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空想垂れ流し 40.Sin in the Other World and World~Injection~(d)

40.Sin in the Other World and World~Injection~(d)


 暗い部屋。薬臭い空気に満たされた部屋―――むしろ実験室というべきだろう。
 テーブルを挟んで二人の男が向かい合っている。サングラスをかけた白衣の男――ジェイル・スカリエッティ。赤い髪の所々が黒ずんでいる青年――エリオ・モンディアル。
 テーブルにおいてあるビーカーの中からは褐色の液体―-コーヒーが湯気を放っている。
「・・・・今度の襲撃で、羽鯨はこの世界から狙いを外すんですね?」
 エリオはくすんだビーカーを手にとって美味しそうにコーヒーを飲むスカリエッティを訝しげに見つめる。ところどころについている赤色や青色が気になるが――気にしない方がいい。そう、自分に言い聞かせる。
「その通りだ、エリオ・モンディアル―――いや、スーパーコーディネイターと言った方がいいかな?」
 ニヤニヤと酷く愉しそうにスカリエッティは話し始める。その笑顔に苛立ちを覚えるもののエリオはそれを無視して、静かに佇む。苛立ちならばこの“身体”になった時からずっと在る。
むしろ消えないし、大きくなるばかりだ―――今更苛立ちを飲み込めない訳ではない。
 そんなエリオの内心の苛立ちを知ることもなく――この男なら知っていても気になどしない
だろうが――スカリエッティの話は続く。
「私達がこれまでに打ち込んだ楔。そして、次の襲撃で中心に掲げる生贄。これによってミッドチルダに満ちた魔力を利用した時空間転移魔法陣が発動する。“ミッドチルダ”という世界そのものを利用したこの魔法によってシン・アスカは羽鯨に捧げられ、世界を救う生贄となる。」
 一拍の沈黙。エリオ・モンディアルがその端正な――元の面影をどこにも残さない顔を俯かせ、口を開いた。
「そして、世界は救われる?」
 スカリエッティがその問いに答える。
「然り、だな、エリオ・モンディアル。そうなれば君と私達は再び敵同士だ。管理局なりどこへなりと戻るがいいさ。」
 突き放すでもなく、擁護するでもなく、彼はただ淡々と答える。彼にとってエリオ・モンディアルが彼の側になるかどうかなどは、正直どうでもいい類のことだから。
 淡々と答えるスカリエッティ。その答えの淡白さがエリオを更に苛立たせる。
「・・・・戻れると、思っているんですか?」
 重い声。腹部の奥底から呪詛のようにして吐き出したような声だった。俯いていた顔を上げる。
 彼の瞳が濁っていた―――絶望と悲しみに塗れて。
 ふむ、とスカリエッティはエリオを品定めでもするかのように舐めつけるように視線を飛ばし、次の瞬間、既に興味を失ったのか、テーブルの上においてあるビーカーを手に取り、口元に運ぶ。
ビーカーの中には珈琲が入っている。最高級とはいかないまでもその香りや酸味は彼にとって
つかある楽しみの内の一つだ。
 ごくり、と口に含む。口内に広がる苦味と酸味、鼻腔をくすぐる香りを楽しみ―――スカリエッティはエリオに向けて、口を開く。彼の瞳の濁りは未だ消えていない。
「思っているよ。ただ、戻ったところで君はこれから生涯、日の目を見ることの無い生活を行うことになるだろうね。顔を変え、名前を変え、残るのはエリオ・モンディアルと言う人間の残滓だけだ。」
 それは当然のことだ。エリオ・モンディアルは管理局を“裏切った”。如何なる理由があろうともその事実は覆らない。
 濁りは消えない。むしろ、更に濁りは増していく。濁った泥水のように底など見えないほどに。
「管理局というのはあれで潔癖症の傾向があってね。非合法を合法として押し通すようなことがある・・・・こちらの論理に従えば非合法。だが、あちらの論理で言えばそれは合法。ロストロギアだからと言って画一的に奪っては保管する―――そんな連中が君を生かしておくとは思わない。だが、君の能力自体は非常に魅力的だ。何しろ・・・・」
 ビーカーをテーブルの上に置いた。既にビーカーの中は空っぽだ。
「この世界で最高の魔導師と言ってもいいほどの力だからね。」
 スカリエッティが放った言葉を聞いて、エリオは自分の右の掌を開いた。
 既に元の自分とは似ても似つかぬ“誰か”の身体―――その右手の中心から、“紅い結晶”が生まれていた。
 手を握り締める―――ぱきん、と音を立て結晶は粉々に砕け散った。痛みは無い。既にそこに紅い結晶は無い。“何か”を振り払うようにエリオは顔を上げ、スカリエッティを睨みつける。
「・・・使えば使うほどに命を削るような魔導師にそれほどの価値があるとでも?」
「あるさ。私が管理局の重鎮なら、君を整形させてでも使うね。確かに君は牙を向けるかもしれないが――牙の無い飼い犬よりはよほど使えるだろう?」
 スカリエッティの返答―――簡潔にして明快。単純にして正解。
 事実、その通りだ。管理局は強い“力”を殊更に重用する。
 エリオ・モンディアルほどの“力”があれば、彼らは必ず使おうとするだろう。人材不足甚だしい時空管理局にとって強力な魔導師というのは喉から手が出るほどに欲しいモノなのだから。
「・・・・この身体はいつまで持つんです?」
「“結晶化”は既に始まっているようだからね・・・・そうだな、あと5回ほど全力で戦闘したらじゃないかな?」
「その5回を過ぎれば、僕は・・・」
「ああ、高純度のレリックと化して、キミは終わる。」
 砕け散った紅い結晶が床の上で爛々と血のように紅く輝く。
 室内に満ちるのは沈黙だけだ。
 スカリエッティが今呟いたのは当然のことだ。強大な力にはそれ相応の代償が付き纏う―――そんな至極当然のことでしかない。
 恐怖はある。死ぬことへの恐怖。失うことへの恐怖。誰かに罵倒される恐怖。けれど、その恐怖を押し切ってエリオ・モンディアルは“覚悟”を決めていた。
 救う為に。彼が守りたいと思える人々を―――彼の家族を。
 シン・アスカと言う“世界”を壊す要因から世界を救う為に、彼は自分自身すら裏切って此処にいる。その後の人生全てを投げ売ってでも行う価値がある行為なのだ、と彼は確信していたから。
「怖いのかい?」
「・・・・問題、無いですよ。」
 呟きにジェイル・スカリエッティは応えない。元より応えることを期待しての言葉ではなく―――自分自身に対する確認のようなものだったから。
「覚悟は・・・ありますから。」
 震える声にどこか子供っぽさを感じ取って―――ジェイル・スカリエッティは微笑んだ。清廉で
純粋で綺麗な無邪気な微笑みで。


