53.Sin in the Other World and World~Injection~(q)
◇
八神はやてはクラナガンを走る。
手には騎士杖のデバイス――シュベルトクロイツ。
服装は事務服のまま。足元のパンプスはスニーカーに変えた。
彼女達には先に行けと言った。
「は、くそ、飛べたら楽なんやけどな。」
呟き、走る。
息を切らし、足を動かし、一心不乱に“目的地”に向けて走り続ける。
瞳に迷いは無い――無論、それがただの強がりであることなど、誰よりも自分自身が分かっている。
ヴォルケンリッターは自分についてこようとしたが別れることを選択した。
彼女達には他にやってもらうことがあるからだ。
停滞していたこの十数日間が嘘のように頭が冴えていく。
ガジェットドローンⅠ型が見えた。
「・・・・まだ、残りがおったんか。」
瓦礫の影に身を隠し、ガジェットドローンⅠ型が行き過ぎるのを確認する。
―――八神はやてと言う魔導師は非常に特殊且つ強力な、“脆弱”な魔導師だ。
蒐集行使。夜天の魔導書に記録された魔法の使い方と魔力運用を伝える能力である。
理論上、彼女は夜天の魔導書に記録された全ての魔法を使用できる。だが、どれほど多くの魔法を保有していても、その使い方がお粗末なら真っ当な効果は期待できない。
名刀を持った素人が凡百の剣を持った達人に敵わないように、どれほど強力な魔法を多く持っていたとしても、結果的には使い手の技術に依存する。要は魔法一つ一つに対する習熟の問題である。
八神はやてが単純な戦闘能力ならキャロ・ル・ルシエにも負けるというのはこの一点があるからだ。
彼女が自分自身の手で覚えた魔法は軒並み後方からの援護を想定した魔法――全て大規模の殲滅魔法のみ。少なくともガジェットドローン1体を葬り去る為に使うような魔法ではない。
現在、シャマルが全戦域に向けて放ったジャミングにより、八神はやての生体反応は隠蔽され、そういった大規模な魔法や継続的な魔力放出を行わない限りは彼女の居場所が敵にバレることは無い。無論、幻術魔法によって姿を隠している訳ではないので目視されればその時点で終わりだが。
【シャマル、ガジェットはあの一体だけやな?】
【ええ。今、ガジェットのいないルートを検索しています・・・・転送します。】
空間にディスプレイが投影される。
念話等の使用は魔力の波長の偽装によって問題なく使用出来る。
投影されたディスプレイに映し出されたルートを頭に叩き込む。如何に見つからないとは言え、道に迷う度にルートを確認している暇など無い。
遠くを見据える。視線の先、あの巨人のいる場所まではまだ遠い。
敵に移動を察知される危険性から魔法は使えない。使えばあの巨人やその他の敵に見つかる可能性が高いからだ。
こちらが狙うのは不意を突き一撃で相手の命ごと刈り取る最大威力の殲滅魔法。
この現状を打破する一手。その為にシグナムらヴォルケンリッターは今、現在暴れ回りながら、あの巨人に向けて近づいているのだ。八神はやてが懐に入り込むまでの囮として。
別にその一撃を加える役目が彼女である必要は無い。本来、彼女は文官だ。後方支援すらする立場ではないのだ。指揮を行い、指示を与える役目である。
そんなことは彼女自身分かっている。自分以外の人間が行うべきことだろうとも。
「・・・・・そんなこと関係ないんや。」
頭の中に生まれた呟きを振り払う。
目には炎。意思という名の青い炎。
彼女は指揮官としては最低クラスの人間だ。決して上等な指揮官ではない。作戦を立案しても大抵は後手に回られて現場サイドの能力任せ。なまじ自分自身や現場サイドの人間――自らの友人や仲間の実力に自信があるものだから、そこに甘えることも多々あった。最低だ。最低という言葉すら生温い。おかげで大事なモノを失った。そうだ。八神はやては、誰が何と言おうと最低の役立たずだ。
けれど、それで良かったのだ。それで十分対処できる問題ばかりだったから。
けれど、それで届かない場所がある。届かない声がある。掴めないモノがあることを教えられた。叩き付けられた。
―――貴方も知っているはずよ。平和以上に大切なものは無いと言うことを。
ふざけるなと思った。
―――キミにはまだ出来ることがあるんじゃないのか?
その通りだと思った。
「まだ、遠い、な。」
ガジェットと鉢合わせしないルートを走りながら、目的の場所を見た。
巨人が立つその場所。何故か巨人はその動きを止めている。その上空に新たに敵が現れている。その下方に佇む二人の男女。シン・アスカと、もう一人は――服装からして恐らくはナンバーズだろう。
夢を思い出す。打ち捨てて、自分とは関係ないと忘れようとした夢を。
シン・アスカが世界と世界を渡ったのは誰かに召喚されたからなのだと思っていた。
だが、恐らく、事実は違う。彼は、“喚び出された”のではなく、“送り込まれた”のだ。
リインフォースという一人の魔導書によって。
彼女がどうしてそんなことをしたのか。夢で見たシン・アスカがこちらに跳んだ時の光景が“あの日”なのは何故なのか。考えるべきことは幾つもあった。
だが、それを考えるのは後で良い。今は残存するガジェットの群れを潜り抜けて、巨人の元に急ぐだけだ。
それが自分に出来ることだから。
「・・・・出来ること、か。」
先刻のやり取りを思い出す。
走りながら思考を過去に巡らせていく―――
■
避難所に入ったのは初めてだった。
当然だろう。自分はいつも“ここ”を守る側に立っていたのだから知るはずも無い。避難所というものがどんな空間で、そこにいる人間がどんな人間で、どんな思いでそこにいるかなど、想像をしたことはあっても実感したことなど無かった。その想像とて自身を鼓舞する為の想像でしかないのだから、都合のいい脚色が混じっていたことは否めない。
だから、知らなかった。忘れていた。
無力で、ただ守られるだけという立場がどれほど恐怖を生み出すモノなのかということを。
涙を流し泣き叫ぶ子供。うろうろと世話しなく避難所――むしろシェルターと言った方が適当な地下施設だ――を歩く男。ただうな垂れる女。ヒステリックに喚き散らす男と女。酒に溺れる男と女達。
ここにあるのは誰かを信じて明日を待つというような希望ではない。
ただ巻き込まれた不運を嘆いて明日をも信じられない絶望だった。
守る側にずっと立っていた。守られる側を守りたかった。ただ守られるだけは絶対に嫌だった。根幹となる想いはそんなもの。そしてその想いだけで走り続け、取り零してきたモノが幾つもあるとは思っていた。けど、こんなモノを取り零していたとは思わなかった。取り零していたことすら気付かなかった。
(私は・・・・何も知らなかったんやな。)
心中で呟き、両足を両腕で抱え込んだ姿勢で座って、俯いた。
機動六課として何度も戦ってきた。避難の誘導も行ってきた。
けれど、こんな風な絶望が起きているなど一度も考えたことはなかった。頭の端に上ることすら無かった。
一生懸命に仕事して守っている。そんな矜持は恐らく傲慢だった。こんな絶望を自分は忘れていたのだから。
ふと、頭の端に上る顔があった。朱い瞳とボサボサの黒髪の男。シン・アスカ。別に会いたい訳ではない。むしろ、逆だ。二度と会いたくないとさえ思っていた。
フェイトとギンガの死体の第一発見者はあの男だった。事情聴取にも素直に答え、動じる様子は無かったらしい。まるでその態度は普段と変わらなかったとも。
そして、あの男はそれから更に訓練に励むようになったらしい。
これも全部人づてに聞いた話だ。その頃の自分は異動の準備で彼の様子に構っている暇など無かったから。動じる様子が無かった。
普段と変わらなかった。
――あの男らしい、と思う。
そんなに深く知っている訳ではない。あの男の過去は知っているが、それが全てという訳でも無いのが人間だ。シン・アスカは自分から何も語らない。語りたくないのではなく、語らない。語るとすれば誰かに聞かれた時くらいだ。
それは、誰にも本当の自分を見せていないことを意味する。
実際、どうでもいいのだろう。あの男の過去は悲惨な過去だから。
信じた祖国に裏切られ、信じた仲間に裏切られ、信じた国に裏切られた。そして仲間の裏切りによって自分と親しかった人間を殺された。
それでもあの男は動じなかった。変わらなかった。
憎悪の塊になる訳でもなく、復讐の鬼になる訳でもなく、ただその虚無を深くしただけ。
シン・アスカという人間は別に特別な人間ではない。それこそ歴史上に出てくる英雄達とは一線を画すほどにその精神構造は一般人に近い。特別なカリスマ性がある訳でもない。
本当に、どこにでもいる普通の人々と何ら変わりない。
ただ、壊れている――壊れかけているというだけで。
そのただ一点が多分、自分との違い。動じなかった、変わらなかったという事実の理由。
無論、それは誇るべきことではないし、そうなりたいという訳では無い。
嫉妬、なのだろう。そんな風に自分は生きられない。希望を捨てて、願いに縋り付いて生きて意向と思うほどに、八神はやては絶望など出来ないからだ。
避難所(ココ)にあるのは彼女達が誰かを守る側になった時に背を向けた、諦観と絶望だ。
もっと上手く部隊を運用出来るようになりたい。どんなことに対応出来る経験を積みたい。
―――自分は馬鹿だ。そんなことの前にするべきことはあったはずなのだ。
少なくとも、手に入れた二等陸佐と言う地位はそれを何とかする程度のことは出来たはずなのに。
クラナガンはもはや焼け野原だ。戦場に選ばれた時点でこの結果は予想できていたはずだ。
なら、どうしてこの結果を回避しようとしなかった?
後悔が、あった。久しく感じたことの無い無力感があった。
(・・・・あいつは、ずっとこんな思いを抱いて生きてきたんやな。)
無力感と背中合わせで、特別に憧れながら、特別になり切れず。特別になれたと思ったら、“本当の特別”に叩き落されて。
道化のように踊り続ける馬鹿な男。けれど、馬鹿は馬鹿なりに踊り続けることを止めはしない。馬鹿であろうと蔑まれようと殺されようと、それをやめることは無い。
――悔しかった。
「・・・・本当、私、ここに何しにきたんやろ・・・・」
小さな呟きを遮って爆発音が大きく木霊した。
室内に沈黙が満ちた。
「・・・・・。」
その場の誰もが息を潜めた。
音が再び鳴った。残響する。徐々に大きくなる。避難所の中の人間が全員身を竦ませた。電灯が瞬いた。一瞬ごとに闇と光が繰り返す。
「・・・・・・」
しん、と静まり返る室内。
避難所の天井を突き破り、ソレが姿を現した。
誰もが言葉を失っていた。信じられないモノ、理解出来ないモノを目にした時、人は言葉を失い押し黙る。
「お、おい、なんだよ、あれは!?」
「・・・ば、バケモノだ。」
悲鳴。怒号。
はやてがそこを見た。天井。そこに僅かな隙間――幅2mほどの――が出来ている。そして、その隙間の先に曇天の空と、一体の蜘蛛のような機械が、
「ガジェット、ドローン。」
ガジェットドローンⅣ型の姿があった。一体だけだった蜘蛛は瞬く間にその姿を2,3と増やし、一気にその数を増やしていく。
考えるよりも早く咄嗟に身体が動いた。
詠唱する時間は無い/飛び降りる蜘蛛蜘蛛蜘蛛―――。
瞬間的に引き出せる最大出力を無理矢理構築。
一瞬、周囲を見た。どうするか―――決まっている。“守る”のだ。
脳裏に思いついた魔法を考えるよりも早く構成する――選んだ魔法は自動誘導型高速射撃魔法ブラッディダガー。名前通りに血の色をした鋼の短剣を組成し放ち着弾地点を爆破する魔法。
詠唱は破棄。そんな暇は無い。一度に組成出来る限界数を構成/数は10本。構わず放つ――甘い構成は実体化に綻びを作り、射出された瞬間10本の内3本が壊れた。
狙い違わず、7機のガジェットドローンに命中し、短剣の刃が内部に食い込み爆破――咄嗟に魔力障壁を展開。
展開したシールド――パンツァーシルトが蜘蛛の降下を防ぐ。蜘蛛――Ⅳ型の足が刃となって、障壁を切りつける。その後方から現れるⅢ型。ブラッディダガーで攻撃をする暇が無い。
砲撃が放たれる。数は一機では無い。見えるだけで3機。恐らくは10機を下らない。砲撃が命中した瞬間ヒビ割れていく障壁。甘い魔法構成。砕け散らなかったのが奇跡に近い。
「くっ―――!!」
息を吸い込み更に魔法を展開。ひび割れていく障壁。それを湯水の如く流し込む魔力で誤魔化し再構築を開始/ヒビ割れた障壁の内側に再度障壁を展開。
砲撃は収まらない。ヒビ割れていく隙間から次々とⅣ型が降下してくる。
室内を見渡し、奥にある通路を見つける――出入り口だ。そこしかない。
「皆、あそこに向かって逃げるんや!!」
その言葉で皆の目の色が変わった。うおお、と怒号を上げて室内にいた全ての人間がそこに向かって走っていく。後方からはガジェットドローンⅣ型が人間に向かって、ガシガシと走り出していく――右手を向ける。ブラッディダガーは使えない。攻撃の為に、照準している暇は無い。
「させへん!」
叫びと同時に再度、シールドを展開。
避難所の人間とガジェットを分断するように、境界を作るようにして薄い白色の障壁が展開される。
「ギギギギギギギ」
駆動音を上げて、Ⅳ型と上空から降下してきた巨大なⅢ型がAMFを展開し、シールドにぶつかり、ガリガリと削り取っていく。構わずはやても皆が向かった通路に向けて走り出す。瞬間、AMFによってシールドが砕け散った。
殺到する蜘蛛と球体の群れ。砲撃が、爪が、足が、触手(ケーブル)が―――
「は、ああああ!!」
飛び込んだ―――扉に手を掛けた。力の限り、直ぐ後ろにまで迫っていたⅣ型にドアを叩き付ける。
「ギギギギギギギ」
機械が叫ぶ。駆動音が声のように耳朶を叩いた/声は不気味で醜悪。どこかバケモノじみた――脳髄が沸騰する。右手を向ける。脳裏に思い描くは「氷結の息吹(アーテム・デス・エイセス)」。詠唱を全て破棄して、拙い構成のまま、その右手の先に向けて放つ―――寸前、彼女は直ぐに右手を引っ込めて、魔法の発動を解除した。
そのまま、後ろに右足を振り上げ、ドアに向かって力強く、突き出した。
「くそったれええぁあぁあああ!!!」
叫びながら、ガラスがサッシとぶつかって音を立てた。事務服のまま蹴り抜いたせいで、スカートの側面に切れ目が入り、ビリビリと破れた。白い下着が見えたが気にするな。そんなものよりも何よりも生存を優先しろ。
「はあああああ!!!」
魔力全力開放。障壁展開。ひび割れる壊れる砲撃を受け止められない、その全てを無尽蔵の魔力で押し戻し、ドアを完全に固定する。Ⅳ型がその足で障壁を貫こうと攻撃するも、まるでドアは動かない。それと同時に砲撃が行われた。ドアの前にいたⅣ型ごと扉を穿とうとするⅢ型の一撃――Ⅳ型の褐色のオイルが扉にぶちまけられた。Ⅳ型は粉々に――扉はびくともしない。
通常、数mの範囲を完全に防御する魔力障壁を一点に無理矢理集中させ、定着したのだ。その密度足るやあの鎧騎士の攻撃でもない限り貫ける訳もない。
がんがんと何度も何度もドアを叩くⅣ型。Ⅲ型の砲撃が避難所を破壊していく。障壁越しに見える光景。
「・・・・はぁ、はぁ、はぁ・・・・・」
息を切らして膝をついた。身体中から汗が酷い。ここまで必死になって走ったことなど何年ぶりだろうか。同時に全身に倦怠感を感じる。慣れない状況での魔法行使を惜しみなく魔力を使うことでやり遂げた代償かもしれない。
「・・・・何とか、なったか。」
油断無く前―――障壁で完全に固定した扉を見た。
