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空想垂れ流し Vol.4.終わる日

Vol.4.終わる日


クジラビト。
羽鯨の遺伝子と人間の遺伝子を掛け合わせて作られた化け物。
体内に流れる血液は高密度魔力結晶を精製して生まれたレリックブラッド。
素体として使用されているのは数多の人間の亡骸。
その思考のベースに使われているのは、世界全てを逆恨みし、世界全てに憎しみを叩きつけて死んでいった、ある人間。
つまり、クジラビトというモノは結果はどうあれ、ベースは人間なのだ。肉体も思考も、全て人間を大本に作られている――肉体はともかく意識に関しては殆ど人間と変わらないと言っていい。

蒐集行使と言う稀少魔法がある。八神はやての中に存在するソレとは一線を画す――もしくは彼女の持つ蒐集行使の大本になった魔法である。
彼女の持つ蒐集行使は、魔法を蒐集する魔法である。だが、こちらは魔法ではなく“魂”を蒐集する魔法である。
死者の命を蒐集し、魔力に変換する。
過去に存在したこの力の持ち主は例外なく――非公式ではあるものの――強大な魔導師として名を馳せている。
そして例外なく、この力の持ち主は力の使いすぎによって“高密度魔力結晶(レリック)”に成り果てて死んでいる。
これはリンカーコアが無ければ、ただ憑かれ易いと言うだけで意味の無い稀少技能である。

無限の欲望と言う存在がいる。
ありとあらゆる次元世界に一人ずつ存在する、その世界で最も強欲な存在。そして、羽鯨が最も好む餌である。
その存在を羽鯨に嗅ぎつけられると、羽鯨は無限の欲望を自らの眷属に“選定”する。それによって羽鯨は回遊する。無限の欲望を目印にして、幾つもの次元世界を喰い渡る。
無限の欲望は、眷属となることで羽鯨の力を一部借り受ける。
ジェイル・スカリエッティであれば、全てを見通す虹色の眼。
シン・アスカであれば、全てを奪う搾取の手。

クジラビトは羽鯨の分体である。故にある意味では無限の欲望はクジラビトの眷属とも言える存在である。
蒐集行使を持った人間はクジラビトの元と言っても良い。クジラビトはレリック――蒐集行使を持った人間の成れの果ての力によって、生きていたのだから。

そして、シン・アスカと言う人間。彼は“蒐集行使”を生まれ持った“無限の欲望”であり――つまりはクジラビトに非常に近い存在である。同一同種ではないが、犬と狼程度の違いでしかない。

コズミックイラにいたままならば、彼は単に霊に憑かれ易いだけの負け犬で終わっていた。
無限の欲望になるはずだった男は、二人の英雄と一人の歌姫の手によって、無限の欲望に成る前に叩きつぶされたのだから。
そうしてコズミックイラは羽鯨から救われた。誰をも知らぬ所で世界はひっそりと救われた。

そこで人生が終わるはずだった――だが、ミッドチルダに来ることで彼の人生は一変した。
蒐集行使と言う力によって幾つもの魂を取り込んだ結果として、“発生した”リンカーコア。コズミックイラにいたままならば、知ることの無かった機能だ。
それが、ミッドチルダに来たことで認識された。結果、彼は魔法という新たな力を得て、人生の再出発を行った。
その次に大事な人間を二人殺された――実際は生きていたが。
これによってシン・アスカは壊れた。そして、幾度もの挫折と憤怒と悲哀、諦観、ありとあらゆるマイナスの感情によって生み出され内に溜めこんでいたストレスと言う名の内圧が彼の覚醒を促した。
無限の欲望としての誕生――シン・アスカと言う名の化け物の誕生だ。
その力は人外そのもの。単体でゆりかご級戦艦を破壊出来る魔導師など人外化生の類以外に在り得ない。
今は違う。今のシン・アスカは単なる人間に成り下がっている。これに関しての詳細は省こう。これはまだ語るべき物語では無い――別の物語で語られるべき物語だ。

何にしろ、クジラビトと言う化け物とシン・アスカと言う化け物の境界線は限りなく薄い。
最初から化け物として作られた人間と、後天的に化け物になった人間。
過程は違うが、化け物になってしまったという結果から見れば同一と呼んで差支えは無い。
故に、彼らは真逆でありながら、相似している。いや真逆であるからこそ相似なのか。
どちらにせよ、彼らはよく“似ている”。
相似した二人の選択の行きつく果て。
――物語は、終盤を迎える。


