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空想垂れ流し 57.始まりはいつも残酷で(c)

57.始まりはいつも残酷で(c)

 SEEDと呼ばれるモノがある。
 Superior Evolutionary Element Destined-factor(優れた種への進化の要素であることを運命付けられた因子)の略称であり、C.E.において一度だけ学会誌に発表され議論を呼んだ概念である。
 優れた種への進化の要素という大仰な名前とは裏腹に、その効果は空間把握能力の向上と極度の集中力の維持――いわゆるスポーツにおける“ゾーン”と呼ばれる状態に意識を強制移行させるという、肉体能力の単なる向上に過ぎない。
 キラ・ヤマトがスーパーコーディネイターと言われる由縁はこのSEEDを自らの意思で発動させることが出来るからだ。
 SEEDを発動させている状態は、極度の集中状態――“ゾーン”と同様に動作のミスというものを限りなく減少させ、肉体が本来発揮できる能力を安定して完全に発揮させる。
 優れた種というものが単に身体能力において人類を超越した者を指すのならば、なるほどこのSEEDは確かに人類の進歩の切っ掛けとなるだろう。
 だが、それは進歩であって、進化ではない。
 進歩と進化には大きな違いがある。進歩とは現在の状態からの“向上”であり、進化とは現在の状態からの“脱却”である。
 似ているようでこの違いは絶大だ。
 生物は地球環境の変化に合わせて肉体を変えてきた。海から陸へ、空へと環境の変化に対して進化してきた。環境の変化が起こった当初、生物にとって変化した環境とは苦境であり、逆境であり、地獄のようなものである。魚が陸で生きられないように、鳥が水の中で生きられないように。進化とはつまり、その逆境からの脱却。苦境からの離脱。それまで持っていた能力をかなぐり捨てて新たな環境に適応していくことを指し示す。
 ならば、SEEDによってもたらされる変化とは何か。
 優れた種への進化の要素と言うのならば、何に対して“優れて”いるのか。
 男はそれを人類という種を導くコトだと考えた。
 優れた種を、優れた進化に導くのは優れた人類であるはずだから―――そんな馬鹿げた仮定。普通なら笑い話に過ぎない。だが、今となっては笑い話にもならない、と男は思う。
 実際、男の思った通りに世界は動いた。
 SEEDを持つ歌姫の歌は世界を平和に導き、SEEDを持つ最強の男は誰にも負けることなく最強の存在となった。
 男は善良な人間だった。世界を裏から操ろうなどと思ったことは一度も無い。彼はただ平和な世界を求めただけだ。男は平和な世界を、最高の存在に導かれる世界だと定義した。
 勿論、最高の存在とて何も知らなければ何も出来ない。
 男は頭の良い人間だった。そして、誰かを育てることに非常に長けていた。
 男はその存在が自分の意思で力を発揮し、世界を平和へと導いていくように誘導した。
 一つは弱者の存在。彼らを疎む者が弱者の側であることを知らしめた。そして、彼らが強者の側に位置し、搾取している側であることを自覚させる。
 もう一つは強者の存在。闘いの強さではなく、謀略の強さ。世界を平和に導く為に必要な謀略の意味を自覚させ、それを実行させる。
 その結果、平和―――戦争の無い平和な世界が作られていった。それらは自身の能力を如何なく発揮し、平和という名の世界を積み上げていく。
 それらは人々に英雄と崇められた。そして英雄は英雄として在ることを強制されていく。
 ―――それらの意思とは裏腹に、無関係に。
 男は善良な人間だった。だから、その最高の存在にも苦しみがあることに気づいてしまった。けれど、すでに彼らは英雄という名の歯車として世界に組み込まれている。もはや彼らを抜いた平和な世界など存在しなかった。
 だから、男は彼らと取引をした。
 平和な世界を積み上げて、完成したならば、英雄でなくなっても構わないと。
 それがいつになるかは分からない。
 第一に平和な世界というものがそんな簡単に完成するはずもない。
 世界は導火線に火が点いた火薬庫ではなくなったものの、依然として火薬庫であることに変わりは無かったのだから。
 けれど、彼らはそれでも承諾した。彼らは彼らで欲しいモノがあったから。
 それは男の求めた平和とはまるで相反する酷く個人的な願い―――それでも構わない。
 英雄で無いならどんな願いを持とうと口を出す事柄では無いのだから。
 そうして、世界は平和に向かって加速する。
 英雄という生贄を内側に取り込んで。
 生贄の名はキラ・ヤマトとラクス・クライン。世を救う英雄―――即ち、救世主である。