間断なく続く砲撃と打撃と斬撃の嵐。障壁で完全に固定した扉はまるで壊れる気配が無い――完全に塞いだ。
こうなれば、この施設そのものを破壊でもしない限り―――とは言え地下に作られた施設である以上は周辺地盤の崩落を起こすほどの大規模破壊でもない限りは、こちらの安全は保障されたようなものだ
その事実を確認し、心の底から安堵して、溜め息を吐いた。
(・・・危なかった。)
ギリギリだった。今、生き残っているのが本当に奇跡のように思えるほどに死ぬか生きるかの瀬戸際だった。
―――総合SSランク。それが八神はやての魔導師ランクである。これは、フェイト・T・ハラオウンや高町なのはやシグナムよりも更に上の位階であり、魔導師としては最上位とも言っていいほどの位階だ。
だが、それは個人の強さに直結する位階ではない。少なくとも八神はやてのSSというランクは彼女がその身に持つ希少技能によるものが大きく、戦闘能力を評価されてのランクではない。
そして、その事実が示す通り、彼女の戦闘能力は脆弱だ。
最も戦闘能力が低いと思われるキャロ・ル・ルシエでさえ、ガジェットの大群に対して防壁を張り続けること“しか”出来ないなどということはないだろう。少なくとも、攻撃を行い、ガジェットの数を減らすなり、フリードによる殲滅を行うなど何かしら出来ることがあった。
だが、彼女はそれが出来ない。
無論、彼女にも攻撃の手立てはある。その全てが大規模攻撃魔法しかないと言う致命的な大問題があるだけで。
恐らく使えば倒せるだろう。AMFがあろうとなかろうと八神はやての攻撃魔法は関係無しに破壊する。だが、その代償としてこの避難所は破壊、もしくは中の人々は死ぬ。先ほど彼女が魔法の発動を取りやめ、右手を引っ込めたのはその為だ。
あのまま、撃っていたら、術者である彼女共々この避難所の全ての人間が死んでいた。その確信がある。
リインフォースⅡと言うユニゾンデバイスがいてこそ彼女は魔法を制御できる。逆に言えば、リインフォースⅡのいない状態では完全な制御なぞ望むべくもない。
ぎりっと奥歯を噛み締め、彼女が無理矢理締め切った扉を見た。扉からこちらを覗くガジェットの大軍――蠢く様は巨大な虫が獲物を求めて彷徨っているようにすら見える。正直、見慣れているとは言え、生理的な嫌悪感が無い訳ではない。
視線を扉に向けたまま、思考を巡らせていく――この後の展開について。
本当なら、この出入り口から避難所を脱出して別の場所に行く。そうするべきなのだろう。だが――
(後ろは、もうふさがっとる。)
崩れ落ちた瓦礫によって後方に繋がっているはずの出入り口は細長い個室と化している。
目算で、長さが凡そ6mほど。天井までの高さは2mも無いくらい。そして、幅も同じく2mは無いだろう。身長150cmしかないはやての両手を伸ばしても、僅かに届かないくらいなのだから。
(・・・どうする。)
後方から抜け出ることが出来ないとなれば、それ以外の脱出方法が必要となる。
一つは正面突破。並み居るガジェットドローンの群れに単身突撃し、その群れを駆逐し、この場にいる皆がこの部屋を脱出する為の間を作る―――出来れば既にやっている。
もう一つはこのまま、ここで待つこと。これだけ避難所が破壊されているのだ。畏れずともその内に異常に気付いた管理局の局員が必ずやってくる。そうなれば、少なくともこの場を脱出する程度の時間は稼げる。現実的に考えればこちらが正解だろう。ある一つの問題――助けが来るまで障壁が持つかどうかという問題さえ除けば。
甚だ不本意ではあるが、それしかない。デバイスの一つも持ち出さなかったことを今更ながらに悔やむ―――それも今更だ。彼女は更迭された時にデバイスは全て没収されている。あの剣十字の紋章も、夜天の書も全て。事務には必要ない。そういう理由で。自分はまるで抗わなかった。それでいいと思ったからだ。
周りを見る。皆の視線が自分に集中しているのを感じる。魔導師としての特異性への疎外感。どうしてこんなところにいるのかと、そう言いたげな。
(・・・まあ、そら、そうやな。)
本来なら、クラナガンに配属される魔導師は全て出払っているはずだ。
だから、こんな避難所にいるのはどういうことだ、と。そんなところだろう。
室内に立ち込める雰囲気は暗く、重い。誰も言葉を発さないのは現在の状況が最悪ではないだけでそれの一歩手前だと知っているからだろう。
再び衝撃。迷わず障壁に魔力を込める。魔力消費は度外視。十重二十重に重ねられた魔力障壁は今しばらくの間、この場に彼女達を留めることを許してくれるだろう。それもはやての魔力が持つまでだ。敵にAMFと言う魔法の天敵がある以上、どう足掻いてもこちらの分が悪すぎる。その上、敵の数は見えるだけで20を軽く越えている。
唇を歪める。全身に倦怠感を感じる。彼女の魔力が尽きるのも、そう早くは無い。時間は無い。
(・・・どうする。)
扉を睨み付け、息を整えることに専心する―――その時、声がした。沈黙を破る“泣き声”。
「うっ、ひっく、えぐっ・・・!!」
声。泣き声。
沈黙で固められた室内を砕く子供の声。
硬い空気に僅かにヒビが入る。はやてが少女の方に近づいた。
近寄る寸前に一瞬扉を見る――障壁はまだ壊れていない。壊れる様子も無い。それを確認し、少女の元に歩み寄り、しゃがみ込んだ。
「・・・どないしたん?」
泣いていたのは少女――年齢は恐らく10にも届かないほど。僅かに子供の嗚咽が小さくなる。
「うっ、ひぐ、う、うううう」
答えを返さずに涙を流す少女の頭を優しく撫でた。
「・・・ふ、あ・・・?」
少女の瞳に映った警戒心が少し薄れた。こういった時、人の温かみは安心をもたらす――経験上、自分がそうだった。
「お母さんは?」
「・・・・ひなんのときに、うっ、えぎっ、はぐれて・・・・わ、わたしだけで・・・・・」
「そか。」
よくある話だ。避難する際に親子共々一緒に避難所に入れないことは。
少女と眼が合う。どこか、その少女に昔の自分を思い出す。何も出来ず、何も無く、ただ独りあの家で孤独に堪えていた自分を。
撫でながら、呟いた。撫でる毎に少女の顔に安心が生まれていく。
「お嬢ちゃん、名前はなんて言うん?」
「・・・・・ま、マイ、だよ。ひっく・・・・マイ・アサギっていうの。」
嗚咽しながら少女は懸命に名を呟いた。瞳には不安があった。当たり前だ。
子供が親と逸れ、こんな避難所で一人ぼっちでいるのだ。むしろ、今まで泣かずに我慢していたことが凄いと思った。この年頃の自分ならきっと泣いていた。そんな確信を思い出して。
「マイちゃんか・・・・よう、頑張ったな。こっからお母さんと会うまで、私が一緒にいたる。どうや?」
「・・・・おねえちゃんって・・・・・まどうしさんなの・・・?」
恐る恐る尋ねるマイ。
魔導師、ではある。随分と不完全な状態ではあるが。
苦笑しつつ、返事を返した。
「そうや。私は、魔導師や。」
ごくり、と周りが息を呑み、その内に一人が口を開いた。
「な、何でこんなところにいるんだ、あんた・・・い、いやそんなことはどうでもいい!!魔導師だって言うなら、アレを何とかしてくれよ!!」
立ち上がり、問いかけてきた男に向かって、言い放つ――絶望を。
「・・・残念ながら何ともなりません。私の力ではあれが限界です。」
自分で言いながら情けなくなってくる。
「な、何でだ!?魔導師なんだろ!?管理局なんだろ!?」
男はすがる様にしてはやてに向かって叫び続ける。薄明かりの通路の中に男の声がよく響いた。
「魔導師とは言え、出来ることと出来ないことがあります。・・・・申し訳ありませんが、ここで誰かの助けを待つ以外に出来ることはありません。」
淡々と呟く。出来るだけ冷静に、落ち着いて。それだけを胸に言葉を放ち続ける。
男の眼が見開いた。すがりつけるはずの希望に裏切られた――そんな顔。
「・・・・は、はは・・・・じゃあ、何か・・・俺達このままここにいるしかないって言うのか!?なんだよ、それ!!」
男が叫んだ。はやては、その問いに頷き返し、続ける。
「・・・・・このまま、障壁を張り続けることは出来ます。誰かがきっと助けに来てくれると思います。・・・・通信は今も送り続けています。せやから、信じて待っててください。お願いします。」
そう言って頭を下げるはやて。
一人、また一人と力が抜けたように腰を落としていく。
薄暗くて、よく見えないが、その顔に映るのは総じて諦観と絶望だ。どうしようも無い現実に屈する無力。
唇を噛んで、拳を強く握り締めた。
(・・・・嘘まで吐いて、本当に何してるんやろな、私は。)
通信などしていない。と言うよりも出来ない。この実際、先ほどから何度も何度もヴォルケンリッターに念話を送っているものの返答は未だに無い。恐らく、この施設全体を高濃度のAMFが覆っているのだろう。念話と言えど魔法である以上は魔力素を結合し、現象として顕現させていると言う原理に違いは無い。ならば、その原理に食い込むAMFの影響を受けないはずが無い。
―――念話は誰にも届かない。だが、はやてはそれを言わなかった。避難民達は既に苛立ち始めている。この状況で悪い情報を与えるのは得策では無い―――そうなれば自分でどうしようもなくなる。
情けない。不甲斐ない。悔しい。
憤怒――もはや殺意にもなりかねない自身への怒りが彼女の心を軋ませる。
周りからの失望の視線が痛い。そして自分自身の弱さが憎い。
何が、夜天の書の主だ。何が総合SSランクの魔導師だ。何も出来ない、何も、自分は何もすることが出来ない。弱いから、弱いから、弱いから。力が、無いから。
その時―――涙すら毀れそうなほどに心の内圧が高まった時、ふと右手に暖かさを感じた。
「・・・おねえちゃん、わたし、しぬの?」
涙を堪え、少女が――マイが呟いた。
「・・・・・きっと、助けが来るから。それまで、待ってれば・・・」
言葉を言い終える前に少女の目に涙が溜まって行く。あ、と思った時は遅かった。
「・・・・・う、うう・・・・ううっ・・うわああああああん!!」
涙がこぼれ出した。絶叫のように、これまで溜め込んでいた涙を解放したかのように、マイは大声で泣き出した。
続いて巻き怒る怒号。うるさい、黙れ、ふざけるな、何で俺がこんな目に―――繰り返される怒号と罵倒。少女の泣き声を皮きりに室内がそれだけに満ちていく。諦観と絶望と憐憫に。
その時、衝撃と轟音が室内を揺らした。一度や二度では無く、ごん、ごん、と断続的に衝撃と音が鳴り響く。
室内に再び沈黙が舞い戻る。まぎれも無い死の恐怖だ。通常に生きていれば決して感じることの無い感情。
震動と衝撃が無機的に繰り返されていく。
その音が耳朶を叩く度、一人、また一人と嗚咽を始める。絶望を重ねていく。一人の絶望は伝播し、二人の絶望を呼び込んで、二人の絶望は三人の絶望を呼び覚まし、三人の絶望は四人の――。
連鎖する絶望。覚醒する自己憐憫。
そうして、いずれは確信し、絶望と諦観は恐慌を導き出す。
その果てに彼らは知る。自分達は助からないのだと言うことを、世界は優しく無いことを、命とは何よりも軽いものだと言うことを、自分達はここで死ぬのだと。
救助は来ない。戦闘中にこんなところに助けに来るような暇な人間はどこにもいないだろう。
死ぬ――自分は誰も守れずに死ぬ。
現実とは厳しいものだ。理想論で誰かを救えることは無い。漫画やコミックのように、ここで新たな力にでも目覚めて、扉を開けてあの醜悪な機械の群れを駆逐できれば――そんな力などどこにもない。子供の世迷言と同じだ。
意味の無い思考――どこにも届かない夢想だ。
(・・・・なんで私は、無力なんやろうな。)
悔しかった。
何も出来ないことが、無力なことが―――自分は本当はこんな少女を泣かせない為に頑張っていたはずなのに。
確かに自分は逃げ出した。親友を失ったから、後輩を失ったから。それも自分のせいで。逃げ出したのはそれと向き合うことが辛かったから。向き合えば自分を責めることになるから。
手が震える。胸の奥でどくんどくんと鼓動が大きくなっていく。胸のざわめきが収まらない。
(・・・・何が、悔しいや。シンが認められない、や。)
単に自分は怖かったのだ。フェイトとギンガを“殺した”ことが認められなかっただけなのだ。
唇を噛んだ。噛み切った。口内に広がる鉄の味。血の味。痛みと共にそれを飲み下して、それでもまだ震えが収まらない。
逃げるべきではなかったと思う。確かにここにいて何か出来たかと言われれば分からない。
役立たずの自分では何も出来なかったかもしれない。けれど、何も出来なかったかもしれないと言うのは、逆に言えば―――何か、出来たかもしれないことを意味している。
逃げ出した時、自分はその可能性を握りつぶした。
馬鹿だ。本当に大馬鹿だ。そんな馬鹿な自分に憎悪すら感じる―――不意に、右手に暖かさを感じた。右手を、小さな手が握り締めていた。
「・・・・おねえちゃん・・・どうしたの・・・・?」
マイは不安げに呟き、はやての手を握る力を強めた。
暖かい――そう思って、扉に視線を向けた。ヒビ割れて、いつ壊れるか分からない扉を。後悔だらけの人生そのものの象徴に思えて、笑い出したくなる。
断続的な衝撃と轟音。何度も何度も何度も繰り返し続いていく。終わりは近い。震える少女の手を強く握り返し呟いた。
「・・・・なんで、私はヒーローやないんやろうなって思ってな。」
「・・・ひーろー?」
おうむ返しに聞き返すマイ。
彼女の姿とこの状況はどうしようも無いほどに、自分を思い出させる――あの、何も出来ずに無力だった頃の自分を。
―――昔、一人の少女がいた。
父母を亡くし、身寄りを失い、誰もいない孤独の家にいた独りの少女が。
少女は家族が欲しかった。
誰かが欲しかった。
そして、運命は少女に家族をくれた。
けれど、運命は残酷で。家族はまた奪われる。
その果てに、彼女が望んだモノ。それは、御伽噺に出てくるような、漫画やコミックの世界の中にだけいる、ヒーローだった。
リインフォースのことを思い出す。彼女が、そんな風に誰かを助ける側でありたいと望ませた原因を。
正義とか悪で割り切れないモノだった。闇の書は悪かもしれない。けれど、その中にいる彼女は決して悪でなかった―――少なくとも、自分にとっては。
だから、ヒーローになりたかった。
世を救う救世主としての英雄では誰も救えない。その意味の通りに世界を救うだけ。
信念を救う正義の味方では誰も救えない。その名の通りに正義を救うだけ。
ヒーローは何も救わない。ただ、誰かを救うだけ。リインフォースを救いたかった。誰かが犠牲になることで誰かを救う、そんな正義を容認したくなかったから―――だから、思い描くのはこんな絶望を砕いて壊して、突き破るヒーローだった。
ぼうっと見上げながら、悔しそうに彼女は呟いた。
「・・・私がヒーロー、やったらなあ・・・・こんなのきっと何とかしたるのになあ」
夢だった。時空管理局に入ったことにもそれは関係しているだろう。
誰かを助けたかった。自分もなりたかった。自分を助けてくれた少女――高町なのはや、フェイト・T・ハラオウンのようなヒーローに。
自分にとっては二人はヒーローだった。憧れだった。自分もそこに並びたいと思った。だから、頑張った。頑張って、頑張って、頑張って――力を得た。
けれど、その代償として自分は気づいてしまった。
自分は、ヒーローにはなれないことを。
「・・・・へんなの。ヒーローっておとこのひとのことだよ?」
そう言ってマイは怪訝な顔ではやてを見た。はやては儚げに微笑み、再び天井を見上げ、呟いた。
「そやね。けど、多分そうなりたかった。」