気がつけば噛み付いている。
気がつけば噛み砕いている。
気がつけば喰らっている。
ウマイ。
うまい。
旨い――涙がこぼれるほどに。
手が止まる。肉を、脳を咀嚼していた手が止まる。

「・・・・また、ですか。」

それは発作のようなモノだ。以前は感じることのなかったモノ。発作のように肉体を動かす本能。
気を抜けば人を喰らっている。
意識がある無しに関わらず、“彼”は当たり前のように人を喰らう。そして、喰らえば喰らう程に人間に近づき――そして胸を埋め尽くす自己嫌悪。喰らう度に死にたくなる。なのに死にたくないから喰らう。決定的な矛盾。

それは人を喰い、知性を得て、獣では無くなって、しばらくしてから始まった衝動――というよりも強迫観念に近い。
それはヒトを喰えと言う衝動だ。あの墜落事故の人間を喰らい尽くし、ミノルと暮らし始めて、幸せと言うモノを知った時、ふと――胸の中に抱きしめていた彼の顔に大きく口を開けていた自分に気付いた。
まるで、ミノルを喰らうことが当然のように、“彼”は口を開けていた。

――お父さん、どうしたの?

その言葉を掛けられてようやく“彼”は我に返った。
同時に胸が酷く痛み出したことに気付いた。心臓の鼓動が大きくなっていることに気づいた。
それまでの人生――とはいえ数年程度だが――では決して感じたことのなかった感情。
それは、恐怖と言う名の感情だった。
自身の大切なモノ――ミノルを喰おうとしたと言うこと。
自身の意思によるモノですらない、本能によって今自分は喰おうとしたのだ。
彼がミノルを人里に返したのはそういった理由からだった。
一緒にいれば喰ってしまう。それが怖くて怖くてたまらなかった。
だから、彼は愛する息子と離れた。眼が見えないと言う理由も相まって、彼はミノルと別れた。
別に、永遠に別れるつもりは無かった。
別れと言ってもしばらくのことで、自分はその間にこの衝動を何とかすれば良い――そうすることで今度こそミノルと一緒にいられるようになる。
人間と共に生き、生活する為には人を喰らうことなどしてはならない。そう考えた。ミノルを喰らおうとしたからこそ、彼はそう思うに至った。
思えば、その瞬間、彼は人間となったのだろう。
自分だけでなく、誰かのことを想って生きると言うのは人間だからこその行為なのだから。
そうして彼は人を喰らうことを止めた――はずだった。

ミノルと別れ、数日後。彼は山中に迷い込んだ人間を喰った。
頭蓋骨が変形するほどに、首筋までが避けるほどに大きく口を開け、一噛みで上半身を、二噛みで下半身を、飲み込んだ。
その人間は自分がどうなったのかすら分からなかっただろう。気がつけば噛み砕かれていたのだから、恐怖を感じる暇も無かったに違いない。
彼は、愕然とした。喰おうとしてその人間の前に現れたのではなかった。
彼はただその人間を人里まで案内してやろうと姿を見せたのだ――そして、見せた瞬間その人間を喰ってしまった。
そして、感じる、得も言われぬ満足感。胃の中で人間が消化され、自分を自分にしていく感覚。
馬鹿な、と思った。
ふざけるな、と思った。
二度と人間は喰わないと誓って、気がつけば喰らっていたなど笑い話にもなりはしない。
彼はその日、生まれて初めて泣いた。ヒトを喰らってしまう自身の弱さに泣いた。そして、誓った。二度と喰わないと。
次の日、彼は山の付近に車を止めて、性行為に勤しんでいた“であろう”男女を喰った。
男性も女性も裸で――どちらの顔もよく覚えていない。
その次の日も、彼は人を喰った。今度はミノルと同じくらいの年頃の人間だった。顔は覚えていない。
その次の日も。その次の日も。その次の日も。その次の日も。
彼は人を喰い続けた。
意識は無かった。誰の顔も覚えていなかった。
――何しろ喰っているという意識そのものが無かった。それらは全て眠っている内に行われていた。

