。
 そして、それら触手(ケーブル)の中心で。洋上に浮かび続ける青と黒のカラーリングのモビルスーツ――――もはやそれがモビルスーツなのかどうかすら疑わしいものだが。
 モビルスーツが右手に構える巨大な黒い物体―――ビームライフルが艦橋に向けられた。砲口に灯る紅い光。

「か、艦長―――!!」
「お、面舵・・・・」

 言葉を発する前に艦橋を紅い光が貫いた。
 黒煙が上がり、イージス艦の艦橋が爆発。続いて、モビルスーツの身体のそこかしこから生まれた触手(ケーブル)がイージス艦を貫き、内部に侵食して行く。
 まるでミミズが泥を食い破るようにして。

『ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙、ア゙ア゙ア゙ア゙・・・・・・』

 それは、ヒトガタ。
 それは、科学と魔法が融合した悪魔のようなヒトガタ。
 それは、モビルスーツ・レジェンド。
 それは、ただ一人モビルスーツとして、魔法を使えるようになった最悪の魔導機械(デウスエクスマキナ)。

『ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!!!!!』

 それは――レイ・ザ・バレルのなれの果ての姿。

 物語は、今、加速する。
 ―――これは、滅びの運命を叩き斬る一人の男の物語。

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