ヒーローになりたかった。けれど、ヒーローにはなれなかった。
単独の戦闘能力が低い自分は、高町なのはやフェイト・T・ハラオウンのように前線で戦うことはまるで向いていない。当然だろう。9歳の頃まで自分は満足に歩くことも出来なかったのだ。単純に考えて、運動神経などは皆無、と言うよりもそういった概念を持つだけで精一杯だった。
だから、はやては彼女が望んだ“ヒーローの側”から“ヒーローを支える側”になることを選んだ。ヒーローになれなかった。
だから、自分は戦力を集めた。
ヒーローを、コミックやマンガの中だけにいるヒーローになれるかもしれない人間を。
誰をも救おうとして、誰をも救えずとも、決して諦めずに戦い続けるヒーローの可能性をもった人間を。
そうやって、彼女はいつもヒーローを求めていた。
自分の為に動いてくれる無敵のヒーローを。
「・・・・そういや、あいつはそれになりたかったんやな。」
多分、シン・アスカはそんなヒーローになりたかった。
―――あの世界に戻ったところで、もう誰も“守れない”。だから、俺は、ここにいたい。
あの男はそう言った。自分はそれが許せなかった。
互いに掛け替えの無い「喪失」を経験し、その為に力を求めたシン・アスカと八神はやて。
方向は違えども、二人の本質はよく似ている。そして至った道は真逆の道。
シン・アスカは守る為に全てを捨て、八神はやては守る為に全てを欲した。
それゆえに、全てを欲する彼女にとって自分の命に欠片も意味を見出せない彼の言葉、それが彼女には許せない。犠牲を許さない、彼女にはそんなシン・アスカが看過出来なかった。
―――けれど、その思いの裏にあるのは、嫉妬だ。自分はどう足掻いてもシン・アスカと同じ選択は出来ない。
もしかしたら、と言う想いがあった。もしかしたら、この男はそうなれるのではないかと。
年を重ねるごとに、現実を知って子供じみた世迷言は減っていく。
夢はいつか醒める。21歳と言う年齢は彼女の心からヒーローになろう、と言う気持ちを消していく。
ヒーローは子供が憧れるモノで大人が憧れるモノではないから。
現実を知った大人にはヒーローと言う存在がどれだけ“狂って壊れた”存在なのかを理解出来てしまうから。
だから、もしヒーローになる人間がいるとしたら、そいつはきっと馬鹿なのだろう。現実を見ない大馬鹿野郎。
現実に存在しないことを理解して、それでもそうなろうと、現実を無視して走り続ける大馬鹿だけがヒーローになれる。
ヒーローとはそんな人種だ。そして、偶然にもあの異邦人はそうだった。
20歳にもなって、全てを守るだの誰も死なせ無いだの、そんな夢見がちなことを言い続けていたから。しかも戦争に従事し、クソッタレな現実に何度も何度も煮え湯を飲まされて、仕舞いには殺されて、それでも諦めずに走り続けて、生き延びて、ここまで来た。
はっきり言って馬鹿だ。普通はそうなる前に諦める。なのにあの男は諦め切れずに今も尚、戦い続けている。
―――子供の頃に憧れたヒーローはシン・アスカの側にいる。自分は本当はそうなりたかった。けれど、自分が選んだのはその側ではなく真逆の側。
ギンガやフェイトがあんなに早くおかしくなったのも道理なのかもしれない。
ギンガ・ナカジマは幼い頃に母を亡くし、そのせいで早熟せざるを得なかった。大人であることを強要され、子供であることを置き去りにしてきた。
だからシン・アスカに惚れたのは簡単なことだ。哀れだったからだ。傷だらけになって、泣きそうになっても頑張り続けるシンの姿が可哀想でならなかったからだ。
だから、発端は同情。これは間違いない―――だけど、恐らく彼女が本当に惚れたのは“そこ”ではない。彼女が気づいていたのかどうかは知らないが、恐らく、ギンガはずっと誰かに“守られたかった”。
置き去りにしてきた子供心はずっと誰かに守られることを望んでいて、だからそんな彼女はシン・アスカに守られることに安堵した。情熱ではなく安堵によって彼女はシン・アスカと言う男に惚れたのだ。
フェイト・T・ハラオウンはクローンと言うその特殊な出自からか、早熟する必要があった。母に認められたいから。褒めてもらいたいから。純粋な子供ならば誰であろうと与えられる当然のモノを彼女は与えられず、結果としてそれは彼女に“従順さ”を植え付けた。自分を絶対に裏切らない誰か―――それを造る為に彼女自身が絶対に誰も裏切らない存在でなければならないから。
シン・アスカに惹かれたのはその影響だ。
彼は誰かに裏切られ続けた存在だ。その結果、男は従順な獣として生きることを選んだ。自分と同じだと思ったのかもしれない。人生と言う鎖に雁字搦めに縛り付けられた哀れな男だと。
つまり、発端はギンガと同じく“哀れみ”。彼女も初めはただ哀れみから惹かれたのだろう。そこに間違いは無い。
だが、彼女はギンガと同じく守られたいと思ってシンに惚れた―――のではなく、そんな鎖や哀れみとかそんなもの全て関係無しに好き勝手に暴れて守ろうとするエゴに惚れたのだ。
フェイトが本当に望んでいたのはそんな愚直なまでの我の強さ。絶対に何があっても自分を張り続けるその心根の強さ。そこに彼女は“期待”したのだ。この人はどこまで自分を変えてくれるのか、と。
ギンガ・ナカジマはシン・アスカを綺麗な存在として、自分を守ってくれる、彼といると安堵するから惚れた。
フェイト・T・ハラオウンはシン・アスカが醜悪なエゴの塊として、彼に期待したからこそ惚れた。
とどのつまり、二人は惚れ方こそ違えどシン・アスカがヒーローになろうと足掻き続ける大馬鹿野郎だから惚れたのだ、と思う。
これらは全てもう確認のしようも無い推測でしか無いし、考えても意味の無いことではあるけれど―――多分、そんなに外れてはいない。
二人とはそれなりに付き合いの長い―――片方は親友だから付き合いが長いという問題ですらないが――はやてはそう確信していた。
要するにどこにでもある単なる初心な初恋。それが答えだ。
(・・・・考えてみれば、私も、同じか。)
彼女は思い至る。自分自身の根幹に根差した衝動に。彼に拘る意味に。自分がここにいる理由に。
初めて会った時、八神はやてはシン・アスカを見て懐かしいと思った。
考えてみればそれは至極当然の話だ。何故なら、シン・アスカは家族(リインフォース)を失った日の八神はやてに似ていたのだから。
ヒーローになりたいと願ったあの日の自分に似ていたのだから。
その想いは決して恋ではない。恋というよりもそれはむしろ、執着に近い。
シン・アスカは八神はやての夢を叶えてくれるのではないかという、夢への執着に。
―――だから、許せなかったのだ。ヒーローになることが出来る“かもしれない”のに命なんてどうでもいいと言わんばかりのシン・アスカが。自分の夢に泥を塗られたような気さえして、彼女は憤慨した。
そして、それは―――そのまま此処(クラナガン)に来た理由に当てはまる。自分は、あの男を死なせたくないから、ここにいる。シン・アスカがどうだとかは関係ないのだ。ただ、八神はやては自分の夢が壊れることが許せなかったから。
だから、ここに来た。何が出来るのか、何がしたいのか、そんなこと一切分からないままこの無力で在ることしか出来ない戦場へと。
―――その事実を確認すると、少しだけ視界が開いた気がした。
不思議そうな眼でマイが自分を見ていた。いきなり黙り込んだからだろう。
しゃがみ込み、少女と同じ目線で、少女に笑いかけた。
出来る限り、明るく朗らかな笑顔を意識して。
「大丈夫や。きっと助けはくる。だから、安心するんや。」
少女の顔はまだ晴れない――当然か。そんな簡単に安心するほど子供の心の隙間に入り込んだ恐怖は拭えない。だから、今度は抱きしめた。包み込むように優しく、少しだけ力強く。
「・・・大丈夫や。」
「・・・・・・・う、うん。」
その言葉と抱擁でマイの表情が少しだけ和らいだ。
轟音と衝撃。さっきよりも大きくなっている。終わりが近づいている。
全員の表情が強張る。少女の、マイ・アサギの表情も強張った―――はやては再び微笑んで、少女の小さく震える身体を抱きしめた。
「―――皆、私が守ったげるから。だから、信じてくれんかな?」
「・・・・・おねえ、ちゃん・・・・」
「おねえちゃんやない。はやてや。八神はやて。」
「やがみ、はや、て・・・・?」
「ああ、そうや。」
少女を抱きしめていた手を放し、前に進み出る。
武器は無い。デバイスの一つも無ければ、自分の力を制御する術の要でもあるリインフォースⅡもいない。
戦えば敗北は必至。そして敗北はそのまま死に直結する。
なら、何故自分は戦おうとするのか。
―――そんなこと知るか。守るのに理由がいるんか。
心が紡ぐ。言葉を紡ぐ。“覚悟”を紡ぐ。
きっと自分はヒーローにはなれない。今までなれなかったのだから、これから先も同じことだろう。
けど、それでいい。自分はヒーローを支える側で在ることを選んで此処まで来た。
ユメを誰かに叶えさせる為に此処まで来た。
今更、それが間違いだったなどと訂正するつもりなど毛頭無い。
だから―――今はもう少しだけ頑張ってみよう。
あの大馬鹿野郎をヒーローにする為には自分だって諦めている訳にはいかない。
ココロが壊れたと言うのなら、繋いで叩いて直せば良い。
良い男を育てるのは、良い女だと相場は決まっているのだ。
「そうや。私の名前は・・・・八神はやてや。」
上着を脱いで丸めて放り投げた。上半身を覆うのは白いワイシャツ。下半身を覆うのは紺色の側面が破れ、スリットが入ったスカート。
「ヒーローになり損ねた、ただの女や。」
少女にその言葉の意味はわからない。多分、はやて以外誰もその言葉の意味などわかりはしない。
だが、それでいい。自分さえ分かっていればそれでいい。決意なんてそんなものだ。覚悟なんてそんなものだ。人生なんて―――そんなものでいいのだ。
前に進み出た。俯き、押し黙る避難民に声をかける。
「全員、私の後ろにいてもらえますか。」
「・・・あんた、何を言ってんだよ」
「何が出来るんだよ、あんたみたいな女一人で。」
皆が口を開いた。放たれる言葉は罵倒と失望と諦観ばかり。予想通りの反応。
すう、と息を吸い―――不敵に微笑み、叫んだ。
「―――はよ、下がれ言うとるんや、このアホンダラぁっ!!!」
ビリビリと空気が震動したと勘違いするほどの怒号。密室空間で放たれたその声は鼓膜を突き破らんばかり大きかった。
皆が呆気に取られて彼女を見た。マイがこちらに向かって微笑んでいる――微笑み返した。
「ええか。ここは私が、必ず守る。せやから―――せやから、あんたらは私を信じて欲しい。」
皆がはやてを見た。突然、態度を豹変した露出の多いワイシャツの女を。
「みんな家族とかおるやろ?帰りたいやろ?・・・・こんなところで死ぬとか話にならんくらいにムカつくやろ?」
視線が集まる。
「さっきの言葉の通り、誰かが来ないと駄目なんは事実や。それは変えようがない。・・・・せやから、それまでは必ず私が守ったる。必ず、みんなを家に帰したる。」
皆の目を見る。呆気にとられている者がいる。笑っている者がいる。泣いている者がいる。
その目の全てに絶望があった。その絶望の全てを安堵の吐息に変える為に。
「今は私の指示に従って欲しい。こんな小娘で頼り無いかもしれんけどな。」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
一人、また一人とはやての後方に集まって行く避難民たち。
別に今の言葉に納得した訳でも無ければ、感銘を受けた訳でも無い。
死ぬかもしれない恐怖を、そんな言葉だけでどうにか出来る訳が無い。彼らの瞳が語る事実は一つだけ―――こんな小娘に何が出来る。それだけだ。
足を前に踏み出す。避難民は全て自分の後方に下がっていった。扉と自分の距離は約5m。自分と避難民との距離は3mほど。
自分の前には誰もいない。ここからは自分の魔力と障壁、ガジェットのAMFと攻撃との単純な鬩ぎ合い。
扉にヒビが入った。壊れるまでもう数秒も無い―――構うことは無い。まだまだ魔力は残っている。両手を突き出し、魔力障壁を再構成。
「はぁぁぁぁぁっ!!!」
ヒビの隙間に入り込む白い魔力。それを抉り攻め立てる高濃度AMFとⅢ型の砲撃とⅣ型の斬撃。
ヒビ割れる。注ぎ込む。ヒビ割れる。注ぎ込む。
均衡は即座に崩れた。
ぱりん、とガラスが割れるような音を立てて、障壁が砕け散った。
「―――っ、まだやっ!!」
ガジェットが入り込んでくる前に再度障壁を展開。魔力注入。構成の甘さを膨大な魔力量で誤魔化し揉み消し、食い止める。
「ぬ・・・・ぎぃぃぃいいいい!!!」
腕に血管が浮き出る。汗が吹き出た。
ヒビ割れていく障壁/閉じて行く隙間――鬩ぎ合い/終わらない。
障壁に向けて放たれる何発もの砲撃。障壁の直ぐ近くで斬撃を繰り返すⅣ型ごと砲撃が障壁に食い込んで行く。
「まだ・・・まだ・・・・!!」
呟き、自身に叱咤。障壁が崩れることは後方にいる彼らの死を意味する。あの少女が死ぬことを意味する。
―――ふざけるな。
まだだ、と更に魔力を集中。輝き。白く、そして熱く。
AMFによって結合を解かれていく魔力。その綻びに乗じて刻み、貫く斬撃と砲撃――構うな。続けろ。
切り裂かれていく障壁。抉られヒビ割れていく障壁。
「まだ、や・・・・・!!」
ぱりん、と割れた。粉々に砕け散った。その間隙を狙って、放たれたⅢ型の砲撃。咄嗟に魔力障壁を自身の直ぐ前方に張り出すことで防御。
「くそ・・・たれぇっ!!!」
Ⅳ型がその隙に近づく―――障壁を食い破る為に斬撃を振るう。目前で障壁が削り取られていくのが視認出来る。
後ろから悲鳴が聞こえる。ざわめきが聞こえる。けれど、少女の声は聞こえない。ふと、後ろを見た。
「・・・・・・。」
少女が見ていた――――自分を見ていた。
“だから―――もう少しだけ頑張ろう”。
言葉を紡ぐ。決意を紡ぐ。覚悟を紡ぐ。
命を賭けるほどの魔力行使は自分には出来ない。だから、命を懸けて何かを遂げることなど出来はしない。自分は、自分の命を抱えたままでしか何かを遂げることしか出来ない。
思考を加速。魔力を収束。意識を集中し、現状取れる全ての手を考えろ。
ぴき、と障壁の亀裂が大きくなっていく。
「ぎ、がぁぁぁっ!!!!」
もう少しでいい。もう少しだけでいい。もう少しだけ、もう少しだけ、お願いだから、もう少しだけ―――
「く・・・そ・・・・!!!」
障壁に大きな亀裂。割れる。終わる。死ぬ。守れない。少女が死ぬ。これで、終わる―――
「―――あ。」
今度こそ、割れた。砕け散った。再度障壁を張ることを試みる/間に合え―――間に合わない。守れない。自分はやっぱり、役立たずで、
「くそ。」
呟きは一瞬。思ったことはただ一つ。
(悔しいなあ。)
思考が途切れる。意識が漂泊する。今、終わる。終わってしま――
「―――はやては」
その体躯に見合ったような小さな呟き。白いバリアジャケットを纏った鉄槌少女(ハンマーガール)が、
「死なせ―――」
その小さな身体と可憐な容貌に不釣り合いどころか、まるで似合わない出鱈目で刺々しく、何よりも巨大な鉄槌を――
「ねええぇぇぇえええええっっ!!!」
渾身の力で振り回し、暴れる/猛る/ぶち抜く/ぶち壊す/ぶちのめす/ぶっ潰れろ―――!!!
(ドカバキグシャバキバキバキドゴゴゴゴゴゴガガガガギギギゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ―――!!!)