そして、それに気付かないまま、彼はクラナガンにやってきた。自分は人を喰っていないと思いこんで。
そして、その思い込みは簡単に壊された。
クラナガンでミノルを探していた頃――ある男性に襲われた。
“彼“はどうして自分が襲われるのかも理解できずにその男性と戦った。
最初は殺さないようにと戦っていたのだ。その男は酷く弱く、“彼”にとってその男を殺すなど赤子の首を捻るようなものでしかなかった。
なのに男はそんなことにも気付かずにこちらに向けて攻撃を加え続けている。
だから、彼は――初めて苛立ちを覚えた。自分がどうしてこんなか弱い生き物に脅かされるのか、と。
それは捕食者としての苛立ちだ。そして、彼はその苛立ちに飲み込まれ、その男を、生きたまま、貪った。
両腕を喰った。両足を喰った。両目を引き抜いた。男は泣いていた。やめてくれと。煩いから喉を潰した。窪んだ眼窩から血涙を流す顔面を潰した。嗚咽を漏らす顔を脊髄ごと引き抜いた。腹部を引き裂いた内臓を引き抜いたビクンビクンと動く心臓を喰らった肺を喰らった胃を喰らった腸を喰らった肝臓を喰らった五臓六腑の全てを喰らった―――最後に脳を啜り、残った血液を舐め取って、皮の一枚髪の一本まで残さず綺麗に喰らい尽くし。
そこで、全てを思い出した。
自分が人を喰らっていたことを。
胸を埋める自己嫌悪の嵐。死にたくなるような自身への憎悪。
それから、彼は今度こそ人を喰らうまいときつく戒めた。
だが、それは続かなかった。
人を喰らわない日々を続けると、人を喰らいたくなる。自我が消えて、知性が摩耗して――そして獣に戻ってしまう。そしてまた人を喰らい、知性を得て元に戻る。
“彼”は人を喰らい続けることで知性を“得続けて”いる。
だから――人を喰らうことを止めれば、彼は獣に戻り、何もかもを忘れてしまう。
人と共に生きたいと願い、人を喰らうことを止めれば、彼は人に仇なす獣に戻り、人を喰らう。
酷く矛盾した円環。
それでも瞳だけは必死に集めていた。その眼があればミノルの眼は見えるようになると彼は信じて。
そんな輪の中で彼は――見つける。息子の居場所を。
そして、当然の論理として、眼を病院の前に置いた。これだけあればミノルの眼は治る、と。人を喰らい続けた代償行為のつもりだった。せめてミノルの眼だけはと。
だが――そんなものが代償行為になるはずもない。
眼は、捨てられた。
彼にはそれが理解出来なかった。
襲撃が何度かあった。返り討ちにし喰い殺した。
その最中で、一度言われた言葉。
“どうして眼を奪ったのか”
おかしなことを聞くと思った。眼を替えなければ眼は良くならないだろうと答えた。
“そんなことをしても眼が見えることは無い”
襲撃者はそう言った。
襲撃者を殺した。喰った。貪った。

何が間違っていたのか。
彼はただ幸せになる為にミノルと別れた。
けど、それは惨劇を呼び込みまき散らしただけだった。
なら、何が間違っていたのか。
それとも、何もかもが間違っていたのか。
懊悩する脳髄。錯綜する自己嫌悪。
そんな脳髄とは対照的に肉体はヒトを求めてさまよい続ける。
ヒトである為にヒトを喰らうと言う矛盾で紡がれた円環を回し続ける。
シン・アスカと出会ったのはその頃だ。
お人好し、と言うのだろうか。誰もが気味の悪い目で見ていた自分に声をかけて助けてくれた男。
本当は、あの戦闘の際に喰おうとしたのだ。けれど、喰えなかった。
その姿を見つけた時に――どうしてか躊躇した。まともに話しをした二人目の人間だったからだろう。
彼はシンに対して親しみを覚えていた。
だから――彼はシンを倒しても“喰わなかった”。“喰いたくなかったから”。
だから――彼はシンを倒した後に“別の人間”を喰った。
そこで、狼のようなモノが自分を襲った――それも喰った。
そして、泣いた。啼いた。哭いた。
獣に成りきれない化け物の懊悩――悲鳴。