「しかし、今回は早かったですね。」
「そうですわね、お客様の食事の量が予想外に多かったもので。」

 微笑みながら呟くラクス・クラインと談笑する男―――盲目の優男。マルキオ導師。

「お客様・・・・ふむ、彼らですか?」
「ええ、紹介いたしますわ。」

 閉じた瞳がこちらに向けられた。
 居住まいを正し、答えた。

「はじめまして。八神はやてと言います。」
「・・・・ドゥーエって言うわ。よろしく。」

 傍らのドゥーエは見えないのを良いことにいつも通りにぶっきらぼうに答えると子供達の方へと歩いて行く。
 そして、

「・・・・シン・アスカです。」

 陰鬱な声と表情。目前の男にまるで興味が無いのだろう―――実際、彼はそれどころではないのだから当然かもしれないが。
 男の閉じた瞳がシンの前で一瞬止まり、表情が僅かに変化する。注視していなければ気付かないほどの僅かな変化。シンはそれに気付かない。元々その盲目の男に向けて目を向けていないのだから当然か。
 その対峙は一瞬で終わり、男はすぐに顔を元の柔和な表情に戻し、口を開いた。

「はじめまして。マルキオと申します。」

 そう言って、軽く会釈する。こちらも釣られて会釈する――シンはそんなことにも気づいていない。

「シン。」

 呟く。その声でようやく状況が分かったのか、シンも慌てて頭を下げた。

「・・・・・あ、よろしくお願いします。」
「いえ、こちらこそよろしくお願いします。」

 マルキオ、と名乗った男はシンのそんな反応にも気を悪くした様子も無く、言葉を返す。

「はやてさんとシンはマルキオさんと一緒に食料を下ろすのを手伝ってもらえませんか?私はその間にお茶の用意をしておきますので。」

 そう言って、こちらの返答も聞かずにラクスは台所へと戻っていく。
 マルキオがこちらに向けて微笑みながら呟く。柔和で穏やかで―――だからこそ、何かを感じてしまうような微笑み。多分、自分が捻くれているからだろうけど。

「それでは、お二人ともお願い致します。」
「・・・・はあ。」

 生返事を返して、扉の外に出ていくマルキオを追いかける。盲目とは思えないほどにその足取りはしっかりしていることに少し驚く。
 後ろを振り返るとシンが心底怠そうについてきていた。
 背筋を曲げて、瞳は虚ろ。まるで、あちらで初めて会った時と同じように。

(気晴らしにでも・・・・ならんわなあ。)

 心中で呟き、溜息を吐く。そんな程度で気晴らしになるのなら、シン・アスカはこんなに落ち込んではいない。頬を引っ叩いたり、思いっきり励ます―――色々な方法を思いついた。身体を使って籠絡するべきかまで考えが及んだこともあった。無論、そんなことは絶対にやらないし、やる気もない。あくまで考えてみただけだ。シン・アスカが立ち直る方法として何がいいのか、と。
 シン・アスカの全てをはやては知っている訳ではない。けれど、彼がそんなことで立ち直るような人間でないことくらいはわかる。そんな身体を使った籠絡で立ち直るような人間ならフェイトやギンガと既に“そういう関係”になっているだろうから。
 マルキオの足が止まる。そこには車があった。俗に言う軽トラだ。
 荷台には茶色いダンボール箱がいくつも置かれている。恐らくこれがその食料だろう。