轟音と衝撃が耳朶を貫いた。ついで激突音。そし粉微塵になったガジェットドローンの破片がはやてが一瞬遅れて展開した障壁を叩いた。
「だぁあらぁあああああぁぁっっ!!!!」
一機と言わず、二機と言わず、三機を四機を、目前に迫る全てのガジェットドローンを蹂躙していく鉄槌少女(ハンマーガール)。
「は、はは・・・・・」
思わず、唇を歪めて笑ってしまった。
暴れているのは誰あろう、夜天の王の―――否、八神はやての騎士ヴォルケンリッター・ヴィータ。
そして、
「貴様ら全員ぶち壊してくれる・・・・!!!」
血走った眼でガジェットを切り伏せて、蹴っ飛ばして、踏み潰す烈火の将シグナムが、
「・・・・・もう何でもいいからぶちまけちゃってくださいね。」
瞳孔の開いた眼をしたままぶつぶつと呟き、ガジェットを糸(バインド)で束縛し、次々と輪切りにしていく湖の騎士シャマルが、
「あ、犬がいる!!」
「犬が、闘ってるだと…!?」
「あの犬すげえ、魔法使ってるぞ・・・・」
「わんちゃん、かっこいい!!」
咆哮とともに上空から降り注ぐ岩の雨――――盾の騎士ザフィーラが。
どこか釈然としない声で吼えた。
「わ、わおおおおおおん!!!」
「・・・・なんつー、不憫なんや。」
瞬く間に葬り去られていくガジェットドローンの群れ。これまで苦しんでいたことが嘘のように、圧倒的に、無慈悲に、蹂躙して行くヴォルケンリッター。
僅か十分も経たない内に蹂躙は終わる。残るは執拗に壊され尽くしたガジェットの破片の群れ。よほど、はやてを殺そうとしていたことが腹に据えかねたのだろう。機能停止しているガジェットをそこから更に細かく砕き、粉微塵にしていった。
苦笑しながらその光景を眺めながら、はやてがぼそりと呟いた。
「・・・・皆、何でここやって分かったん?」
【ボクが教えたのさ・・・・主を助けに行けってね。】
通信が繋がる。脳裏に突然届く念話――聞きなれた声。
ガジェットが殆ど掃討されたことで、AMF濃度が下がったのだろう。先ほどまでのようなノイズは無く、澄み切った声が届く。
【どうやら、生きていたようで安心したよ、はやて。】
(よう言うわ。)
心中で毒づく。
まるで慌てていないその口調―――八神はやての知るヴェロッサ・アコースとは飄々として、心中では何を考えているか分からない男である。だが、長い付き合いだからか、 冷静沈着ではあっても怜悧冷徹な男ではないのだ。少なくとも、近しい人間が死んだり、死ぬような状況に陥って尚何も思わない。そんな男ではないことを。
恐らく、ヴェロッサははやてがこの場にいることを察知し、すぐにヴォルケンリッターに指示を出したに違いない。この避難所が襲撃を受けてから、救助に彼女たちが来るまでに、数十分しか経っていないことがその証だ。
それでありながら、こうやって、そんな素振りは全く見せない。
(・・・・自慢の兄貴分やとは絶対に言わんけどな。)
心の中でだけそう呟き、口を開いた。
「ロッサ・・・・直ぐにここに救助をよこしてくれへんか?それとマイ・アサギって子の親御さん探したってくれ。」
【お安い御用だ。今すぐに手配しよう。】
「それと、」
【何かな?】
「何で、今回の襲撃のこと詳しく教えてくれんかったんや?」
一瞬、彼の声が途切れた。沈黙は数秒。それは後ろめたさの表れ――言うべきではないことを言い放つための逡巡なのだろう。
【キミじゃ役に立たないからだ。キミではどうしようもない。1000機のガジェットの大群にキミは何が出来た?」
「・・・・・1000機?」
口から出た言葉は間の抜けた呆けた声。言葉の意味を一瞬理解出来なかった。
【ああ。今回の襲撃は1000機のガジェットとナンバーズとこれまで現れた鎧騎士達。それとエリオ・モンディアル。そして君は知らないが、終いには巨大な人型兵器が蹂躙している。はっきり言ってキミではどうしようもないだろう?】
「・・・・・」
押し黙るはやて。その通りだ。1000機のガジェットドローンに加えて、あの鎧騎士に、強化されたナンバーズ。その上、異常なほどの戦闘能力を持ったエリオ・モンディアル。そして、極めつけに巨大な人型兵器がいるという。
どうしようもない、と言われても仕方は無いだろう。
―――犠牲を許容出来ない彼女に、そんな絶望的な戦闘を前にして出来ることなど何も無いのだから。
【だから、外れてもらったのさ。キミに出来ることではないとカリムが判断したのでね。だが――。】
口調が変わる。それまでのような厳しい事務的な口調ではなく、優しい彼女の兄貴分の声へと。
【―――僕はキミにはまだ出来ることがあるんじゃないのか、って思ってね。だから、あんなメールを送ったのさ。】
緑色の魔力で編まれた犬―――ヴェロッサ・アコースの希少技能“無限の猟犬”が、そこにいた。口にくわえているのは剣十字の紋章。騎士杖のデバイス―――シュベルトクロイツ。
【僕はカリムよりももう少し君のことを買い被っているのさ。カリムには可愛い妹分を死なせるのは忍びないと言ったけど・・・・・可愛い子には旅をさせろとも言うだろう?それと同じさ。】
近づいてきた猟犬から剣十字の紋章を受け取る。手に馴染む使い慣れた感触。思わず、笑みが浮かぶ。
【確かに君はここで死ぬかもしれない。けど、あそこにいても君は生きながらに死んでいくだけだー――それなら、同じことだろう?守りたかったモノを守り切れなかったっていうのは酷く辛い話なんだから。】
言葉に少しだけ悔恨が滲む。
そこに何が秘められているのかはわからない。念話による通信では言葉は繋がっても心までもを繋げるのは無理なのだから。
「・・・・あのメールは、ロッサが送ったんか・・・まるで気づかんかったわ。」
【君は主役さ。誰が何と言おうとね。・・・・っと、これで通信は終わりのようだ。積もる話はまた今度にしておくとして――はやて。】
言葉を切って、息を吸い込む音がした。
開けられたのは数瞬の間。
【君は君の思うようにしたらいい。君の願いは、君にしか叶えられないんだから。】
―――そして、通信は途切れた。接続を切ったのだろう。どれほど念話を繋げようとしても聞こえてくるのはノイズばかり。
「・・・わかってるよ、ロッサ。私は、」
剣十字の紋章を杖状態に解放。現れ出でしは騎士杖シュベルトクロイツ。
ガジェットはすべて掃討され、これ以上、この場を脅かす存在はそこにないことを確認し、跳躍。飛行――空中へ。
「私の夢を守りに行く。それが私がここにいる意味や。」
はやての瞳が捉えた遠方。そこに遠方からでもはっきりと視認できるほどに巨大な黒色の巨人がいた。
そこに割り込んでくる新たな念話―――空間にディスプレイが投影された。
【はやて?そこにいるのかしら。】
―――声の主はカリム・グラシア。
聖王教会の重鎮にして、はやての後見人。そして、彼女が姉と慕う女性。
「カリム、か。」
【戻りなさい、はやて。その戦場はもうすぐ“終わる”。巻き込まれるような愚を犯しては駄目よ。】
映像に映し出されたカリム・グラシアの姿はいつも通りに優美で穏やか――だが、どこかいつもと違う気がするのは気のせいだろうか。
「終わる・・・・カリム、それどういう意味や?」
【言葉通りの意味よ。その“戦場”はもうすぐ終わる。】
言葉の意味が理解できない。
戦場が終わる――確かに戦闘というものはいつか終わる。どちらかが倒れるか敗北を認めればその時点で戦闘は終了する。それ自体に異論はない。
だが、カリムは戦闘ではなく“戦場”と言った。
何か、何かがおかしい。
「戦場が終わる・・・?どういう、ことや?」
その言葉を聞いてカリムが溜め息を吐いた。覚えの悪い子供を諭す親のような溜息を。
【言葉通りよ、はやて。その戦場は、あの男を熟成させ、餌とする為に作られた。熟成がすでに円熟にまで至った以上、これ以上の戦力の浪費はまるで意味が無いわ。】
―――待て、待て、待て
今、この女は何と言った?
“その戦場は、あの男を熟成させ、餌とする為に作られた。”
はやての胸がズキンと痛んだ。脳裏にある男の顔が思い浮かんだ。朱い瞳の異邦人。シン・アスカの横顔が。
「・・・・まさ、か」
【・・・・・・貴方には知られたくなかったんだけどね・・・・まあ、いいわ。傀儡なら心当たりはまだまだいるもの。】
声色は同じ。口調も同じ。なのに、なぜかその声を別物に感じる。
【シン・アスカはこれから世界を救う生贄となるのよ。この世界の平和の為に。】
声の調子に淀みはない。同時にその声の調子はいつも通りの柔和な声音。狂気など欠片もなければ、壊れた様子などまるで無い―――正気そのものにしか見えない。
なのに、何故この声が怖い、と思うのだろう。
「生、贄・・・・やて?」
【エヴィデンス01―――羽鯨って聞いたことがあるかしら?】
聞き覚えの無い名前。聞いたことも無い言葉。理解が追いつかない。
そんな自分を見て、カリムは溜め息を吐いた――嘲るようにして、嗤いながら。
【・・・・そうね。あなた達はまだそこまで“到達できてない”から、知る由も無いか。】
言葉が続く。放たれた言葉は理解の外に在るものだった。
【時間の流れを川とすると、次元世界というのは川の中に浮かぶいくつもの船よ。私たちは同じ川の中で生きるからこそ、世界間の移動なんていうものが出来ている。羽鯨というものは、その川を食料とする生命体―――むしろ、世界とでも言った方が正しいのかもしれないわね。】
耳に届く言葉。あまりといえばあまりの内容にカリム・グラシアの正気を疑う―――目は正常。雰囲気も、ただ笑顔だけが異常で――けれどその異常がその言葉は嘘では無いと信じさせる。
【羽鯨がその川を食らうということは、ミッドチルダだけではない全ての次元世界が消滅する。それこそまだ確認されていない世界も、確認されている世界もすべて、ね。】
口を閉じて、こちらを見る。瞳孔が開くのを感じた。彼女の目の奥に在る正気と言う名の狂気に怖気がする。
羽鯨?エヴィデンス?在り得ない話だ。そんなことは絶対に在り得ない。世界を食料とする生物など存在するはずが無い―――通常ならばそう思っただろう。だが、八神はやては違う。彼女は知っているからだ。常識がどれほど脆く壊れやすいかを、幼い頃に魔法と言う非常識によって常識を破壊された経験がある彼女は、壊れない常識など“在り得ない”と知っているのだから。
だから、彼女はそれを真実だと受け入れてしまう。
【羽鯨が求めるモノは純粋な感情。強い感情―――たとえば絶望とか憎悪とか、“何かを守りたいという欲望”とか。】
にやり、口元が歪む。微笑みが嗤いとなった。
【・・・・この戦場はその為の戦場よ。全次元世界が、平和を手に入れる為にシン・アスカは生贄として選ばれた。】
「シンを、この世界に呼んだのは、その為なんか・・・・?」
途切れ途切れの言葉。口内が乾いて、上手く話せない。知らず、呼び名が変わる――シン・アスカではなく、シンへと。
【いいえ。それは偶然よ。誰もあの男を呼んではいない―――けれど、それを利用させてもらったのも事実ね。】
くすくすと楽しそうに笑うカリム。いつも通りの笑顔。いつも通りの態度。なのに、その言葉だけがいつもとは違いすぎて―――頭のどこかでかちりと音がした。
「・・・・初めから、仕組まれていたってことなんか?」
【違うわ、はやて。初めから“そうなるよう”に仕向けていただけよ。別に計画はこれひとつだけという訳では無いのだから。これは、その中で一番確実な計画なのよ。】
カリムの瞳がはやてを見た。うっすらと微笑みながら、呟く。
息を吸って、吐く。息を吸って――吐く。ふつふつと煮え滾るモノがあった。この話を聞き出した当初から煮え滾るナニカ。
【喜びなさいな、はやて。シン・アスカはこれで、生贄(英雄)になれ―――】
「・・・・・カリム、それ本気で言うとるんか?」
知らず、言葉が出た。
瞳が鋭くなるのを感じ取る。奥歯を噛み締める音がする。心臓が跳ね上がる。
【私は本気よ。いつだってね。世界は全て、自己の平和の為に動くものなのよ。・・・貴方も知っているはずよ。平和以上に大切なものは無いと言うことを。】
胸がざわざわする。身体の震えが止まらない。
「・・・・くそ食らえやな。誰かの犠牲を前提にしてしか成り立たん平和なんかに何の意味がある?誰かが犠牲になるのはええ。何も犠牲にせずに平和にしようなんて、単なる子供の駄々と同じ理想論や。やけどな、」
彼女の目を見据えて、言った。
「・・・・・せやけど、それを前提条件にしてどうするんや。誰かが犠牲になるのは結果であるべきやろ?そうさせない為の時空管理局やないんか?」
僅かな沈黙。一瞬か、ソレとも数秒か。本当に僅かな沈黙。その間、彼女が瞳を閉じた――開いた。
【ええ、そうね・・・・けれど―――平和は全てに優先されるものよ。世界を救う為ならばどれほどの人間を犠牲にしても私はそれを実行する。】
居住まいを正し、彼女はカリム・グラシアではなく、“カリム・グラシア中将”として、口を開く。
【これはお願いではなく命令です。八神はやて二等陸佐。】
瞳が鋭くなった。返答次第では誰であろうと敵とみなす。そんな覚悟の篭った瞳へと変化した。
【貴女はそこにいてはならない。その戦場にはもうシン・アスカ以外いてはいけない。だから、早く下がりなさい。貴女にはもっと相応しい席を用意してあるわ。】
―――それが引き鉄となる。
頭の後ろで撃鉄が落ちた。
覚悟、決意、信念―――そんな聞こえのいい言葉ではない、撃鉄(憤怒)が。
空を見た。服は破れ、心は敗れ――それでもココロの奥で叫ぶ何かだけは変わること無く。
言葉を放つ。
「・・・・言いたいことは、それで終いか?」
しがらみがあった。枷があった。
この身を縛る幾つもの大切なしがらみ。大事な枷。
だが、もう――そんなものはどうでもいい。
左手で騎士杖――シュベルトクロイツを“構えて突きつける”。魔力を収束する。脳髄が沸騰した。抑える気などサラサラ無い。
「刃以て、血に染めよ。」
“しっかりと確実に”詠唱を行い、魔法を展開する。紅色の刃金が周囲に精製され、射出を今か今かと待ち続ける――――狙いは一つ。空間に投影されたディスプレイに映るカリム・グラシア。
「―――穿て、鮮血の刃金(ブラッディダガー)・・・そこの金髪女をなぁっ!!」
放たれる合計10本の鮮血の刃金(ブラッディダガー)がカリムの幻影を貫き、すり抜けた。カリムの眼が見開いた。まさか、いきなり幻影に向けて攻撃するとは思わなかったらしい。彼女の顔に似合わない狼狽が浮かんだ。胸の奥がスッキリする。
【・・・・はやて、今のは明確な敵対行為になると分かってやったのかしら?】
地面に向けて、口の中に溜まった唾を吐き捨てた。唇を吊り上げ、瞳を見開く。顎を上げて、視線は見下ろすように。
「敵対行為?上等や・・・・あんたが、この戦場を終わらせて、あいつを生贄にするってんならな、私がアイツを引き戻す。アレは私のや。誰と恋してようとぶっ壊れてようとな、アレは私のモノや。勝手に殺すとか、そっちこそふざけたこと抜かしてるんやないで、カリム・グラシア中将殿?」
【はやて、それは本気で言っているのかしら?】
「本気や。本気やからこんなこと言っとるんや・・・そんなことも分からんくらいに耄碌しとるんか?」
腹の底から、心の底から、八神はやての全てをぶちまける。
睨み付ける――カリム・グラシアを。
「私からの返答はな―――」
画面に向けて、右拳を握りこみ中指を天に向けて突き立てるを立てる――第97管理外世界において最もポピュラーな罵倒方法。ファックユー(クソッタレ)。
「――クソッタレや、カリム・グラシアァッ!!私はな、誰かを見捨てるとかそういうんが一番、嫌いなんや!!世界の平和の為なら誰か見捨てろって言うのが管理局の正義なんやったらな、そんなくそったれな管理局はこっちから願い下げやッ!!」
【・・・はやて、あな・・・】
通信を無理矢理切った。これ以上会話を続けていれば、フレースヴェルグ辺りを放っていたかもしれない。
【皆、頼みがあるんやけど・・・ええか?】
念話を繋げる。カリム・グラシアとの回線とは独立した八神はやてとヴォルケンリッターだけを繋ぐ特殊回線。
【・・・はやてちゃん?】
シャマルの怪訝な声――自分の声の調子に違和感を覚えたのかもしれない。震えを抑えられている気はしなかったからだ。この、ココロの震えを。
そして、他の面々もそれに気づいて上を見上げ、主が怒りに震える姿に気づいた。
【・・・今から私はあの馬鹿連れ戻す。そんでもって、あのクソッタレな巨人を背後からぶっ潰す。】
【・・・・主はやて、それは危険すぎます。】
シグナムの声。不安げな調子を隠そうともしていない。
同じくヴィータからも動揺の気配。彼女もシグナムと意見は同じなのだろう。
【主はやて・・・。】
【・・・はやてちゃん。】
ザフィーラとシャマルの呟き。恐らく、二人ともがシグナムと同じ意見だ。
【そ、そんなの無理に決まってるです、はやてちゃん!!】
リインの叫び。アギトは沈黙したまま――答えかねている。
瞳を閉じて、口を開いた。
【・・・・せやから、私が危険にならないように皆は暴れ回って、囮になって欲しいんや。それとこの戦場一帯にジャミングかけて、ついでに私の生体反応だけ隠して欲しい。それとあそこまでのルート検索も。】
一息で言い放ち、返答を待つ――言葉が返ってこない。
沈黙は十秒ほど。口を開いたのはシグナムではなく、シャマルだった。
【はやてちゃん、それでもはやてちゃんが危険なことには変わりないんですよ?それにそういった不意打ちこそ私たちがやるべきことです。】
シャマルの諭すような言葉。
息を吸い込む。震えている。怒りで―――そう、怒りでだ。自分と、カリムと、そして、このクソッタレな現実への怒りで腹の中が煮えくり返って、全身の血管から鼓動する音が聞こえる。
シャマルの言い分は最もだ。自分がそんなことをする道理はどこにもない。適材適所と言う言葉とはまるで真逆――これは愚の骨頂とも言っていい我が儘に過ぎない。
【―――シャマル、それでもや。それでも、これは私にやらせて“欲しい”んや。】
それでも、そうしたかった。
別に自分が行く必要は無い。自分は後方で彼女達に指示を出していればそれで良い。
けれど、これは自分の“夢”を守りにいくと言う酷く個人的な願いなのだ。
それを他人任せにしたくはない――全て、自分でやらなければ納得できないと言うだけ。
【・・・死ぬ気は無いんですね?】
【死ぬつもりはさらさら無い。私は、私の願いを叶える為にあそこに行って、私のユメを連れ戻す。】
ふう、と溜め息一つ――シャマルが呟いた。
【・・・・ヴォルケンリッターは主の願いを叶えることが使命です。だから、】
彼女の声に不敵な調子。
【はやてちゃんが、そうするって言うなら、私たちに異論なんてある訳無い。】
優しく呟くシャマル。その声は今はもう思い出すことも出来ない母親のようだった。
【シャマル、だが、それでは・・・・】
【主が決意して、覚悟してるんです。私たちが何を言うことがありますか、シグナム?】
シグナムが押し黙る気配を感じた。同時にヴィータとザフィーラ、アギトと、リインフォースⅡも。
【はやてちゃん―――貴女が何をしようと私たちは貴女の仲間です。だから・・・・・】
言葉が紡がれた。
【こっちは私たちに任せてください。必ず、貴女の願いを叶える手助けをしますから。】
通信が閉じる。心の熱量が、今の言葉で更に内圧を高めていく。
地面に降りる。先ほどの場所から遠く離れた場所――出来る限り、巨人の近くへと。
シュベルトクロイツを待機状態へ移行し、魔力の痕跡を全て消す。
―――巨人は遠い。
「・・・・絶対に認めへんからな。そんな解決方法は。」
呟いて、走り出した。
八神はやてはクラナガンを走る。
手には騎士杖のデバイス――シュベルトクロイツ。
服装は事務服のまま。足元のパンプスはスニーカーに変えた。
彼女達には先に行けと言った。
「は、くそ、飛べたら楽なんやけどな。」
呟き、走る。
息を切らし、足を動かし、一心不乱に“目的地”に向けて走り続ける。
瞳に迷いは無い――無論、それがただの強がりであることなど、誰よりも自分自身が分かっている。
ヴォルケンリッターは自分についてこようとしたが別れることを選択した。
彼女達には他にやってもらうことがあるからだ。
停滞していたこの十数日間が嘘のように頭が冴えていく。
ガジェットドローンⅠ型が見えた。
「・・・・まだ、残りがおったんか。」
瓦礫の影に身を隠し、ガジェットドローンⅠ型が行き過ぎるのを確認する。
―――八神はやてと言う魔導師は非常に特殊且つ強力な、“脆弱”な魔導師だ。
蒐集行使。夜天の魔導書に記録された魔法の使い方と魔力運用を伝える能力である。
理論上、彼女は夜天の魔導書に記録された全ての魔法を使用できる。だが、どれほど多くの魔法を保有していても、その使い方がお粗末なら真っ当な効果は期待できない。
名刀を持った素人が凡百の剣を持った達人に敵わないように、どれほど強力な魔法を多く持っていたとしても、結果的には使い手の技術に依存する。要は魔法一つ一つに対する習熟の問題である。
八神はやてが単純な戦闘能力ならキャロ・ル・ルシエにも負けるというのはこの一点があるからだ。
彼女が自分自身の手で覚えた魔法は軒並み後方からの援護を想定した魔法――全て大規模の殲滅魔法のみ。少なくともガジェットドローン1体を葬り去る為に使うような魔法ではない。
現在、シャマルが全戦域に向けて放ったジャミングにより、八神はやての生体反応は隠蔽され、そういった大規模な魔法や継続的な魔力放出を行わない限りは彼女の居場所が敵にバレることは無い。無論、幻術魔法によって姿を隠している訳ではないので目視されればその時点で終わりだが。
【シャマル、ガジェットはあの一体だけやな?】
【ええ。今、ガジェットのいないルートを検索しています・・・・転送します。】
空間にディスプレイが投影される。
念話等の使用は魔力の波長の偽装によって問題なく使用出来る。
投影されたディスプレイに映し出されたルートを頭に叩き込む。如何に見つからないとは言え、道に迷う度にルートを確認している暇など無い。
遠くを見据える。視線の先、あの巨人のいる場所まではまだ遠い。
敵に移動を察知される危険性から魔法は使えない。使えばあの巨人やその他の敵に見つかる可能性が高いからだ。
こちらが狙うのは不意を突き一撃で相手の命ごと刈り取る最大威力の殲滅魔法。
この現状を打破する一手。その為にシグナムらヴォルケンリッターは今、現在暴れ回りながら、あの巨人に向けて近づいているのだ。八神はやてが懐に入り込むまでの囮として。
別にその一撃を加える役目が彼女である必要は無い。本来、彼女は文官だ。後方支援すらする立場ではないのだ。指揮を行い、指示を与える役目である。
そんなことは彼女自身分かっている。自分以外の人間が行うべきことだろうとも。
「・・・・・そんなこと関係ないんや。」
頭の中に生まれた呟きを振り払う。
目には炎。意思という名の青い炎。
彼女は指揮官としては最低クラスの人間だ。決して上等な指揮官ではない。作戦を立案しても大抵は後手に回られて現場サイドの能力任せ。なまじ自分自身や現場サイドの人間――自らの友人や仲間の実力に自信があるものだから、そこに甘えることも多々あった。最低だ。最低という言葉すら生温い。おかげで大事なモノを失った。そうだ。八神はやては、誰が何と言おうと最低の役立たずだ。
けれど、それで良かったのだ。それで十分対処できる問題ばかりだったから。
けれど、それで届かない場所がある。届かない声がある。掴めないモノがあることを教えられた。叩き付けられた。
―――貴方も知っているはずよ。平和以上に大切なものは無いと言うことを。
ふざけるなと思った。
―――キミにはまだ出来ることがあるんじゃないのか?