「・・・・それでも、私は。」

呟いて、咀嚼した。喰わなければ知性を保てない。喰い続けることでしか知性を保つことが出来ない。
胸に渦巻く膨大な嫌悪感と満足感。二極化する二つの感情。
獣にも成り切れなければ、人間にも成り切れない。
どちらでもあるし、どちらでもない中途半端な化け物――ただの怪物に過ぎないのだ。


闇の帳が下りて、世界が閉じる。
身体が熱い。
意識が遠のく。
虚ろな意識。その中で思い浮かぶモノは幾つかの記憶と教訓。

誰かを殺害する時にもっとも気をつけなければいけないのは何か。
それは殺害する相手自身の過去、記憶、人格――殺害する相手自身のことを知ってはいけない、と言うこと。
そんなものは必要ない。
殺す相手の過去を知れば、どんな人間であろうと無意識に殺人を忌避する。その忌避を無視しようとすれば、それなりに多大な精神力を消費することになる。己に抗い殺すのだから、その際に発生するストレスは何も知らずに殺すことの倍では効かないだろう。
まして、情報を知っているだけなら、まだしも、もし殺害する相手と知り合い――果てには友達ともなれば、そのストレスは等比級的に増加していくのは想像に難くない。
だから、殺人の基本とは相手を知らないことだ。
無知では誰を殺せばいいのかも分からない。だから――最低限相手の名前と性別、顔、その程度の表層的な情報だけを持っていればいい。
理想的な殺害は初対面の時に一撃で殺すこと。それが一番ストレスがかからない――良心の呵責が小さい殺し方。
銃で撃てば人は死ぬ。
ナイフで刺せば人は死ぬ。
首を折れば人は死ぬ。
殺害方法は何でも構わない。殺すことなど簡単なことだ。
問題はその際につけなければならない折り合い。ただそれだけ。

それは――人であっても獣であっても化け物であっても変わらない。
ヒノ、という男がいた。
人を喰らうことで人になった化け物。喰らい続けなければヒノはまた獣に戻ると言う。
だからヒノは人を喰らう。彼にとってそれは至極当然のこと。
人間が他の命を喰らうことで生命活動を行うのと同じように、ヒノもまた他の命を喰らうことで生命活動を行っている。
ヒノの側にしてみれば、それは当然のことだが――人間の側にしてみれば、ヒノは危険な捕食者であり、それ以上でもそれ以下でもない。
だから、本来ならば“駆除”しなければならない。それが常識だ。

虚ろな意識の中で、繰り返される思考。
シン・アスカは迷っている。殺すことを。
化け物を殺すことを、覚悟出来ないでいる。
ヒノと言う男は化け物だ。だが、同時に、彼にとっては人間だ。
同じような顔をして、同じ言葉で喋る。姿形も大して変わらない。異形の力を持ってはいるが、自分だってそんなのは変わらない。化け物と言えば自分だって十二分に化け物だった。
知り合わなければ殺せていた。知り合って感情移入してしまったから、殺せないでいる。
人類の守護者なんていうかっこいい言葉を背に貼り付けて、人を喰い殺したことを糾弾し、さっさと殺してしまえばよかった。
この化け物め、と。そう言って殺せば何も悩む必要は無くて――なのに何も知らないまま、仲良くなってしまって、殺すことを悩んでいる。
馬鹿な話だ。さっさとヴェロッサの依頼を受けて殺せば良かったのに――そう思う。
だけど、

(誰だって同じだ。)

ヒノの言っていることは痛いほどによく分かる。ヒノを化け物では無く人として見てしまうシンにはその気持ちが分かってしまう。
家族とは一緒にいたい。
誰だってそうだ。その為なら何だってする。自分がヒノの立場ならきっとそう思う。身を退くなんて出来るはずが無い。
もし、自分があの二人と一緒にいる為に悪魔に魂を売りつける必要があるのならば、躊躇うことなく売りつけるだろう。
そして、それは誰も変わらない。誰だって愛する家族と一緒にいる為なら、どんなことにだって手を染める――少なくとも染めようとする心は存在する。
だから、誰だって同じなのだ。誰にも、あの男を糾弾することは出来ない。
化け物だろうと人間だろうと、知性を以て家族と共にいたいと思うことに違いは無いのだ。