 夢。夢を見る。
 夢の内容は凄惨だ。誰にも理解されることなく、誰にも守られることなく、誰をも守れることなく、終わっていった一人の馬鹿な男の夢。
 守りたかった誰かを喪って、守りたかった人を守れなくて、守るべきだった人から逃げ出した。
 それは無限の欲望―――シン・アスカの記憶。
 流れ込んでくる記憶は濁流のようで方向性の定まらない乱雑した映像。混沌そのものであるかのように刻一刻と映像が切り替わる。
 出来の悪い映画を見ているような感覚――しかも退出は出来ないと言う最悪の仕様だ。
 その“物語”は凡そ今から5年前を起点として始まる。

 家族を失くした――焼け焦げた丘。散らばった肉体。残されたのは妹の右腕。物言わぬ物体に成り
下がった家族。二度と繰り返したくは無い光景――記憶に篭められた想いは彼のココロだろう。

 復讐の為に力を得た。その力で自分を助けてくれた人を殺した。海に沈んでいく機械の群れ。そこに
静かに佇む見覚えのある誰か―――知ろうともしなかった事柄。

 少女を守れなかった。冷たい白と青の中に沈んでいく金髪の少女。戦争という時代に翻弄され、戦いしか知らなかった心と身体を壊された彼女。もう誰にも傷つけられないようにと沈めた少女。彼女は
今もあの湖の底でただ眠り続ける―――永久に。