その通りだと思った。
「まだ、遠い、な。」
ガジェットと鉢合わせしないルートを走りながら、目的の場所を見た。
巨人が立つその場所。何故か巨人はその動きを止めている。その上空に新たに敵が現れている。その下方に佇む二人の男女。シン・アスカと、もう一人は――服装からして恐らくはナンバーズだろう。
夢を思い出す。打ち捨てて、自分とは関係ないと忘れようとした夢を。
シン・アスカが世界と世界を渡ったのは誰かに召喚されたからなのだと思っていた。
だが、恐らく、事実は違う。彼は、“喚び出された”のではなく、“送り込まれた”のだ。
リインフォースという一人の魔導書によって。
彼女がどうしてそんなことをしたのか。夢で見たシン・アスカがこちらに跳んだ時の光景が“あの日”なのは何故なのか。考えるべきことは幾つもあった。
だが、それを考えるのは後で良い。今は残存するガジェットの群れを潜り抜けて、巨人の元に急ぐだけだ。
それが自分に出来ることだから。
「・・・・出来ること、か。」
先刻のやり取りを思い出す。
走りながら思考を過去に巡らせていく―――
■
避難所に入ったのは初めてだった。
当然だろう。自分はいつも“ここ”を守る側に立っていたのだから知るはずも無い。避難所というものがどんな空間で、そこにいる人間がどんな人間で、どんな思いでそこにいるかなど、想像をしたことはあっても実感したことなど無かった。その想像とて自身を鼓舞する為の想像でしかないのだから、都合のいい脚色が混じっていたことは否めない。
だから、知らなかった。忘れていた。
無力で、ただ守られるだけという立場がどれほど恐怖を生み出すモノなのかということを。
涙を流し泣き叫ぶ子供。うろうろと世話しなく避難所――むしろシェルターと言った方が適当な地下施設だ――を歩く男。ただうな垂れる女。ヒステリックに喚き散らす男と女。酒に溺れる男と女達。
ここにあるのは誰かを信じて明日を待つというような希望ではない。
ただ巻き込まれた不運を嘆いて明日をも信じられない絶望だった。
守る側にずっと立っていた。守られる側を守りたかった。ただ守られるだけは絶対に嫌だった。根幹となる想いはそんなもの。そしてその想いだけで走り続け、取り零してきたモノが幾つもあるとは思っていた。けど、こんなモノを取り零していたとは思わなかった。取り零していたことすら気付かなかった。
(私は・・・・何も知らなかったんやな。)
心中で呟き、両足を両腕で抱え込んだ姿勢で座って、俯いた。
機動六課として何度も戦ってきた。避難の誘導も行ってきた。
けれど、こんな風な絶望が起きているなど一度も考えたことはなかった。頭の端に上ることすら無かった。
一生懸命に仕事して守っている。そんな矜持は恐らく傲慢だった。こんな絶望を自分は忘れていたのだから。
ふと、頭の端に上る顔があった。朱い瞳とボサボサの黒髪の男。シン・アスカ。別に会いたい訳ではない。むしろ、逆だ。二度と会いたくないとさえ思っていた。
フェイトとギンガの死体の第一発見者はあの男だった。事情聴取にも素直に答え、動じる様子は無かったらしい。まるでその態度は普段と変わらなかったとも。
そして、あの男はそれから更に訓練に励むようになったらしい。
これも全部人づてに聞いた話だ。その頃の自分は異動の準備で彼の様子に構っている暇など無かったから。動じる様子が無かった。
普段と変わらなかった。
――あの男らしい、と思う。
そんなに深く知っている訳ではない。あの男の過去は知っているが、それが全てという訳でも無いのが人間だ。シン・アスカは自分から何も語らない。語りたくないのではなく、語らない。語るとすれば誰かに聞かれた時くらいだ。
それは、誰にも本当の自分を見せていないことを意味する。
実際、どうでもいいのだろう。あの男の過去は悲惨な過去だから。
信じた祖国に裏切られ、信じた仲間に裏切られ、信じた国に裏切られた。そして仲間の裏切りによって自分と親しかった人間を殺された。
それでもあの男は動じなかった。変わらなかった。
憎悪の塊になる訳でもなく、復讐の鬼になる訳でもなく、ただその虚無を深くしただけ。
シン・アスカという人間は別に特別な人間ではない。それこそ歴史上に出てくる英雄達とは一線を画すほどにその精神構造は一般人に近い。特別なカリスマ性がある訳でもない。
本当に、どこにでもいる普通の人々と何ら変わりない。
ただ、壊れている――壊れかけているというだけで。
そのただ一点が多分、自分との違い。動じなかった、変わらなかったという事実の理由。
無論、それは誇るべきことではないし、そうなりたいという訳では無い。
嫉妬、なのだろう。そんな風に自分は生きられない。希望を捨てて、願いに縋り付いて生きて意向と思うほどに、八神はやては絶望など出来ないからだ。
避難所(ココ)にあるのは彼女達が誰かを守る側になった時に背を向けた、諦観と絶望だ。
もっと上手く部隊を運用出来るようになりたい。どんなことに対応出来る経験を積みたい。
―――自分は馬鹿だ。そんなことの前にするべきことはあったはずなのだ。
少なくとも、手に入れた二等陸佐と言う地位はそれを何とかする程度のことは出来たはずなのに。
クラナガンはもはや焼け野原だ。戦場に選ばれた時点でこの結果は予想できていたはずだ。
なら、どうしてこの結果を回避しようとしなかった?
後悔が、あった。久しく感じたことの無い無力感があった。
(・・・・あいつは、ずっとこんな思いを抱いて生きてきたんやな。)
無力感と背中合わせで、特別に憧れながら、特別になり切れず。特別になれたと思ったら、“本当の特別”に叩き落されて。
道化のように踊り続ける馬鹿な男。けれど、馬鹿は馬鹿なりに踊り続けることを止めはしない。馬鹿であろうと蔑まれようと殺されようと、それをやめることは無い。
――悔しかった。
「・・・・本当、私、ここに何しにきたんやろ・・・・」
小さな呟きを遮って爆発音が大きく木霊した。
室内に沈黙が満ちた。
「・・・・・。」
その場の誰もが息を潜めた。
音が再び鳴った。残響する。徐々に大きくなる。避難所の中の人間が全員身を竦ませた。電灯が瞬いた。一瞬ごとに闇と光が繰り返す。
「・・・・・・」
しん、と静まり返る室内。
避難所の天井を突き破り、ソレが姿を現した。
誰もが言葉を失っていた。信じられないモノ、理解出来ないモノを目にした時、人は言葉を失い押し黙る。
「お、おい、なんだよ、あれは!?」
「・・・ば、バケモノだ。」
悲鳴。怒号。
はやてがそこを見た。天井。そこに僅かな隙間――幅2mほどの――が出来ている。そして、その隙間の先に曇天の空と、一体の蜘蛛のような機械が、
「ガジェット、ドローン。」
ガジェットドローンⅣ型の姿があった。一体だけだった蜘蛛は瞬く間にその姿を2,3と増やし、一気にその数を増やしていく。
考えるよりも早く咄嗟に身体が動いた。
詠唱する時間は無い/飛び降りる蜘蛛蜘蛛蜘蛛―――。
瞬間的に引き出せる最大出力を無理矢理構築。
一瞬、周囲を見た。どうするか―――決まっている。“守る”のだ。
脳裏に思いついた魔法を考えるよりも早く構成する――選んだ魔法は自動誘導型高速射撃魔法ブラッディダガー。名前通りに血の色をした鋼の短剣を組成し放ち着弾地点を爆破する魔法。
詠唱は破棄。そんな暇は無い。一度に組成出来る限界数を構成/数は10本。構わず放つ――甘い構成は実体化に綻びを作り、射出された瞬間10本の内3本が壊れた。
狙い違わず、7機のガジェットドローンに命中し、短剣の刃が内部に食い込み爆破――咄嗟に魔力障壁を展開。
展開したシールド――パンツァーシルトが蜘蛛の降下を防ぐ。蜘蛛――Ⅳ型の足が刃となって、障壁を切りつける。その後方から現れるⅢ型。ブラッディダガーで攻撃をする暇が無い。
砲撃が放たれる。数は一機では無い。見えるだけで3機。恐らくは10機を下らない。砲撃が命中した瞬間ヒビ割れていく障壁。甘い魔法構成。砕け散らなかったのが奇跡に近い。
「くっ―――!!」
息を吸い込み更に魔法を展開。ひび割れていく障壁。それを湯水の如く流し込む魔力で誤魔化し再構築を開始/ヒビ割れた障壁の内側に再度障壁を展開。
砲撃は収まらない。ヒビ割れていく隙間から次々とⅣ型が降下してくる。
室内を見渡し、奥にある通路を見つける――出入り口だ。そこしかない。
「皆、あそこに向かって逃げるんや!!」
その言葉で皆の目の色が変わった。うおお、と怒号を上げて室内にいた全ての人間がそこに向かって走っていく。後方からはガジェットドローンⅣ型が人間に向かって、ガシガシと走り出していく――右手を向ける。ブラッディダガーは使えない。攻撃の為に、照準している暇は無い。
「させへん!」
叫びと同時に再度、シールドを展開。
避難所の人間とガジェットを分断するように、境界を作るようにして薄い白色の障壁が展開される。
「ギギギギギギギ」
駆動音を上げて、Ⅳ型と上空から降下してきた巨大なⅢ型がAMFを展開し、シールドにぶつかり、ガリガリと削り取っていく。構わずはやても皆が向かった通路に向けて走り出す。瞬間、AMFによってシールドが砕け散った。
殺到する蜘蛛と球体の群れ。砲撃が、爪が、足が、触手(ケーブル)が―――
「は、ああああ!!」
飛び込んだ―――扉に手を掛けた。力の限り、直ぐ後ろにまで迫っていたⅣ型にドアを叩き付ける。
「ギギギギギギギ」
機械が叫ぶ。駆動音が声のように耳朶を叩いた/声は不気味で醜悪。どこかバケモノじみた――脳髄が沸騰する。右手を向ける。脳裏に思い描くは「氷結の息吹(アーテム・デス・エイセス)」。詠唱を全て破棄して、拙い構成のまま、その右手の先に向けて放つ―――寸前、彼女は直ぐに右手を引っ込めて、魔法の発動を解除した。
そのまま、後ろに右足を振り上げ、ドアに向かって力強く、突き出した。
「くそったれええぁあぁあああ!!!」
叫びながら、ガラスがサッシとぶつかって音を立てた。事務服のまま蹴り抜いたせいで、スカートの側面に切れ目が入り、ビリビリと破れた。白い下着が見えたが気にするな。そんなものよりも何よりも生存を優先しろ。
「はあああああ!!!」
魔力全力開放。障壁展開。ひび割れる壊れる砲撃を受け止められない、その全てを無尽蔵の魔力で押し戻し、ドアを完全に固定する。Ⅳ型がその足で障壁を貫こうと攻撃するも、まるでドアは動かない。それと同時に砲撃が行われた。ドアの前にいたⅣ型ごと扉を穿とうとするⅢ型の一撃――Ⅳ型の褐色のオイルが扉にぶちまけられた。Ⅳ型は粉々に――扉はびくともしない。
通常、数mの範囲を完全に防御する魔力障壁を一点に無理矢理集中させ、定着したのだ。その密度足るやあの鎧騎士の攻撃でもない限り貫ける訳もない。
がんがんと何度も何度もドアを叩くⅣ型。Ⅲ型の砲撃が避難所を破壊していく。障壁越しに見える光景。
「・・・・はぁ、はぁ、はぁ・・・・・」
息を切らして膝をついた。身体中から汗が酷い。ここまで必死になって走ったことなど何年ぶりだろうか。同時に全身に倦怠感を感じる。慣れない状況での魔法行使を惜しみなく魔力を使うことでやり遂げた代償かもしれない。
「・・・・何とか、なったか。」
油断無く前―――障壁で完全に固定した扉を見た。
間断なく続く砲撃と打撃と斬撃の嵐。障壁で完全に固定した扉はまるで壊れる気配が無い――完全に塞いだ。
こうなれば、この施設そのものを破壊でもしない限り―――とは言え地下に作られた施設である以上は周辺地盤の崩落を起こすほどの大規模破壊でもない限りは、こちらの安全は保障されたようなものだ
その事実を確認し、心の底から安堵して、溜め息を吐いた。
(・・・危なかった。)
ギリギリだった。今、生き残っているのが本当に奇跡のように思えるほどに死ぬか生きるかの瀬戸際だった。
―――総合SSランク。それが八神はやての魔導師ランクである。これは、フェイト・T・ハラオウンや高町なのはやシグナムよりも更に上の位階であり、魔導師としては最上位とも言っていいほどの位階だ。
だが、それは個人の強さに直結する位階ではない。少なくとも八神はやてのSSというランクは彼女がその身に持つ希少技能によるものが大きく、戦闘能力を評価されてのランクではない。
そして、その事実が示す通り、彼女の戦闘能力は脆弱だ。
最も戦闘能力が低いと思われるキャロ・ル・ルシエでさえ、ガジェットの大群に対して防壁を張り続けること“しか”出来ないなどということはないだろう。少なくとも、攻撃を行い、ガジェットの数を減らすなり、フリードによる殲滅を行うなど何かしら出来ることがあった。
だが、彼女はそれが出来ない。
無論、彼女にも攻撃の手立てはある。その全てが大規模攻撃魔法しかないと言う致命的な大問題があるだけで。
恐らく使えば倒せるだろう。AMFがあろうとなかろうと八神はやての攻撃魔法は関係無しに破壊する。だが、その代償としてこの避難所は破壊、もしくは中の人々は死ぬ。先ほど彼女が魔法の発動を取りやめ、右手を引っ込めたのはその為だ。
あのまま、撃っていたら、術者である彼女共々この避難所の全ての人間が死んでいた。その確信がある。
リインフォースⅡと言うユニゾンデバイスがいてこそ彼女は魔法を制御できる。逆に言えば、リインフォースⅡのいない状態では完全な制御なぞ望むべくもない。
ぎりっと奥歯を噛み締め、彼女が無理矢理締め切った扉を見た。扉からこちらを覗くガジェットの大軍――蠢く様は巨大な虫が獲物を求めて彷徨っているようにすら見える。正直、見慣れているとは言え、生理的な嫌悪感が無い訳ではない。
視線を扉に向けたまま、思考を巡らせていく――この後の展開について。
本当なら、この出入り口から避難所を脱出して別の場所に行く。そうするべきなのだろう。だが――
(後ろは、もうふさがっとる。)
崩れ落ちた瓦礫によって後方に繋がっているはずの出入り口は細長い個室と化している。
目算で、長さが凡そ6mほど。天井までの高さは2mも無いくらい。そして、幅も同じく2mは無いだろう。身長150cmしかないはやての両手を伸ばしても、僅かに届かないくらいなのだから。
(・・・どうする。)