だからこそ悩む。迷う。拘る。
どうしたら、あの二人が幸せになれるのか。そんな解決策を悩み続ける。
浮かび上がる一つの解決策。
別に皆が幸せになれるような万能のモノじゃなく、痛み分けをするような、いい加減な解決策だが――一つだけ思いつきはした。
それは、誰もが思いつくだろうけど最も残酷な一つの結末――ヒノを倒し、捕縛した上で体内から全ての知性が失われるのを待って、山に還す。

実際、この方法ならば、皆死にはしない。
幸せと言えば幸せだろう。ミノルにとってもヒノにとっても――人間にとっても。
もしかしたら、将来、知性を失ったヒノが人を喰わずに知性を取り戻すことが出来れば、あの二人は一緒に生きていくことだって出来る。
そう脳裏で考えて――その馬鹿げたお粗末な解決策を嘲笑する。

(・・・・そんなの、あいつが選ぶ訳ない。)

どんなに互いにとってそれが良い解決策だとしても、それは人間――自分達の側から見た解決策だ。こんな案にヒノが乗るはずが無い。それこそご都合主義もいいところだ。
ヒノは人間ではない。人間の常識など通用しない。人間にとって都合が良いからと言って、ヒノにとって都合が良いはずがない。

あの“男”はもう人間を喰らい続ける覚悟を決めている。
最後に見えた泣きそうな顔。
人間に近くなってしまった知性で人間を喰らい続けることを“選択”した結果だとすれば、どんな言葉もきっと届くことは無い――それは錯覚かもしれないけれど。あの顔も、言葉も全て嘘かもしれないけど、少なくともシンはそう思っていた。そう、思い続けていた。
だから、考える。ずっと考える。
迷い続けて、考え続けて、答えは見つからなくて。
それでも考え続ける。
覚悟を以て掴んだ選択肢。それを覆させるには、そんな人間にとって都合が良いだけの選択肢では理由が足りない。重さが足りない。力が足りない。何もかもが足りない。

だから、考える。その思考は逃避でしかないと気づいていても――それでも考えることをやめない。
選ばなくてはならない選択肢を選びたくないから。
ヒノを殺したくないから。
化け物なのに、人間ではないのに――どうしても殺したくなかった。
胸の奥に隠れた本当の理由。彼はまだそれに気付いていない――気づけるはずも無かった。
暗中に沈んだ意識が覚醒しようとする。
雪の冷たさは、もうどこにも感じなかった。

「気分はどうだい、シン。」
「・・・・ヴェロッサさん。」

首だけを傾けて、そちらに目をやる。
長髪の偉丈夫――ヴェロッサ・アコースがいた。
ずぶ濡れだった服はいつの間にか脱がされ、布団に身体を横たわらせていた。
身体を起き上がらせる――全身に微かな痛み。思っていたよりもはるかに痛みは無い。治癒が行われたのか、それとも――

「・・・・ヴェロッサさんが、俺を?」
「ああ。雪の中で倒れているのが見えてね。」
「・・・・そうですか。」
「・・・・とりあえず、これでも飲んで、身体をあっためるんだ。」

そう言ってヴェロッサはシンにマグカップを差し出す。
それを受け取り、口に含む――温かい紅茶だった。

「・・・・旨い。」
「僕特製のブレンドティーさ。暖まるだろう?」
「・・・・ええ。」

両手でマグカップを掴み、口に含みながら――脳裏にあるのは先程のこと。
虚ろな頭の中でもずっと考えていた。
どうすればいいのか。
どうするべきなのか。
時計を見る――時刻は深夜3時。
ヒノは“明日の夜、迎えに来る”と言っていた。手術が終わったミノルを連れてどこかに行って幸せになるのだと。

(あと、半日以上はある。)

残り時間を心中で復唱し、少しだけ安堵する。
まだ――まだ、考える時間は残っている。
ヒノをどうするのか。
考えるべき時間が。
マグカップを握り締め、その中の紅茶の波紋を静かに見つめ、無言のまま考え続ける。
――その時、