「では、お願いします。」

 呟いてマルキオは孤児院に向かって戻っていった。妥当な話だ。彼のように盲目の人間がこの場にいたとて別に運び出せる訳でもない。

「ほんなら、やろか、シン。」
「はあ。」

 生返事を返して、シンがジャガイモが入ったダンボール箱を持ち上げる。
 自分もそれにならって手近なダンボールを持ち上げる。

「・・・う」

 重い。思っていたよりもはるかに重かった。

「ふん・・・・!」

 一歩一歩足を踏み出していく。
 重い。一瞬でも気を抜けばダンボールの中のジャガイモを毀れ落とす確信がある。
 元々、八神はやてという人間は肉体労働向きではない。幼い頃は足が動かず、それが治ってから魔導師として働いていた。現場勤めと言っても、彼女は指揮する側であり、事務所に戻れば書類整理。
 はっきり言って運動能力という点で言えば孤児院にいる子供たち以下と言ってもいい。肉体年齢は確実に実年齢よりも上だろう。

(・・・・あかん。こんなに、私持ってけるやろか。)

 不安に駆られてシンを見る―――気がつけば、あの男の姿はない。すでに孤児院に向かった後なのだろう。らしいと言えばらしいが、もう少しこっちが女だということを考えるものではないのだろうか、普通は。そこまで考えて、思い至る。
 自分がこれまでシンをどういう風に扱ってきたかを。
 八神はやてはシン・アスカを駒として扱ってきた。別に無碍に扱った訳でもないが、機動6課の他のメンバーと比べれば扱いはよくは無い。
 そして、そういった対応しかしてこなかったからか、はやてはシンとまともに話をしたことなどないのだ。
 カリム・グラシアに面と向かって啖呵を切った。シンにとってはどうなのか、ということはまるで考えていなかった。
 シン・アスカは彼女の夢だ。彼女がなれなかった夢の具現――それになれるかもしれない男だ。彼に対する感情は恋愛や友情というよりも、師弟における弟子や、兄弟における弟に対するそれに近い。
 ならば、シンにとってはどうか。シン・アスカにとっては八神はやてとは良くも悪くも雇用主だ。力を使う場を与えてくれる偉い人――おそらく、そんな程度だろう。 実際今まで彼に対する対応はそれに準じたものだった。それを今更、師弟や兄弟の感情だ、などと言ったところで、通じるはずが無いし、意味が分からないだろう。

「・・・・実際、私はシンに何を求めてるんやろうな。」

 小さな声で呟いた。
 正直なところ、それははやて自身にもそれは分からない。恋とか愛とかだと言うのなら、まだ話は早い。相手を口説いて押し倒して―――もしくは押し倒されて、終わりだ。
 ならば、シンとそういう関係になりたいのかと言われると、それは違う。確実に違う、と言っていい。
 願いは一つ。シン・アスカが自分にとってのヒーローになること。それだけは間違いない。
 だから、多分シン・アスカに求めているモノがあるとすれば、それは―――

「・・・・私の前からいなくならないこと、くらいなんかなあ・・・っと!?」

 足が、何か――多分石だろう―――に躓いた。

「きゃっ!?」

 バランスが崩れる。ジャガイモが入ったダンボールの重さに引っ張られるようにして、身体が前のめりになっていく―――はずが、止まった。

「・・・へ?」
「何ぼうっとしてるんですか。さっさと運びますよ。」

 シンがそこにいた。自分が持っていたダンボールの箱を軽々と持ち上げ、肩に乗せると軽トラまで歩いていき、同じくらいの大きさのダンボールをもう一つ肩に乗せる。

「・・・・・何ですか?」
「あ、いや、力あるなあって。」
「別に・・・普通ですよ」

 そう言って、シンが顔を背ける。褒められることに慣れていないからか、どんな顔をしていいのか分からないのかもしれない。少しだけ頬が紅潮している―――その横顔を少しだけ可愛いと思った。

「はは、まあ、そういうことにしとくよ。それじゃ、それ、お願いするで、シン。」
「はい。」

 ぶっきらぼうにそう言うとシンは無言で孤児院に向かって歩いて行く。歩く速度は早足といってもいいくらいの速度―――まだ、軽トラに荷物が残っているから急いでいるのだろう。