後方から抜け出ることが出来ないとなれば、それ以外の脱出方法が必要となる。
一つは正面突破。並み居るガジェットドローンの群れに単身突撃し、その群れを駆逐し、この場にいる皆がこの部屋を脱出する為の間を作る―――出来れば既にやっている。
もう一つはこのまま、ここで待つこと。これだけ避難所が破壊されているのだ。畏れずともその内に異常に気付いた管理局の局員が必ずやってくる。そうなれば、少なくともこの場を脱出する程度の時間は稼げる。現実的に考えればこちらが正解だろう。ある一つの問題――助けが来るまで障壁が持つかどうかという問題さえ除けば。
甚だ不本意ではあるが、それしかない。デバイスの一つも持ち出さなかったことを今更ながらに悔やむ―――それも今更だ。彼女は更迭された時にデバイスは全て没収されている。あの剣十字の紋章も、夜天の書も全て。事務には必要ない。そういう理由で。自分はまるで抗わなかった。それでいいと思ったからだ。
周りを見る。皆の視線が自分に集中しているのを感じる。魔導師としての特異性への疎外感。どうしてこんなところにいるのかと、そう言いたげな。
(・・・まあ、そら、そうやな。)
本来なら、クラナガンに配属される魔導師は全て出払っているはずだ。
だから、こんな避難所にいるのはどういうことだ、と。そんなところだろう。
室内に立ち込める雰囲気は暗く、重い。誰も言葉を発さないのは現在の状況が最悪ではないだけでそれの一歩手前だと知っているからだろう。
再び衝撃。迷わず障壁に魔力を込める。魔力消費は度外視。十重二十重に重ねられた魔力障壁は今しばらくの間、この場に彼女達を留めることを許してくれるだろう。それもはやての魔力が持つまでだ。敵にAMFと言う魔法の天敵がある以上、どう足掻いてもこちらの分が悪すぎる。その上、敵の数は見えるだけで20を軽く越えている。
唇を歪める。全身に倦怠感を感じる。彼女の魔力が尽きるのも、そう早くは無い。時間は無い。
(・・・どうする。)
扉を睨み付け、息を整えることに専心する―――その時、声がした。沈黙を破る“泣き声”。
「うっ、ひっく、えぐっ・・・!!」
声。泣き声。
沈黙で固められた室内を砕く子供の声。
硬い空気に僅かにヒビが入る。はやてが少女の方に近づいた。
近寄る寸前に一瞬扉を見る――障壁はまだ壊れていない。壊れる様子も無い。それを確認し、少女の元に歩み寄り、しゃがみ込んだ。
「・・・どないしたん?」
泣いていたのは少女――年齢は恐らく10にも届かないほど。僅かに子供の嗚咽が小さくなる。
「うっ、ひぐ、う、うううう」
答えを返さずに涙を流す少女の頭を優しく撫でた。
「・・・ふ、あ・・・?」
少女の瞳に映った警戒心が少し薄れた。こういった時、人の温かみは安心をもたらす――経験上、自分がそうだった。
「お母さんは?」
「・・・・ひなんのときに、うっ、えぎっ、はぐれて・・・・わ、わたしだけで・・・・・」
「そか。」
よくある話だ。避難する際に親子共々一緒に避難所に入れないことは。
少女と眼が合う。どこか、その少女に昔の自分を思い出す。何も出来ず、何も無く、ただ独りあの家で孤独に堪えていた自分を。
撫でながら、呟いた。撫でる毎に少女の顔に安心が生まれていく。
「お嬢ちゃん、名前はなんて言うん?」
「・・・・・ま、マイ、だよ。ひっく・・・・マイ・アサギっていうの。」
嗚咽しながら少女は懸命に名を呟いた。瞳には不安があった。当たり前だ。
子供が親と逸れ、こんな避難所で一人ぼっちでいるのだ。むしろ、今まで泣かずに我慢していたことが凄いと思った。この年頃の自分ならきっと泣いていた。そんな確信を思い出して。
「マイちゃんか・・・・よう、頑張ったな。こっからお母さんと会うまで、私が一緒にいたる。どうや?」
「・・・・おねえちゃんって・・・・・まどうしさんなの・・・?」
恐る恐る尋ねるマイ。
魔導師、ではある。随分と不完全な状態ではあるが。
苦笑しつつ、返事を返した。
「そうや。私は、魔導師や。」
ごくり、と周りが息を呑み、その内に一人が口を開いた。
「な、何でこんなところにいるんだ、あんた・・・い、いやそんなことはどうでもいい!!魔導師だって言うなら、アレを何とかしてくれよ!!」
立ち上がり、問いかけてきた男に向かって、言い放つ――絶望を。
「・・・残念ながら何ともなりません。私の力ではあれが限界です。」
自分で言いながら情けなくなってくる。
「な、何でだ!?魔導師なんだろ!?管理局なんだろ!?」
男はすがる様にしてはやてに向かって叫び続ける。薄明かりの通路の中に男の声がよく響いた。
「魔導師とは言え、出来ることと出来ないことがあります。・・・・申し訳ありませんが、ここで誰かの助けを待つ以外に出来ることはありません。」
淡々と呟く。出来るだけ冷静に、落ち着いて。それだけを胸に言葉を放ち続ける。
男の眼が見開いた。すがりつけるはずの希望に裏切られた――そんな顔。
「・・・・は、はは・・・・じゃあ、何か・・・俺達このままここにいるしかないって言うのか!?なんだよ、それ!!」
男が叫んだ。はやては、その問いに頷き返し、続ける。
「・・・・・このまま、障壁を張り続けることは出来ます。誰かがきっと助けに来てくれると思います。・・・・通信は今も送り続けています。せやから、信じて待っててください。お願いします。」
そう言って頭を下げるはやて。
一人、また一人と力が抜けたように腰を落としていく。
薄暗くて、よく見えないが、その顔に映るのは総じて諦観と絶望だ。どうしようも無い現実に屈する無力。
唇を噛んで、拳を強く握り締めた。
(・・・・嘘まで吐いて、本当に何してるんやろな、私は。)
通信などしていない。と言うよりも出来ない。この実際、先ほどから何度も何度もヴォルケンリッターに念話を送っているものの返答は未だに無い。恐らく、この施設全体を高濃度のAMFが覆っているのだろう。念話と言えど魔法である以上は魔力素を結合し、現象として顕現させていると言う原理に違いは無い。ならば、その原理に食い込むAMFの影響を受けないはずが無い。
―――念話は誰にも届かない。だが、はやてはそれを言わなかった。避難民達は既に苛立ち始めている。この状況で悪い情報を与えるのは得策では無い―――そうなれば自分でどうしようもなくなる。
情けない。不甲斐ない。悔しい。
憤怒――もはや殺意にもなりかねない自身への怒りが彼女の心を軋ませる。
周りからの失望の視線が痛い。そして自分自身の弱さが憎い。
何が、夜天の書の主だ。何が総合SSランクの魔導師だ。何も出来ない、何も、自分は何もすることが出来ない。弱いから、弱いから、弱いから。力が、無いから。
その時―――涙すら毀れそうなほどに心の内圧が高まった時、ふと右手に暖かさを感じた。
「・・・おねえちゃん、わたし、しぬの?」
涙を堪え、少女が――マイが呟いた。
「・・・・・きっと、助けが来るから。それまで、待ってれば・・・」
言葉を言い終える前に少女の目に涙が溜まって行く。あ、と思った時は遅かった。
「・・・・・う、うう・・・・ううっ・・うわああああああん!!」
涙がこぼれ出した。絶叫のように、これまで溜め込んでいた涙を解放したかのように、マイは大声で泣き出した。
続いて巻き怒る怒号。うるさい、黙れ、ふざけるな、何で俺がこんな目に―――繰り返される怒号と罵倒。少女の泣き声を皮きりに室内がそれだけに満ちていく。諦観と絶望と憐憫に。
その時、衝撃と轟音が室内を揺らした。一度や二度では無く、ごん、ごん、と断続的に衝撃と音が鳴り響く。
室内に再び沈黙が舞い戻る。まぎれも無い死の恐怖だ。通常に生きていれば決して感じることの無い感情。
震動と衝撃が無機的に繰り返されていく。
その音が耳朶を叩く度、一人、また一人と嗚咽を始める。絶望を重ねていく。一人の絶望は伝播し、二人の絶望を呼び込んで、二人の絶望は三人の絶望を呼び覚まし、三人の絶望は四人の――。
連鎖する絶望。覚醒する自己憐憫。
そうして、いずれは確信し、絶望と諦観は恐慌を導き出す。
その果てに彼らは知る。自分達は助からないのだと言うことを、世界は優しく無いことを、命とは何よりも軽いものだと言うことを、自分達はここで死ぬのだと。
救助は来ない。戦闘中にこんなところに助けに来るような暇な人間はどこにもいないだろう。
死ぬ――自分は誰も守れずに死ぬ。
現実とは厳しいものだ。理想論で誰かを救えることは無い。漫画やコミックのように、ここで新たな力にでも目覚めて、扉を開けてあの醜悪な機械の群れを駆逐できれば――そんな力などどこにもない。子供の世迷言と同じだ。
意味の無い思考――どこにも届かない夢想だ。
(・・・・なんで私は、無力なんやろうな。)
悔しかった。
何も出来ないことが、無力なことが―――自分は本当はこんな少女を泣かせない為に頑張っていたはずなのに。
確かに自分は逃げ出した。親友を失ったから、後輩を失ったから。それも自分のせいで。逃げ出したのはそれと向き合うことが辛かったから。向き合えば自分を責めることになるから。
手が震える。胸の奥でどくんどくんと鼓動が大きくなっていく。胸のざわめきが収まらない。
(・・・・何が、悔しいや。シンが認められない、や。)
単に自分は怖かったのだ。フェイトとギンガを“殺した”ことが認められなかっただけなのだ。
唇を噛んだ。噛み切った。口内に広がる鉄の味。血の味。痛みと共にそれを飲み下して、それでもまだ震えが収まらない。
逃げるべきではなかったと思う。確かにここにいて何か出来たかと言われれば分からない。
役立たずの自分では何も出来なかったかもしれない。けれど、何も出来なかったかもしれないと言うのは、逆に言えば―――何か、出来たかもしれないことを意味している。
逃げ出した時、自分はその可能性を握りつぶした。
馬鹿だ。本当に大馬鹿だ。そんな馬鹿な自分に憎悪すら感じる―――不意に、右手に暖かさを感じた。右手を、小さな手が握り締めていた。
「・・・・おねえちゃん・・・どうしたの・・・・?」
マイは不安げに呟き、はやての手を握る力を強めた。
暖かい――そう思って、扉に視線を向けた。ヒビ割れて、いつ壊れるか分からない扉を。後悔だらけの人生そのものの象徴に思えて、笑い出したくなる。
断続的な衝撃と轟音。何度も何度も何度も繰り返し続いていく。終わりは近い。震える少女の手を強く握り返し呟いた。
「・・・・なんで、私はヒーローやないんやろうなって思ってな。」
「・・・ひーろー?」
おうむ返しに聞き返すマイ。
彼女の姿とこの状況はどうしようも無いほどに、自分を思い出させる――あの、何も出来ずに無力だった頃の自分を。
―――昔、一人の少女がいた。
父母を亡くし、身寄りを失い、誰もいない孤独の家にいた独りの少女が。
少女は家族が欲しかった。
誰かが欲しかった。
そして、運命は少女に家族をくれた。
けれど、運命は残酷で。家族はまた奪われる。
その果てに、彼女が望んだモノ。それは、御伽噺に出てくるような、漫画やコミックの世界の中にだけいる、ヒーローだった。
リインフォースのことを思い出す。彼女が、そんな風に誰かを助ける側でありたいと望ませた原因を。
正義とか悪で割り切れないモノだった。闇の書は悪かもしれない。けれど、その中にいる彼女は決して悪でなかった―――少なくとも、自分にとっては。
だから、ヒーローになりたかった。
世を救う救世主としての英雄では誰も救えない。その意味の通りに世界を救うだけ。
信念を救う正義の味方では誰も救えない。その名の通りに正義を救うだけ。
ヒーローは何も救わない。ただ、誰かを救うだけ。リインフォースを救いたかった。誰かが犠牲になることで誰かを救う、そんな正義を容認したくなかったから―――だから、思い描くのはこんな絶望を砕いて壊して、突き破るヒーローだった。
ぼうっと見上げながら、悔しそうに彼女は呟いた。
「・・・私がヒーロー、やったらなあ・・・・こんなのきっと何とかしたるのになあ」
夢だった。時空管理局に入ったことにもそれは関係しているだろう。
誰かを助けたかった。自分もなりたかった。自分を助けてくれた少女――高町なのはや、フェイト・T・ハラオウンのようなヒーローに。
自分にとっては二人はヒーローだった。憧れだった。自分もそこに並びたいと思った。だから、頑張った。頑張って、頑張って、頑張って――力を得た。
けれど、その代償として自分は気づいてしまった。
自分は、ヒーローにはなれないことを。
「・・・・へんなの。ヒーローっておとこのひとのことだよ?」
そう言ってマイは怪訝な顔ではやてを見た。はやては儚げに微笑み、再び天井を見上げ、呟いた。
「そやね。けど、多分そうなりたかった。」
ヒーローになりたかった。けれど、ヒーローにはなれなかった。
単独の戦闘能力が低い自分は、高町なのはやフェイト・T・ハラオウンのように前線で戦うことはまるで向いていない。当然だろう。9歳の頃まで自分は満足に歩くことも出来なかったのだ。単純に考えて、運動神経などは皆無、と言うよりもそういった概念を持つだけで精一杯だった。
だから、はやては彼女が望んだ“ヒーローの側”から“ヒーローを支える側”になることを選んだ。ヒーローになれなかった。
だから、自分は戦力を集めた。
ヒーローを、コミックやマンガの中だけにいるヒーローになれるかもしれない人間を。
誰をも救おうとして、誰をも救えずとも、決して諦めずに戦い続けるヒーローの可能性をもった人間を。
そうやって、彼女はいつもヒーローを求めていた。
自分の為に動いてくれる無敵のヒーローを。
「・・・・そういや、あいつはそれになりたかったんやな。」
多分、シン・アスカはそんなヒーローになりたかった。
―――あの世界に戻ったところで、もう誰も“守れない”。だから、俺は、ここにいたい。
あの男はそう言った。自分はそれが許せなかった。
互いに掛け替えの無い「喪失」を経験し、その為に力を求めたシン・アスカと八神はやて。
方向は違えども、二人の本質はよく似ている。そして至った道は真逆の道。
シン・アスカは守る為に全てを捨て、八神はやては守る為に全てを欲した。