「この後、どうするんだい、シン。」
「・・・・さあ、どうしますか―――」
「制圧してほしい、そう言ったね、僕は。」

断頭台の刃のようにヴェロッサが呟いた。
マグカップの中の紅茶が揺れる。波紋が広がる――まるで自分の心の動揺を表すかのように、波紋が広がり、紅茶を揺らす。

「君に、ソレが出来るかい?」

答えを返そうと口を開く。
声が、出ない。
殺せるか――殺せるのか。
ヴェロッサはこちらが言い返せずにいるのも意に介さず、続ける。

「今夜、アレはあの子をさらいに来る。子供は嫌がることなく大好きな“お父さん”と一緒に去っていき――どこかで幸せに暮らすことになるだろうね。」

言葉を切って、その瞳がこちらを射ぬく。
思わず、目を逸らす。
感じているのは後ろめたさ。ヒノに感情移入している後ろめたさ。
自分はそれを肯定しようとしている。ヒノがどこかであの子とと幸せに暮らすのを肯定しようと――

「誰かを喰い物にして、ね。」

ざく、と脳髄に鉈が振り下ろされたような衝撃を受けた。

「これからもずっとそれは続いていく。終わりは無い。永遠に、ね。」

ヴェロッサが歌うように話をしながら、お茶請けのクッキーを口に含み、噛み砕く。
絵になる様子――淡々とした口調に苛立つ自分を知覚する。
瞳が鋭くなるのを止められない。

「・・・・何が、言いたいんですか。」
「保険だよ。」

紅茶をテーブルの上に置き、足を組んで椅子に深く腰掛ける。

「それを知っても、キミはアレを放置するつもりなのかってね。」
「・・・・俺はまだアンタの依頼を受けた訳じゃない。」

目を背ける。ヴェロッサの声を聞きたくない。
出来るなら耳を塞いで、眠り込んでしまいたい。

「そうだ。だから、教えてほしい、シン。」

一拍の間。
僅かにこちらを見る彼の眼に力が籠る――呟く。

「今のキミに、アレが殺せるのかどうかを。」
「・・・・全部、知ってるんですね。」
「キミは動くと思ってね。覗き見させてもらったよ。」

“今のキミに、アレが殺せるのかどうかを”とヴェロッサは言った。
別に確証があった訳ではない。声に含まれた雰囲気でそう思った。
彼は――全部を見ていたのではないかと。

「・・・・趣味悪いよ、ヴェロッサさん。」
「趣味の悪さはお互いさまさ。それにクライアントとしては適切だろう?」

紅茶を飲み干し、ベッドから立ち上がり、テーブルまで歩いていく。
椅子を引き、座り込む――ヴェロッサの正面。テーブルにマグカップを置き、俯いた。
顔を見られたくない、と、思った。
今の自分の顔がどうなっているのか、見られたくないと。
多分、酷い顔になっているだろうから。

「・・・・あいつを、殺せってことですか。」
「既に二十人以上が殺されてる――そして、昨日また犠牲者が生まれた。」
「・・・・昨日」

ドクン、と胸が鼓動した。顔を上げた。ヴェロッサと眼が合う。
吸い込まれるようにその瞳から目が離せない。

「君を倒した後、アレは人を喰った。見るも無残なモノさ。一口で二人だ。化け物とはああいうモノを言うんだろうね。」

意味が分からない。口内がカラカラに乾いていく。胸の鼓動が煩い。手が震える。両足が震える。

「うそ、でしょ・・・・?」
「僕も一応、守ろうと応戦はしたんだけど――無理だった。まともに相手にするには分が悪すぎる。僕の力で処理できる相手じゃなかったよ。」

ドクドクドクと胸が煩い。頭の中の血管も同じくドクドクドク。
ヒノが喰った。人を喰った。
自らがあの男に言った言葉。あの男が自分に告げた言葉。
分かっていたはずなのに、理解していたはずなのに。
ヴェロッサの口から洩れたその言葉はこれまでのどの言葉よりも重く鋭く胸を貫いた。
そうやって、呆然とする自分を見て、ヴェロッサは溜め息を吐きながら、続ける。

「・・・・ここ最近のアレのペースは異常すぎる。」
「・・・・何のペースですか。」

再び俯く。彼の顔を見ていられない。
震える身体を抑えることで精一杯でそれ以外のことに意識を向けられない。

「人を喰うペースだよ。以前は五日程は開いていた間隔が今じゃ一日に一度。これがどういう意味か分かるかい?」

分からない。分かりたくも無い。分かるはずが無い
ヒノが自分に言った言葉を思い出す。
知性が削れていくと。
削れていく知性。摂取しなければ決して補えない知性。
思考が加速する。
都合の良い思考を紡いで――何も分からないのに、口にしなければいいのに、呟いた。