「・・・さて、と。私はどれを・・・・あれ?」

 ふと見れば、先ほどのダンボールを最後に大きなダンボールはなくなっていた。
 残っているのは大きいことは大きいが、先ほどのダンボールよりも小さめのものばかり。
 多分、初めにシンが全部持っていったのだろう。気遣っていた様子は無かったから、恐らく自然とそうなるように持っていたのだろう。 はやてにはなるべく軽いものだけを持たせようと。
 別に不思議なことでも無い。男が女を気遣うことは珍しくも無い。だが、自然とそれをする男が少ないのも事実である。普通は下心や打算あってのものなのだから。

「・・・・まあ、あいつらしいわな。」

 シンらしさを感じてはやての頬に知らず微笑みが浮かんだ。気遣われたことが何となくうれしかった――その部分にシン・アスカらしさを感じ取れたから余計に嬉しいのかもしれない。

「よいせっと」

 彼女もダンボールに手をつけた。ぼうっとしている暇があるなら身体を動かそう、と。ダンボールを運び出す。中に入っているのは玉ねぎ。シンが戻ってきた。また二箱のダンボールを担ぎ、はやての横を通り過ぎていく。

(早いなあ。)

 呟き、彼女も作業に集中する。
 そうして、時間が過ぎていく。
 気がつけばダンボールは全て運び終わり、先ほどまで軽トラの荷台の全てを占拠していたダンボールはそこには無かった。

「・・・・・終わった。」
「案外、早く終わりましたね。」

 それほど疲れた様子もなく―――多少息は乱れてはいるようだが―――シンは軽トラを眺めながら呟いた。陰鬱な雰囲気が少しだけ薄らいでいるような気がした。身体を動かすことで何かしら発散出来ているのかもしれない。
 それに対して、こちらは満身創痍だった。
 元々運動が苦手な上に、普段から身体を動かしなれていない自分にとって、この作業は相当の重労働だった。
 はっきり言って膝が笑う一歩手前だ。あの時、シンの元まで走り抜けたのも多分その場の勢いとか盛り上がったテンションとかのせいに違いない。

「どうやら、終わったようですね。」

 後方から声がした。振り返るとマルキオがこちらを見ている。閉じた瞳は開いていない。確実に見えていないだろうに、彼はこちらの様子を知っているかのように話す。

「ええ。」
「では、戻りましょうか。ラクス様がお茶を用意してお待ちです。」

 微笑みながらそれだけを伝えると、マルキオは振り向いて孤児院に向かって歩いていく。右手に持った杖を地面に当てて、前方の障害物が無いことを確認して歩むその様はどう見ても盲目の人間だ―――先ほどの疑惑を打ち棄てる。もしかしたら、この人は見えているんじゃないだろうかという疑念を。

「ほな、戻ろか、シン。」
「・・・・はあ。」

 溜め息なのか、返事なのか、分からない呟きを放ちながらシンが歩き出した。自分も歩き出した。
 しばらく歩き続けると、孤児院の庭にテーブルを用意しているドゥーエと子供たちが見えた。
 お茶の準備をしているのだろう。どっさりと通常ありえないほどのお茶菓子が用意されているところを見れば、ドゥーエも参加するのは 間違いない。彼女の食欲はどんなに少なく見積もっても常人の4,5倍は確実にあるだろうし。
 扉の前に二人並びながらそれを微笑ましく眺めるキラとラクス。その瞳は親が子を見つめるそれだった――結婚も恋愛もまともにしていない上に、両親のいない自分に分かる感覚でも無いだろうけれど、そう思った。

「本当に仲ええんやね、あの二人。本当の親子みたいや。」

 知らず口から勝手に言葉が放たれている。
 シンはその言葉に返答することなく押し黙り、視線をキラやラクス、子供たち、ドゥーエから逸らす。左拳を強く握り締め、身体が震えている。