それゆえに、全てを欲する彼女にとって自分の命に欠片も意味を見出せない彼の言葉、それが彼女には許せない。犠牲を許さない、彼女にはそんなシン・アスカが看過出来なかった。
―――けれど、その思いの裏にあるのは、嫉妬だ。自分はどう足掻いてもシン・アスカと同じ選択は出来ない。
もしかしたら、と言う想いがあった。もしかしたら、この男はそうなれるのではないかと。
年を重ねるごとに、現実を知って子供じみた世迷言は減っていく。
夢はいつか醒める。21歳と言う年齢は彼女の心からヒーローになろう、と言う気持ちを消していく。
ヒーローは子供が憧れるモノで大人が憧れるモノではないから。
現実を知った大人にはヒーローと言う存在がどれだけ“狂って壊れた”存在なのかを理解出来てしまうから。
だから、もしヒーローになる人間がいるとしたら、そいつはきっと馬鹿なのだろう。現実を見ない大馬鹿野郎。
現実に存在しないことを理解して、それでもそうなろうと、現実を無視して走り続ける大馬鹿だけがヒーローになれる。
ヒーローとはそんな人種だ。そして、偶然にもあの異邦人はそうだった。
20歳にもなって、全てを守るだの誰も死なせ無いだの、そんな夢見がちなことを言い続けていたから。しかも戦争に従事し、クソッタレな現実に何度も何度も煮え湯を飲まされて、仕舞いには殺されて、それでも諦めずに走り続けて、生き延びて、ここまで来た。
はっきり言って馬鹿だ。普通はそうなる前に諦める。なのにあの男は諦め切れずに今も尚、戦い続けている。
―――子供の頃に憧れたヒーローはシン・アスカの側にいる。自分は本当はそうなりたかった。けれど、自分が選んだのはその側ではなく真逆の側。
ギンガやフェイトがあんなに早くおかしくなったのも道理なのかもしれない。
ギンガ・ナカジマは幼い頃に母を亡くし、そのせいで早熟せざるを得なかった。大人であることを強要され、子供であることを置き去りにしてきた。
だからシン・アスカに惚れたのは簡単なことだ。哀れだったからだ。傷だらけになって、泣きそうになっても頑張り続けるシンの姿が可哀想でならなかったからだ。
だから、発端は同情。これは間違いない―――だけど、恐らく彼女が本当に惚れたのは“そこ”ではない。彼女が気づいていたのかどうかは知らないが、恐らく、ギンガはずっと誰かに“守られたかった”。
置き去りにしてきた子供心はずっと誰かに守られることを望んでいて、だからそんな彼女はシン・アスカに守られることに安堵した。情熱ではなく安堵によって彼女はシン・アスカと言う男に惚れたのだ。
フェイト・T・ハラオウンはクローンと言うその特殊な出自からか、早熟する必要があった。母に認められたいから。褒めてもらいたいから。純粋な子供ならば誰であろうと与えられる当然のモノを彼女は与えられず、結果としてそれは彼女に“従順さ”を植え付けた。自分を絶対に裏切らない誰か―――それを造る為に彼女自身が絶対に誰も裏切らない存在でなければならないから。
シン・アスカに惹かれたのはその影響だ。
彼は誰かに裏切られ続けた存在だ。その結果、男は従順な獣として生きることを選んだ。自分と同じだと思ったのかもしれない。人生と言う鎖に雁字搦めに縛り付けられた哀れな男だと。
つまり、発端はギンガと同じく“哀れみ”。彼女も初めはただ哀れみから惹かれたのだろう。そこに間違いは無い。
だが、彼女はギンガと同じく守られたいと思ってシンに惚れた―――のではなく、そんな鎖や哀れみとかそんなもの全て関係無しに好き勝手に暴れて守ろうとするエゴに惚れたのだ。
フェイトが本当に望んでいたのはそんな愚直なまでの我の強さ。絶対に何があっても自分を張り続けるその心根の強さ。そこに彼女は“期待”したのだ。この人はどこまで自分を変えてくれるのか、と。
ギンガ・ナカジマはシン・アスカを綺麗な存在として、自分を守ってくれる、彼といると安堵するから惚れた。
フェイト・T・ハラオウンはシン・アスカが醜悪なエゴの塊として、彼に期待したからこそ惚れた。
とどのつまり、二人は惚れ方こそ違えどシン・アスカがヒーローになろうと足掻き続ける大馬鹿野郎だから惚れたのだ、と思う。
これらは全てもう確認のしようも無い推測でしか無いし、考えても意味の無いことではあるけれど―――多分、そんなに外れてはいない。
二人とはそれなりに付き合いの長い―――片方は親友だから付き合いが長いという問題ですらないが――はやてはそう確信していた。
要するにどこにでもある単なる初心な初恋。それが答えだ。
(・・・・考えてみれば、私も、同じか。)
彼女は思い至る。自分自身の根幹に根差した衝動に。彼に拘る意味に。自分がここにいる理由に。
初めて会った時、八神はやてはシン・アスカを見て懐かしいと思った。
考えてみればそれは至極当然の話だ。何故なら、シン・アスカは家族(リインフォース)を失った日の八神はやてに似ていたのだから。
ヒーローになりたいと願ったあの日の自分に似ていたのだから。
その想いは決して恋ではない。恋というよりもそれはむしろ、執着に近い。
シン・アスカは八神はやての夢を叶えてくれるのではないかという、夢への執着に。
―――だから、許せなかったのだ。ヒーローになることが出来る“かもしれない”のに命なんてどうでもいいと言わんばかりのシン・アスカが。自分の夢に泥を塗られたような気さえして、彼女は憤慨した。
そして、それは―――そのまま此処(クラナガン)に来た理由に当てはまる。自分は、あの男を死なせたくないから、ここにいる。シン・アスカがどうだとかは関係ないのだ。ただ、八神はやては自分の夢が壊れることが許せなかったから。
だから、ここに来た。何が出来るのか、何がしたいのか、そんなこと一切分からないままこの無力で在ることしか出来ない戦場へと。
―――その事実を確認すると、少しだけ視界が開いた気がした。
不思議そうな眼でマイが自分を見ていた。いきなり黙り込んだからだろう。
しゃがみ込み、少女と同じ目線で、少女に笑いかけた。
出来る限り、明るく朗らかな笑顔を意識して。
「大丈夫や。きっと助けはくる。だから、安心するんや。」
少女の顔はまだ晴れない――当然か。そんな簡単に安心するほど子供の心の隙間に入り込んだ恐怖は拭えない。だから、今度は抱きしめた。包み込むように優しく、少しだけ力強く。
「・・・大丈夫や。」
「・・・・・・・う、うん。」
その言葉と抱擁でマイの表情が少しだけ和らいだ。
轟音と衝撃。さっきよりも大きくなっている。終わりが近づいている。
全員の表情が強張る。少女の、マイ・アサギの表情も強張った―――はやては再び微笑んで、少女の小さく震える身体を抱きしめた。
「―――皆、私が守ったげるから。だから、信じてくれんかな?」
「・・・・・おねえ、ちゃん・・・・」
「おねえちゃんやない。はやてや。八神はやて。」
「やがみ、はや、て・・・・?」
「ああ、そうや。」
少女を抱きしめていた手を放し、前に進み出る。
武器は無い。デバイスの一つも無ければ、自分の力を制御する術の要でもあるリインフォースⅡもいない。
戦えば敗北は必至。そして敗北はそのまま死に直結する。
なら、何故自分は戦おうとするのか。
―――そんなこと知るか。守るのに理由がいるんか。
心が紡ぐ。言葉を紡ぐ。“覚悟”を紡ぐ。
きっと自分はヒーローにはなれない。今までなれなかったのだから、これから先も同じことだろう。
けど、それでいい。自分はヒーローを支える側で在ることを選んで此処まで来た。
ユメを誰かに叶えさせる為に此処まで来た。
今更、それが間違いだったなどと訂正するつもりなど毛頭無い。
だから―――今はもう少しだけ頑張ってみよう。
あの大馬鹿野郎をヒーローにする為には自分だって諦めている訳にはいかない。
ココロが壊れたと言うのなら、繋いで叩いて直せば良い。
良い男を育てるのは、良い女だと相場は決まっているのだ。
「そうや。私の名前は・・・・八神はやてや。」
上着を脱いで丸めて放り投げた。上半身を覆うのは白いワイシャツ。下半身を覆うのは紺色の側面が破れ、スリットが入ったスカート。
「ヒーローになり損ねた、ただの女や。」
少女にその言葉の意味はわからない。多分、はやて以外誰もその言葉の意味などわかりはしない。
だが、それでいい。自分さえ分かっていればそれでいい。決意なんてそんなものだ。覚悟なんてそんなものだ。人生なんて―――そんなものでいいのだ。
前に進み出た。俯き、押し黙る避難民に声をかける。
「全員、私の後ろにいてもらえますか。」
「・・・あんた、何を言ってんだよ」
「何が出来るんだよ、あんたみたいな女一人で。」
皆が口を開いた。放たれる言葉は罵倒と失望と諦観ばかり。予想通りの反応。
すう、と息を吸い―――不敵に微笑み、叫んだ。
「―――はよ、下がれ言うとるんや、このアホンダラぁっ!!!」
ビリビリと空気が震動したと勘違いするほどの怒号。密室空間で放たれたその声は鼓膜を突き破らんばかり大きかった。
皆が呆気に取られて彼女を見た。マイがこちらに向かって微笑んでいる――微笑み返した。
「ええか。ここは私が、必ず守る。せやから―――せやから、あんたらは私を信じて欲しい。」
皆がはやてを見た。突然、態度を豹変した露出の多いワイシャツの女を。
「みんな家族とかおるやろ?帰りたいやろ?・・・・こんなところで死ぬとか話にならんくらいにムカつくやろ?」
視線が集まる。
「さっきの言葉の通り、誰かが来ないと駄目なんは事実や。それは変えようがない。・・・・せやから、それまでは必ず私が守ったる。必ず、みんなを家に帰したる。」
皆の目を見る。呆気にとられている者がいる。笑っている者がいる。泣いている者がいる。
その目の全てに絶望があった。その絶望の全てを安堵の吐息に変える為に。
「今は私の指示に従って欲しい。こんな小娘で頼り無いかもしれんけどな。」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
一人、また一人とはやての後方に集まって行く避難民たち。
別に今の言葉に納得した訳でも無ければ、感銘を受けた訳でも無い。
死ぬかもしれない恐怖を、そんな言葉だけでどうにか出来る訳が無い。彼らの瞳が語る事実は一つだけ―――こんな小娘に何が出来る。それだけだ。
足を前に踏み出す。避難民は全て自分の後方に下がっていった。扉と自分の距離は約5m。自分と避難民との距離は3mほど。
自分の前には誰もいない。ここからは自分の魔力と障壁、ガジェットのAMFと攻撃との単純な鬩ぎ合い。
扉にヒビが入った。壊れるまでもう数秒も無い―――構うことは無い。まだまだ魔力は残っている。両手を突き出し、魔力障壁を再構成。
「はぁぁぁぁぁっ!!!」
ヒビの隙間に入り込む白い魔力。それを抉り攻め立てる高濃度AMFとⅢ型の砲撃とⅣ型の斬撃。
ヒビ割れる。注ぎ込む。ヒビ割れる。注ぎ込む。
均衡は即座に崩れた。
ぱりん、とガラスが割れるような音を立てて、障壁が砕け散った。
「―――っ、まだやっ!!」
ガジェットが入り込んでくる前に再度障壁を展開。魔力注入。構成の甘さを膨大な魔力量で誤魔化し揉み消し、食い止める。
「ぬ・・・・ぎぃぃぃいいいい!!!」
腕に血管が浮き出る。汗が吹き出た。
ヒビ割れていく障壁/閉じて行く隙間――鬩ぎ合い/終わらない。
障壁に向けて放たれる何発もの砲撃。障壁の直ぐ近くで斬撃を繰り返すⅣ型ごと砲撃が障壁に食い込んで行く。
「まだ・・・まだ・・・・!!」
呟き、自身に叱咤。障壁が崩れることは後方にいる彼らの死を意味する。あの少女が死ぬことを意味する。
―――ふざけるな。
まだだ、と更に魔力を集中。輝き。白く、そして熱く。
AMFによって結合を解かれていく魔力。その綻びに乗じて刻み、貫く斬撃と砲撃――構うな。続けろ。
切り裂かれていく障壁。抉られヒビ割れていく障壁。
「まだ、や・・・・・!!」
ぱりん、と割れた。粉々に砕け散った。その間隙を狙って、放たれたⅢ型の砲撃。咄嗟に魔力障壁を自身の直ぐ前方に張り出すことで防御。
「くそ・・・たれぇっ!!!」
Ⅳ型がその隙に近づく―――障壁を食い破る為に斬撃を振るう。目前で障壁が削り取られていくのが視認出来る。
後ろから悲鳴が聞こえる。ざわめきが聞こえる。けれど、少女の声は聞こえない。ふと、後ろを見た。
「・・・・・・。」
少女が見ていた――――自分を見ていた。
“だから―――もう少しだけ頑張ろう”。
言葉を紡ぐ。決意を紡ぐ。覚悟を紡ぐ。
命を賭けるほどの魔力行使は自分には出来ない。だから、命を懸けて何かを遂げることなど出来はしない。自分は、自分の命を抱えたままでしか何かを遂げることしか出来ない。
思考を加速。魔力を収束。意識を集中し、現状取れる全ての手を考えろ。
ぴき、と障壁の亀裂が大きくなっていく。
「ぎ、がぁぁぁっ!!!!」
もう少しでいい。もう少しだけでいい。もう少しだけ、もう少しだけ、お願いだから、もう少しだけ―――
「く・・・そ・・・・!!!」
障壁に大きな亀裂。割れる。終わる。死ぬ。守れない。少女が死ぬ。これで、終わる―――
「―――あ。」
今度こそ、割れた。砕け散った。再度障壁を張ることを試みる/間に合え―――間に合わない。守れない。自分はやっぱり、役立たずで、
「くそ。」
呟きは一瞬。思ったことはただ一つ。
(悔しいなあ。)
思考が途切れる。意識が漂泊する。今、終わる。終わってしま――
「―――はやては」
その体躯に見合ったような小さな呟き。白いバリアジャケットを纏った鉄槌少女(ハンマーガール)が、
「死なせ―――」
その小さな身体と可憐な容貌に不釣り合いどころか、まるで似合わない出鱈目で刺々しく、何よりも巨大な鉄槌を――
「ねええぇぇぇえええええっっ!!!」
渾身の力で振り回し、暴れる/猛る/ぶち抜く/ぶち壊す/ぶちのめす/ぶっ潰れろ―――!!!
(ドカバキグシャバキバキバキドゴゴゴゴゴゴガガガガギギギゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ―――!!!)