「・・・・あいつは知性が削れるって言ってた。」

どこか焦燥の籠った言葉。
それは質問への答えではなくただの胸中の吐露。

「普段は普通で・・・・あいつがそんな風になるってことは何か意味があるはずなんだ・・・・だから。」

口にするは世迷言。まるで意味のない言葉。
だから、そんな言葉をヴェロッサ・アコースは――

「――キミが放置したら、放置した分だけ、人が死ぬのさ。毎日毎日一人ずつ、ね。」

――現実によって切り伏せる。

「・・・・それ、は。」

何も言い返せない。
事実、その通りだ。実際に――人は“喰われた”。

「・・・・キミがどう思っているのかなんてどうだっていい。だが、それが現実だ。」
「・・・・俺は、ただ、アイツが、普通に生きていければ、って。」
「――はっきり言っておく。そんなことは不可能だ。」
「そんなの、どうして、分かるんですか。」
「・・・・いずれアレの知性は消える。そうなれば、野山に返して一匹の獣に戻せば良い。」

それは自分の考えた解決策。ただヒトの道理を押し付ける都合の良い解決策。

「確かにその方法なら誰も死なないで済むし、誰も喰われないで済むかもしれないね。ただ・・・・一つだけ忘れているよ、シン。」

言葉を切って続ける

「人の味を知った獣が山から下りて人里を襲うなんてのは良くある話だよ。・・・・理性ではなく本能が人の味を求めているのだとすれば、アレはその時、間違いなくヒトを喰らう。」

然り。考えるまでもない。
人を喰った獣は人の味を覚えて人を喰らい続ける。
だから、“駆除”なのだ。
人を喰ったその瞬間、獣は害獣へと切り替わり、駆除対象へと変貌する。

「だったら、誰かがずっと監視する――これも無理だ。不可能さ。」
「・・・・俺は。」

何も、言い返せない。

「キミだけじゃない。誰だって出来る訳が無い。人生をそこまで懸けてなんていうのは――誰にだって出来やしない。」

言葉が出ない。ヴェロッサはそこで口を閉じた。
沈黙が室内を覆っていく。
何も言えない。真実は常に一つ――ヴェロッサの言葉に抗うだけの事実を自分は何一つ持っていない。
他人への幸せの押し付けと押しつけた幸せが何なのか。
その意味を理解しようともしなかった自分が抗えるはずもない。
拳を握り締め、奥歯を噛み締める。
ヴェロッサが沈黙を破った。

「今、このクラナガンにいる魔導師で、アレと戦えるのは――キミしかいない。」

言葉は鎖となって、雁字搦めにシン・アスカを縛り付けていく。

「他の誰にもアレは“殺せ”ない――いや、違うか。」

言葉が叩きつけられる。
真実と言う刃がココロを切り刻んでいく。

「キミ以外の誰かを差し向ければ、また人が喰われて死ぬ。」

その通りだ。他の誰にもアイツは殺せない。
シン・アスカと言う化け物以外には、殺せない。

「俺は。」

躊躇うな――殺すことを。“駆除する”ことを。
いつかどこかで聞いた言葉が蘇る。
――戦争はヒーローごっこじゃない。
ああ、そうだ。戦争はヒーローごっこなんかじゃない。
けど、自分はヒーローごっこがしたかった――ヒーローになりたかった。
だから、こんなクソッタレな現実でも抗おうとする。
夢みたいな理想を求めて抗おうとする。
戦争はヒーローごっこじゃない。
そして、現実もヒーローごっこなんかじゃないのに。
俯いたまま、呟いた。

「・・・・分かって、ますよ。」

何も分かっていないのに――いや、全て理解して、それでも分かっていない振りをして。

「俺がアイツを。」

殺す、とは言えなかった。
最後のその一言がどうしても言えなかった。

「俺は・・・・アイツ、を。」

揺れ動く軟弱な精神。割り切れない馬鹿な心。
最後の時は近い。
なのに、自分は――自分だけが何の覚悟も出来ずに取り残されていた。

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とりあえず気合い入れて頑張ります。更新します。

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