「・・・・またしばらく戻ってこれなくなるからでしょうね。」

 マルキオが呟いた。

「プラントに戻るからですか?」

 ここまでの調査と見せられたシン・アスカの記憶からおおよその事情は把握している。
 キラ・ヤマトとラクス・クラインはあの若さですでに国家元首なのだ。それも戦争によって混乱したこの世界を平和な世界として平定していくという難解極まりない命題を追い続ける、この世界で最も重要な人間である。
 本来ならば、この二人がここにいて普通に生活していること自体がおかしいのだ。彼ら二人はプラントという国にとっては必要不可欠なはずだから。この世界に来たばかりのはやてでも理解できる。それくらいにそれは至極当然のことだった。

「ええ。お二人は一年の内、数週間だけここに逗留なされるのです。そして、その間だけ、子供たちと語らい、親としての責務を果たそうとしています。」
「親としての、責務?」
「あの孤児達は私が引き取った孤児なのですが・・・・いつの間にやら私よりもラクス様やキラ様に懐き・・・今はあの子供たちはお二人の子供なのです。」
「養子、いうことですか?」
「ええ。あの子供達は、お二人の拠り所なんでしょうね。」
「拠り所・・・?」

 マルキオがシンに向けて顔を向けた。瞳は閉じているのにその仕草にはまるで淀みが無い。

「・・・・そこのシン・アスカ君は知っているでしょう?あの二人がどれだけ信じられないほどの治世をしたのか。」
「・・・・ええ、知ってますよ。」

 奥歯を噛み締め、苦々しげにシンがその顔を歪めた。
 マルキオはそれに微笑みを返しながら続ける。

「あの戦争で大打撃を受けたプラント経済の立て直し。人口流出に歯止めをかけ、プラントを戦前までとまで言わずとも、レクイエムによる虐殺以前の状態にまで近づけ、そして外交においては対等の講和条約を地球連合と結び、プラントに一時とは言え平和を取り戻した。」

 言葉は止まらず、歌うように流れていく。

「経済だけではなく、プラントの治安状態や、インフラ整備まで、ありとあらゆる全てをレクイエムによる虐殺以前の状態に戻した―――信じられますか?ほとんど敗残国同然の国を、数年間で戦前のレベルにまで引き戻すなど、ほとんど不可能といってもいい所業です。」

 そこで一度言葉を区切り、一呼吸―――続ける。

「ですが、それにも始まりがあった。プラントの議長に就任した時、ラクス様はお世辞にも政治のことを知っている訳ではなかった。」

 聞こえてくる声が酷く耳障りだった。
 ラクス・クラインの治世の始まり。その頃のことはよく知らない。それはちょうど自分が自暴自棄になって何もかもがどうでもよくて、ただただ差し出された獲物(ルナマリア)
を貪って享楽におぼれていた時期だ。

「よくある話です。」

 マルキオはそう言って、話し始めた。

 ―――石を投げられたという。
 そして、その石を投げた人間が連行されるのをラクス・クラインは偶然見たとか。
 連行された男の行く先は収容所だ。政治犯を収容し、矯正し、まともなプラント市民として生きれるように修正するのだ。
 矯正の内容は基本的に拷問という名のストレス発散。殺された人間は数多くいただろう。売られた人間も同じ程度はいただろう
 ラクスは、偶然にもそれを見た。
 人間の善なる部分の粋を集めたような彼女が見たものは、人間の悪なる部分の粋を集めたような煉獄。
 許しを請い、靴を舐め、それでも助けられることなく、銃殺された男。
 服をはぎ取られ、人間としての尊厳を失うまで犯され続けて売られた少女。
 邪魔だからという理由で宇宙にノーマルスーツも無しで放り出された人間たち。
 そこは地獄すら生温い狂気の苗床。
 ラクス・クラインは偶然にもその事実を知ってしまった。
 彼女が行おうとした政策ははっきり言ってお粗末なものだった。すでに開いていた貧富の格差を更に開かせるというもの。一部の者が甘い汁を吸い続ける腐敗の仕組みだった。彼女は臣下に進められるまま、よく意味を分かりもしない書類にサインをして、街頭で演説する。
 そんな毎日を繰り返した。誰も彼もが彼女を称賛した。
 そして、その最中彼女はそれを知ってしまう。
 偶然――そう、本当にただの偶然。彼女は偶然、その収容所に入り込んでしまい、誰に捕まえられることもなく収容所内を歩き回り、人間の悪なる部分をこれでもかというほどに見せつけられた。
 そうして、知ったのだ。自分がどれだけうわべだけで生きてきたのかを。どれだけ周りの人間に踊らされてきたのかを。
 ギルバート・デュランダルが推し進めていたデスティニープラン。自分はデスティニープランが未来を殺すと立ち上がった。人類の未来を守る為に今一度剣を取らねばならないと。
 だが、その結果がこれなら、自分のやったことこそが未来を殺しているのではないだろうか。
 彼女は恐れた。全てを放り出して逃げ出してしまいたかった。彼女が本当に大事だったのは人類の未来ではなく、傍らに共にいる伴侶の幸せ。突出した力を持ちながら穏やかに生きたいと望む彼女の伴侶の為にデスティニープランを潰しただけでしかなかった。
 けれど、彼女はそこで全てを放りだせるほど弱くも無かった。