轟音と衝撃が耳朶を貫いた。ついで激突音。そし粉微塵になったガジェットドローンの破片がはやてが一瞬遅れて展開した障壁を叩いた。
「だぁあらぁあああああぁぁっっ!!!!」
一機と言わず、二機と言わず、三機を四機を、目前に迫る全てのガジェットドローンを蹂躙していく鉄槌少女(ハンマーガール)。
「は、はは・・・・・」
思わず、唇を歪めて笑ってしまった。
暴れているのは誰あろう、夜天の王の―――否、八神はやての騎士ヴォルケンリッター・ヴィータ。
そして、
「貴様ら全員ぶち壊してくれる・・・・!!!」
血走った眼でガジェットを切り伏せて、蹴っ飛ばして、踏み潰す烈火の将シグナムが、
「・・・・・もう何でもいいからぶちまけちゃってくださいね。」
瞳孔の開いた眼をしたままぶつぶつと呟き、ガジェットを糸(バインド)で束縛し、次々と輪切りにしていく湖の騎士シャマルが、
「あ、犬がいる!!」
「犬が、闘ってるだと…!?」
「あの犬すげえ、魔法使ってるぞ・・・・」
「わんちゃん、かっこいい!!」
咆哮とともに上空から降り注ぐ岩の雨――――盾の騎士ザフィーラが。
どこか釈然としない声で吼えた。
「わ、わおおおおおおん!!!」
「・・・・なんつー、不憫なんや。」
瞬く間に葬り去られていくガジェットドローンの群れ。これまで苦しんでいたことが嘘のように、圧倒的に、無慈悲に、蹂躙して行くヴォルケンリッター。
僅か十分も経たない内に蹂躙は終わる。残るは執拗に壊され尽くしたガジェットの破片の群れ。よほど、はやてを殺そうとしていたことが腹に据えかねたのだろう。機能停止しているガジェットをそこから更に細かく砕き、粉微塵にしていった。
苦笑しながらその光景を眺めながら、はやてがぼそりと呟いた。
「・・・・皆、何でここやって分かったん?」
【ボクが教えたのさ・・・・主を助けに行けってね。】
通信が繋がる。脳裏に突然届く念話――聞きなれた声。
ガジェットが殆ど掃討されたことで、AMF濃度が下がったのだろう。先ほどまでのようなノイズは無く、澄み切った声が届く。
【どうやら、生きていたようで安心したよ、はやて。】
(よう言うわ。)
心中で毒づく。
まるで慌てていないその口調―――八神はやての知るヴェロッサ・アコースとは飄々として、心中では何を考えているか分からない男である。だが、長い付き合いだからか、 冷静沈着ではあっても怜悧冷徹な男ではないのだ。少なくとも、近しい人間が死んだり、死ぬような状況に陥って尚何も思わない。そんな男ではないことを。
恐らく、ヴェロッサははやてがこの場にいることを察知し、すぐにヴォルケンリッターに指示を出したに違いない。この避難所が襲撃を受けてから、救助に彼女たちが来るまでに、数十分しか経っていないことがその証だ。
それでありながら、こうやって、そんな素振りは全く見せない。
(・・・・自慢の兄貴分やとは絶対に言わんけどな。)
心の中でだけそう呟き、口を開いた。
「ロッサ・・・・直ぐにここに救助をよこしてくれへんか?それとマイ・アサギって子の親御さん探したってくれ。」
【お安い御用だ。今すぐに手配しよう。】
「それと、」
【何かな?】
「何で、今回の襲撃のこと詳しく教えてくれんかったんや?」
一瞬、彼の声が途切れた。沈黙は数秒。それは後ろめたさの表れ――言うべきではないことを言い放つための逡巡なのだろう。
【キミじゃ役に立たないからだ。キミではどうしようもない。1000機のガジェットの大群にキミは何が出来た?」
「・・・・・1000機?」
口から出た言葉は間の抜けた呆けた声。言葉の意味を一瞬理解出来なかった。
【ああ。今回の襲撃は1000機のガジェットとナンバーズとこれまで現れた鎧騎士達。それとエリオ・モンディアル。そして君は知らないが、終いには巨大な人型兵器が蹂躙している。はっきり言ってキミではどうしようもないだろう?】
「・・・・・」
押し黙るはやて。その通りだ。1000機のガジェットドローンに加えて、あの鎧騎士に、強化されたナンバーズ。その上、異常なほどの戦闘能力を持ったエリオ・モンディアル。そして、極めつけに巨大な人型兵器がいるという。
どうしようもない、と言われても仕方は無いだろう。
―――犠牲を許容出来ない彼女に、そんな絶望的な戦闘を前にして出来ることなど何も無いのだから。
【だから、外れてもらったのさ。キミに出来ることではないとカリムが判断したのでね。だが――。】
口調が変わる。それまでのような厳しい事務的な口調ではなく、優しい彼女の兄貴分の声へと。
【―――僕はキミにはまだ出来ることがあるんじゃないのか、って思ってね。だから、あんなメールを送ったのさ。】
緑色の魔力で編まれた犬―――ヴェロッサ・アコースの希少技能“無限の猟犬”が、そこにいた。口にくわえているのは剣十字の紋章。騎士杖のデバイス―――シュベルトクロイツ。
【僕はカリムよりももう少し君のことを買い被っているのさ。カリムには可愛い妹分を死なせるのは忍びないと言ったけど・・・・・可愛い子には旅をさせろとも言うだろう?それと同じさ。】
近づいてきた猟犬から剣十字の紋章を受け取る。手に馴染む使い慣れた感触。思わず、笑みが浮かぶ。
【確かに君はここで死ぬかもしれない。けど、あそこにいても君は生きながらに死んでいくだけだー――それなら、同じことだろう?守りたかったモノを守り切れなかったっていうのは酷く辛い話なんだから。】
言葉に少しだけ悔恨が滲む。
そこに何が秘められているのかはわからない。念話による通信では言葉は繋がっても心までもを繋げるのは無理なのだから。
「・・・・あのメールは、ロッサが送ったんか・・・まるで気づかんかったわ。」
【君は主役さ。誰が何と言おうとね。・・・・っと、これで通信は終わりのようだ。積もる話はまた今度にしておくとして――はやて。】
言葉を切って、息を吸い込む音がした。
開けられたのは数瞬の間。
【君は君の思うようにしたらいい。君の願いは、君にしか叶えられないんだから。】
―――そして、通信は途切れた。接続を切ったのだろう。どれほど念話を繋げようとしても聞こえてくるのはノイズばかり。
「・・・わかってるよ、ロッサ。私は、」
剣十字の紋章を杖状態に解放。現れ出でしは騎士杖シュベルトクロイツ。
ガジェットはすべて掃討され、これ以上、この場を脅かす存在はそこにないことを確認し、跳躍。飛行――空中へ。
「私の夢を守りに行く。それが私がここにいる意味や。」
はやての瞳が捉えた遠方。そこに遠方からでもはっきりと視認できるほどに巨大な黒色の巨人がいた。
そこに割り込んでくる新たな念話―――空間にディスプレイが投影された。
【はやて?そこにいるのかしら。】
―――声の主はカリム・グラシア。
聖王教会の重鎮にして、はやての後見人。そして、彼女が姉と慕う女性。
「カリム、か。」
【戻りなさい、はやて。その戦場はもうすぐ“終わる”。巻き込まれるような愚を犯しては駄目よ。】
映像に映し出されたカリム・グラシアの姿はいつも通りに優美で穏やか――だが、どこかいつもと違う気がするのは気のせいだろうか。
「終わる・・・・カリム、それどういう意味や?」
【言葉通りの意味よ。その“戦場”はもうすぐ終わる。】
言葉の意味が理解できない。
戦場が終わる――確かに戦闘というものはいつか終わる。どちらかが倒れるか敗北を認めればその時点で戦闘は終了する。それ自体に異論はない。
だが、カリムは戦闘ではなく“戦場”と言った。
何か、何かがおかしい。
「戦場が終わる・・・?どういう、ことや?」
その言葉を聞いてカリムが溜め息を吐いた。覚えの悪い子供を諭す親のような溜息を。
【言葉通りよ、はやて。その戦場は、あの男を熟成させ、餌とする為に作られた。熟成がすでに円熟にまで至った以上、これ以上の戦力の浪費はまるで意味が無いわ。】
―――待て、待て、待て
今、この女は何と言った?
“その戦場は、あの男を熟成させ、餌とする為に作られた。”
はやての胸がズキンと痛んだ。脳裏にある男の顔が思い浮かんだ。朱い瞳の異邦人。シン・アスカの横顔が。
「・・・・まさ、か」
【・・・・・・貴方には知られたくなかったんだけどね・・・・まあ、いいわ。傀儡なら心当たりはまだまだいるもの。】
声色は同じ。口調も同じ。なのに、なぜかその声を別物に感じる。
【シン・アスカはこれから世界を救う生贄となるのよ。この世界の平和の為に。】
声の調子に淀みはない。同時にその声の調子はいつも通りの柔和な声音。狂気など欠片もなければ、壊れた様子などまるで無い―――正気そのものにしか見えない。
なのに、何故この声が怖い、と思うのだろう。
「生、贄・・・・やて?」
【エヴィデンス01―――羽鯨って聞いたことがあるかしら?】
聞き覚えの無い名前。聞いたことも無い言葉。理解が追いつかない。
そんな自分を見て、カリムは溜め息を吐いた――嘲るようにして、嗤いながら。
【・・・・そうね。あなた達はまだそこまで“到達できてない”から、知る由も無いか。】
言葉が続く。放たれた言葉は理解の外に在るものだった。
【時間の流れを川とすると、次元世界というのは川の中に浮かぶいくつもの船よ。私たちは同じ川の中で生きるからこそ、世界間の移動なんていうものが出来ている。羽鯨というものは、その川を食料とする生命体―――むしろ、世界とでも言った方が正しいのかもしれないわね。】
耳に届く言葉。あまりといえばあまりの内容にカリム・グラシアの正気を疑う―――目は正常。雰囲気も、ただ笑顔だけが異常で――けれどその異常がその言葉は嘘では無いと信じさせる。
【羽鯨がその川を食らうということは、ミッドチルダだけではない全ての次元世界が消滅する。それこそまだ確認されていない世界も、確認されている世界もすべて、ね。】
口を閉じて、こちらを見る。瞳孔が開くのを感じた。彼女の目の奥に在る正気と言う名の狂気に怖気がする。
羽鯨?エヴィデンス?在り得ない話だ。そんなことは絶対に在り得ない。世界を食料とする生物など存在するはずが無い―――通常ならばそう思っただろう。だが、八神はやては違う。彼女は知っているからだ。常識がどれほど脆く壊れやすいかを、幼い頃に魔法と言う非常識によって常識を破壊された経験がある彼女は、壊れない常識など“在り得ない”と知っているのだから。
だから、彼女はそれを真実だと受け入れてしまう。
【羽鯨が求めるモノは純粋な感情。強い感情―――たとえば絶望とか憎悪とか、“何かを守りたいという欲望”とか。】
にやり、口元が歪む。微笑みが嗤いとなった。
【・・・・この戦場はその為の戦場よ。全次元世界が、平和を手に入れる為にシン・アスカは生贄として選ばれた。】
「シンを、この世界に呼んだのは、その為なんか・・・・?」
途切れ途切れの言葉。口内が乾いて、上手く話せない。知らず、呼び名が変わる――シン・アスカではなく、シンへと。
【いいえ。それは偶然よ。誰もあの男を呼んではいない―――けれど、それを利用させてもらったのも事実ね。】
くすくすと楽しそうに笑うカリム。いつも通りの笑顔。いつも通りの態度。なのに、その言葉だけがいつもとは違いすぎて―――頭のどこかでかちりと音がした。
「・・・・初めから、仕組まれていたってことなんか?」
【違うわ、はやて。初めから“そうなるよう”に仕向けていただけよ。別に計画はこれひとつだけという訳では無いのだから。これは、その中で一番確実な計画なのよ。】
カリムの瞳がはやてを見た。うっすらと微笑みながら、呟く。
息を吸って、吐く。息を吸って――吐く。ふつふつと煮え滾るモノがあった。この話を聞き出した当初から煮え滾るナニカ。
【喜びなさいな、はやて。シン・アスカはこれで、生贄(英雄)になれ―――】
「・・・・・カリム、それ本気で言うとるんか?」
知らず、言葉が出た。
瞳が鋭くなるのを感じ取る。奥歯を噛み締める音がする。心臓が跳ね上がる。
【私は本気よ。いつだってね。世界は全て、自己の平和の為に動くものなのよ。・・・貴方も知っているはずよ。平和以上に大切なものは無いと言うことを。】
胸がざわざわする。身体の震えが止まらない。
「・・・・くそ食らえやな。誰かの犠牲を前提にしてしか成り立たん平和なんかに何の意味がある?誰かが犠牲になるのはええ。何も犠牲にせずに平和にしようなんて、単なる子供の駄々と同じ理想論や。やけどな、」
彼女の目を見据えて、言った。
「・・・・・せやけど、それを前提条件にしてどうするんや。誰かが犠牲になるのは結果であるべきやろ?そうさせない為の時空管理局やないんか?」
僅かな沈黙。一瞬か、ソレとも数秒か。本当に僅かな沈黙。その間、彼女が瞳を閉じた――開いた。
【ええ、そうね・・・・けれど―――平和は全てに優先されるものよ。世界を救う為ならばどれほどの人間を犠牲にしても私はそれを実行する。】
居住まいを正し、彼女はカリム・グラシアではなく、“カリム・グラシア中将”として、口を開く。
【これはお願いではなく命令です。八神はやて二等陸佐。】
瞳が鋭くなった。返答次第では誰であろうと敵とみなす。そんな覚悟の篭った瞳へと変化した。
【貴女はそこにいてはならない。その戦場にはもうシン・アスカ以外いてはいけない。だから、早く下がりなさい。貴女にはもっと相応しい席を用意してあるわ。】
―――それが引き鉄となる。
頭の後ろで撃鉄が落ちた。
覚悟、決意、信念―――そんな聞こえのいい言葉ではない、撃鉄(憤怒)が。
空を見た。服は破れ、心は敗れ――それでもココロの奥で叫ぶ何かだけは変わること無く。
言葉を放つ。
「・・・・言いたいことは、それで終いか?」
しがらみがあった。枷があった。
この身を縛る幾つもの大切なしがらみ。大事な枷。
だが、もう――そんなものはどうでもいい。
左手で騎士杖――シュベルトクロイツを“構えて突きつける”。魔力を収束する。脳髄が沸騰した。抑える気などサラサラ無い。
「刃以て、血に染めよ。」
“しっかりと確実に”詠唱を行い、魔法を展開する。紅色の刃金が周囲に精製され、射出を今か今かと待ち続ける――――狙いは一つ。空間に投影されたディスプレイに映るカリム・グラシア。
「―――穿て、鮮血の刃金(ブラッディダガー)・・・そこの金髪女をなぁっ!!」
放たれる合計10本の鮮血の刃金(ブラッディダガー)がカリムの幻影を貫き、すり抜けた。カリムの眼が見開いた。まさか、いきなり幻影に向けて攻撃するとは思わなかったらしい。彼女の顔に似合わない狼狽が浮かんだ。胸の奥がスッキリする。
【・・・・はやて、今のは明確な敵対行為になると分かってやったのかしら?】
地面に向けて、口の中に溜まった唾を吐き捨てた。唇を吊り上げ、瞳を見開く。顎を上げて、視線は見下ろすように。
「敵対行為?上等や・・・・あんたが、この戦場を終わらせて、あいつを生贄にするってんならな、私がアイツを引き戻す。アレは私のや。誰と恋してようとぶっ壊れてようとな、アレは私のモノや。勝手に殺すとか、そっちこそふざけたこと抜かしてるんやないで、カリム・グラシア中将殿?」
【はやて、それは本気で言っているのかしら?】
「本気や。本気やからこんなこと言っとるんや・・・そんなことも分からんくらいに耄碌しとるんか?」
腹の底から、心の底から、八神はやての全てをぶちまける。
睨み付ける――カリム・グラシアを。
「私からの返答はな―――」
画面に向けて、右拳を握りこみ中指を天に向けて突き立てるを立てる――第97管理外世界において最もポピュラーな罵倒方法。ファックユー(クソッタレ)。
「――クソッタレや、カリム・グラシアァッ!!私はな、誰かを見捨てるとかそういうんが一番、嫌いなんや!!世界の平和の為なら誰か見捨てろって言うのが管理局の正義なんやったらな、そんなくそったれな管理局はこっちから願い下げやッ!!」
【・・・はやて、あな・・・】
通信を無理矢理切った。これ以上会話を続けていれば、フレースヴェルグ辺りを放っていたかもしれない。
【皆、頼みがあるんやけど・・・ええか?】
念話を繋げる。カリム・グラシアとの回線とは独立した八神はやてとヴォルケンリッターだけを繋ぐ特殊回線。
【・・・はやてちゃん?】
シャマルの怪訝な声――自分の声の調子に違和感を覚えたのかもしれない。震えを抑えられている気はしなかったからだ。この、ココロの震えを。
そして、他の面々もそれに気づいて上を見上げ、主が怒りに震える姿に気づいた。
【・・・今から私はあの馬鹿連れ戻す。そんでもって、あのクソッタレな巨人を背後からぶっ潰す。】
【・・・・主はやて、それは危険すぎます。】
シグナムの声。不安げな調子を隠そうともしていない。
同じくヴィータからも動揺の気配。彼女もシグナムと意見は同じなのだろう。
【主はやて・・・。】
【・・・はやてちゃん。】
ザフィーラとシャマルの呟き。恐らく、二人ともがシグナムと同じ意見だ。
【そ、そんなの無理に決まってるです、はやてちゃん!!】
リインの叫び。アギトは沈黙したまま――答えかねている。
瞳を閉じて、口を開いた。
【・・・・せやから、私が危険にならないように皆は暴れ回って、囮になって欲しいんや。それとこの戦場一帯にジャミングかけて、ついでに私の生体反応だけ隠して欲しい。それとあそこまでのルート検索も。】
一息で言い放ち、返答を待つ――言葉が返ってこない。
沈黙は十秒ほど。口を開いたのはシグナムではなく、シャマルだった。
【はやてちゃん、それでもはやてちゃんが危険なことには変わりないんですよ?それにそういった不意打ちこそ私たちがやるべきことです。】
シャマルの諭すような言葉。
息を吸い込む。震えている。怒りで―――そう、怒りでだ。自分と、カリムと、そして、このクソッタレな現実への怒りで腹の中が煮えくり返って、全身の血管から鼓動する音が聞こえる。
シャマルの言い分は最もだ。自分がそんなことをする道理はどこにもない。適材適所と言う言葉とはまるで真逆――これは愚の骨頂とも言っていい我が儘に過ぎない。
【―――シャマル、それでもや。それでも、これは私にやらせて“欲しい”んや。】
それでも、そうしたかった。
別に自分が行く必要は無い。自分は後方で彼女達に指示を出していればそれで良い。
けれど、これは自分の“夢”を守りにいくと言う酷く個人的な願いなのだ。
それを他人任せにしたくはない――全て、自分でやらなければ納得できないと言うだけ。
【・・・死ぬ気は無いんですね?】
【死ぬつもりはさらさら無い。私は、私の願いを叶える為にあそこに行って、私のユメを連れ戻す。】
ふう、と溜め息一つ――シャマルが呟いた。
【・・・・ヴォルケンリッターは主の願いを叶えることが使命です。だから、】
彼女の声に不敵な調子。
【はやてちゃんが、そうするって言うなら、私たちに異論なんてある訳無い。】
優しく呟くシャマル。その声は今はもう思い出すことも出来ない母親のようだった。
【シャマル、だが、それでは・・・・】
【主が決意して、覚悟してるんです。私たちが何を言うことがありますか、シグナム?】
シグナムが押し黙る気配を感じた。同時にヴィータとザフィーラ、アギトと、リインフォースⅡも。
【はやてちゃん―――貴女が何をしようと私たちは貴女の仲間です。だから・・・・・】
言葉が紡がれた。
【こっちは私たちに任せてください。必ず、貴女の願いを叶える手助けをしますから。】
通信が閉じる。心の熱量が、今の言葉で更に内圧を高めていく。
地面に降りる。先ほどの場所から遠く離れた場所――出来る限り、巨人の近くへと。
シュベルトクロイツを待機状態へ移行し、魔力の痕跡を全て消す。
―――巨人は遠い。
「・・・・絶対に認めへんからな。そんな解決方法は。」
呟いて、走り出した。