「昔はお化粧などされなかったのですが、今ではお化粧を必ずされるようになりました。瞳の下、わかりますか?」

 はやての視線がラクスを捉える。

「・・・・ここからやとよく見えませんけど・・・隈とかあるいうことですか?」
「毎日毎日、政治について勉強をされたようです。プラントだけでは資料が足りないと私に資料を請求したことも一度や二度ではありませんでした。実際、その頃のラクス様がいつ寝ていらっしゃるか、伴侶であるキラ様もご存知無かったそうです。」

 マルキオはまるで自分のことのように嬉しそうに話していく。
 その声を聞く度に不快感が募っていく。あの時のように―――ラウ・ル・クルーゼと初めて話をした時のように胸の奥に黒い何かがうず高く積み上げられていく。

「あの方々は自ら先陣を切って世界の平和を具体的な手段で作り出した。そして、その結果としての今があります。」

 言葉の意味はよく分かる。ラクスやキラが精一杯頑張っていたのも知っている。そして、結果を出してきたことも、皆知っている。
 自分はザフトでその手駒として戦い続けたからだ。誰よりも最前線でその事実を知らされてきた。

「世界は未だ平和にはほど遠い・・・・ですが、毎日毎日世界は本当の意味での平和へと向かっているのです。戦争の無い、誰も泣く必要の無い世界へと。」
「・・・・なんか、凄いことやってはるんですね。ああしてるとどこにでもいる新婚夫婦にしか見えへんのに。」
「あの二人が、互いを互いの伴侶としてから既に数年経っています。なのに、キラ様とラクス様の間に子供はいない―――この意味が分かりますか?」

 はやてが一瞬言葉の意味を考えて黙り込む。知らず言葉が口を吐いて出た。

「コーディネイターだから、ですよね。あの二人に子供がいない理由は。」
「・・・ええ、仰る通り、あの二人から子供が生まれる確率は限りなく低い。だから――」
「その代わりにあの子供達の世話してるって訳ですか。」

 口調が少しだけ刺々しくなっていくのが分かる。他の誰にも分からない微々たる変化。

「・・・有り体に言えばそういうことでしょうね。もし、世界が平和になって、彼らを誰も必要としなくなるその日が来たら――あの二人はここで静かに子供達と暮らしたい、そう言っていました。」

 彼らを誰も必要としない世界―――それは誰もが笑って暮らせる平和な世界のことだろう。
 戦争の無い平和な世界。誰も■を流さない世界。誰もが笑って生きていける、そんな当たり前を享受出来る世界。
 自分が求めた世界も同じく、それだ。

 ―――貴方は守ったんです。あの子供を。もうちょっと喜びましょうよ。
 ―――“守りたい”なら、倒してみなさい、私を。
 ―――貴方の勝ちです、シン。
 ―――私、貴方が好きだから

 青い髪の彼女の幻影がちらつく。もうどこにもいないというのに思い出の中の彼女は今も自分に微笑んでくれている。

 ―――元の世界には、もう、戻りたくないの?
 ―――私も、作り物の人間だから。私にも分かるんだ。
 ―――その人は私達のことなんてまるで見てないの。きっとどうでもいいって思ってる。酷いよね。私達はこんなにその人のことが好きなのに。
 ―――貴方が好き。

 金色の髪の彼女が笑っている。いつも嬉しそうに笑っていた、思い出の中の彼女の通りに、彼女は自分に微笑みかけてくれている。

 どくん、と胸が鳴った。
 胸が痛い。心臓の鼓動が煩い。震える右の掌を見た。今もそこには、閉じたままの“瞳”がある。
 圧倒的な力を引き出す癖に、いざここぞという時にはまるで役に立たなかった、搾取の眼(エヴィデンス)。残ったモノは守れなかった後悔だけ。守ることで得られるはずの達成感はどこへいったのだろう。

 彼女たちの死に様を思い出す。
 突き刺さった剣。紅い血を流す肢体。守りたかった女たちのなれの果て。自分が守れなかった証明。
 自分は何も出来なかった。返事を返すことも―――断ることも、嫌われることも、拒絶することも、何も出来ずに、ぬるま湯のような関係を続けようとした。何かを決めることが怖かった。
 そして、何も守れずに、何もかもを失った。守りたかった誰かを、守る為の力も、縋りついていた目的も、何もかも。
 自分は全てを失って、生きる意味さえ失ったのに、大切になったかもしれない誰かをも失ったのに、彼らは何も失っていない。
 だから、その言葉に、苛立ちを覚えた。

「・・・・自業自得、じゃないですか。」

 口から出た言葉は胸の奥に押し留めておこうと思った言葉。

「それは、あのお二人のことを言っているのですか、シン・アスカ。」

 マルキオの口調が変化する。柔和で穏やかな言葉が消えた。低く重苦しい声。
 八神はやてが自分に目配せしつつ口を開いた。

「シン。」

 胸の奥で朱い炎が燃え上がる。

「全部、自業自得じゃないですか。勝手に戦争に紛れ込んで、勝手に世界救おうとして、誰も頼んでないのに好き勝手やった結果でしょう?世界救ったから、重荷背負わされて、大変な目にあって・・・・それ、全部自業自得じゃないですか。」

 言葉が止まらない。津波のように胸の奥から言葉が勝手に押し出されていく。

「なのに、裏にそんな事情があったから、許せとか尊敬しろとでも言いたいんですか?」
「シン!」

 八神はやてが左手を掴んで握りしめる。僅かな痛苦。けれど気にもならない。そんな痛みよりもこの男の言葉が癇に障って仕方がない。
 一歩、マルキオに向かって足を踏み出した。口を開こうとしたら、それに先んじてマルキオが話し出す。

「世界は正しい者が導かなければならない。キラ様とラクス様は正しく人類の導き手。それ故に彼らには世界を導く責務がある。個人としての責務や欲望を放棄して、世界の為に、英雄として生きてもらわなければならない。それが正しい世界のあり方です。」

 苛立ちが募る。ラウ・ル・クルーゼに感じた嫌悪感。それと同じモノを目前の男から感じ取る。

「・・・だから、尊敬しろって言ってるのか、あんたは?」

 口調から敬語が消えた。眼が釣り上がるのが自分でも分かる。

「ええ、そう言っているのですよ、“クラインの猟犬”シン・アスカ。」

 唇を噛み切った。マルキオの服の襟を掴み、力任せに引き寄せる。

「・・・・・あんたらは、全部持ってるじゃないか。」

 堰き止められていた言葉が溢れ出て行く。

「家族も、友達も、大切な人も・・・・・幸せに、生きてるじゃないか――――俺は、全部失くしたんだぞ?」

 二人の顔が思い浮かぶ。もう絶対に取り戻せない二人との思い出が。

「ギンガさんやフェイトさんはもう戻ってこない。」

 吐き出す言葉は目前の男には決して届かない。“あっち”の世界のことなど決して届くはずも無い。

「俺の力もどっかに消えて、あんたらみたいに生きてく意味なんて、全部失くして、なのに、何で・・・・!!」
「シン!!」

 知らず両手に力が篭っていたらしい―――マルキオの首を締めるようになっていた。はやてに後ろから羽交い絞めにされ、力任せに引っ張られた。瞳孔が開いているのが分かる。瞳は限界まで釣り上がり、呼吸が荒くなっていく。

「・・・・なんで・・・俺は・・・!!」

 視界にちらつくのはフェイトとギンガの笑顔。もうどこにもいない二人。ちらつく二人が余計に呼吸を荒くさせ、胸の鼓動が大きくなる。
 ずきんと頭の奥で痛みが走る。
 視界が真っ赤に染まる幻影。胸の奥に暗く冷たいナニカが落ちていく。腐った水のように奥底に溜まり続けるナニカ。多分、後悔だ。
 何も取り戻せない。失った。無くなった。どこにも無い。
 お前のせいだと誰かが呟いた。頭が痛い。
 お前のせいだと誰かが呟いた。吐き気が酷い。
 お前のせいだと誰かが呟いた。全身の力が抜けていく。
 マルキオを見る。どうでも良さそうに、自分を見下している。
 その視線に言い返す言葉は何も無い。生きる価値が無いのは当然だ。力しか取り得の無い自分。そんな自分から力が失われた。戦うことも出来ず、逃げることも出来ず、ただ同じ場所をぐるぐると回るだけの自分自身。
 屑と呼ばれ、蔑まれるのが当然の自分―――悔しさが湧き上がることが不思議だった。
 自分は自分に何を期待しているのだろうか。

「なんで・・・」

 ―――自分は生きているのだろう?死んだ方が良い自分。こんなに不幸で惨めで不様でくそったれな自分はどうして、幸せにもなれないのに生きているのだろう?

「シン!!」

 瞼が落ちる。はやてが叫んだのが聞こえた。膝が折れていく。口から何かが毀れていく。血なのか、胃の中の内容物なのか、分からない。
 顔が粘液に塗れた。吐き出したものに頭から突っ込んだのだ。惨めで不様でみっともない。
 もう耳には何も届かない。何も聞こえない。静寂だけが耳に届く。眠っている時とは違う、本当の静寂は耳に痛い。自分がどこにいるのか、何なのか、その全てが曖昧
になっていくから。

 ―――私、貴方が好きだから
 ―――貴方が好き。

 二人の言葉が蘇る。暗い視界の中でその言葉が胸を抉っていく。二人の視線がどこまでも自分を縛り付ける。後悔だけが胸に残る。
 頭のどこかで誰かが囁く。

『それでいいのですか?』

 誰の声だろう。聞きなれているはずなのに誰の声なのか分からない。

『貴方はそれで終わっていいのですか?』

 それでいい。自分はその為だけに生きてきた。誰かを守って死ねるならそれは十分すぎ―――

『なら、貴方はまだ死んではいけない。生きていたくないなんて言っては駄目です。だって、貴方はまだ何も守れていない。』

 ・・・・何も言い返せない。腹立だしいけどその通りだ。自分は何も守れていない。

『だけど、貴方はまだ生きている。だったら、精一杯生きなくてはいけない。そうだろう?』

 言葉の途中から口調が変わった。声は変わらないのに、聞き覚えのある口調へと。

『出来なかったらなら、何度だって繰り返せば良い。お前はずっとそうやってきたんだ。気にするな。俺は気にしない。』
(・・・・・守れなかったんだ。気にするに決まってるだろ。)

 何かを忘れているような感覚がした―――だけど、そのふざけた言葉がそんな感覚を全て吹き飛ばす。出来るはずがない。そんな風に割り切って、切り捨てて、前に進むなんて出来るはずもない。
 意識が落ちていく。もう、どうでもいい。自分は何も出来ずにこの汚泥の中に沈み込んでいくだけだ。
 胸の奥に棘が刺さったような不快感。けれど、それが何を意味するのかも分からずに、意識が閉じる。
 ―――もう、何もかもがどうでもよかった。

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Author:SOWW
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 プロフィールの写真はスコットランドとイングランドの間にある町の空です。新婚旅行でネス湖行ってきましたが、ネッシーに会えませんでした。
とりあえず気合い入れて頑張ります。更新します。

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