 仇討ちの為に力を得た。殺そうとした。殺そうとした。全身全霊を掛けて殺そうとした。復讐を完遂
した。毀れた涙は誰の為の涙だったのか。

 仲間に裏切られた。多分どこかで信じていた。けれど、裏切られた。訳が分からなかった。手に入れ
た力で仲間を殺そうとし。任務だからと殺した。思考を止めた。

 守るべき人が出来た―――傷の舐め合い。病んだ心と身体に面白いように馴染んでいくその行為。思考することはその頃から止めた。考えれば自分は壊れてしまう。壊れてしまうくらいなら何も考えない方が良い。そう思った。

 殺したはずの仲間が自分を倒しに来た。訳が分からなかった。けれど、身体は止まることを選ばない。乱れる心とは対照的に動作は変わらない。

 信じた親友の命を託された。守るべき理想を得た。戦いの中、全てが反転する。自分達の信じた理想は間違いなのだと断罪されるようにして、理想が壊れていく。砕けそうになる心――砕け散って壊れてしまえばどれほど良かったかと思う。けれど、心は砕けない。壊れることも出来ない。信じた親友が死んだ。守るべき理想を砕かれた。

 あの時、無言で差し出された“英雄”の手を取った。心に染み渡るのは諦観と言う名の安心。自分は負け犬なのだと言う烙印。何かが――彼の中の大切な何かがその時“終った”。

 そして、世界は暗転する。
 暗闇の部屋。そこで手足を絡ませ、“行為”に没頭する二人の男女。女に溺れた――甘えさせてくれる女に溺れた。溺れている間は何も考えなくて良かった。悦楽だけを頭に刻み込んで繰り返される行為。何も考えることなく―――考えることを恐れるようにただただその肢体を貪った。溺れ続けた。
 蜜月が――本当に蜜月と言っていいのか分からないが――終わる。唐突な始まりと同じく、唐突に終わりは訪れた。多分その終わりは初めから定まっていた予定調和。
 幸せになろう、と。全てを忘れようと、と女は言った――自分は、ソレから逃げ出した。幸せになると
言う言葉―――選択の重さから逃げる為に、今度は“守ると言う自己満足”に溺れた。戦い続けた。思考の停止した2年間。言われるままに戦い続けた2年間。記憶もそこは朧気だ。殆ど毎日が戦うか寝るかだけの日々。記憶が残るはずもない。そして、その果てに殺された―――けど、死ねなかった。
 機体の中で、男に向けて手を伸ばす銀糸の如き髪の色と紅玉のように紅い瞳の女性。胸に走る凄まじい激痛。世界が変転する。

 死んだはずの男は死ぬこと無く、別の世界に現出する。
 男はそこで願いを得た―――全てを守ると言う実現など決して出来ないであろう“願い”を。
 願いの為に男は生きる。力を求めた。全てを守る為には、全てを超える力が必要だと言う結論から。

 ―――その過程で新たに得た大切な誰か。青い髪の女性と金髪の女性。ギンガ・ナカジマとフェイト・T・ハラオウンが思い浮かぶ。そして、更に浮かび上がる幾つかの人間たちとの記憶。
 繋がる絆。生まれる想い。そしてその想いが辿り着くのは――――選択を求めると言う彼女達の決意。吐露された言葉には選択など一言も入ってはいない。けれど、男のココロはそんな不誠実を許さない。
 だから、逃げ出した。その想いに応えてはいけないから。
 ――自分に誰かを選ぶなど許されないとうそぶいて。本当は誰かを選ぶことがたまらなく怖かったから。
 或いは、彼女達がその思いを吐露しなければ、とも考える。けれどそれは在り得ない仮定。恋とはいつか愛に昇格することを夢見る熱情である。
 故にその想いはいつか吐露されたのだろう――遅いか早いかの違いでしかない。そして、それと同じように―――彼女達が死ぬことも確定されていたのだろう。
 力を求め、力を手に入れ、力に溺れ―――二人は死んだ。守れなかった。
 二人の死体を見た時、大切な何かが砕け散った。砕け散って、ようやく、自分が何を求めているかを知った。
 求めていたのは落とし所。華々しく誰かを守って死ぬと言う人生の終着点。
 銀髪の女にそれを望まれた。“彼女の為に死んでくれ”と。
 生まれた感情は悲しみでも怒りでもなく喜び。誰かに望まれて、誰かを守って、死んでいけるという喜びのみだった。
 世界は残酷だ。けれど、残酷な世界の只中で誰かを守って、華々しく散っていけると言うのは幸せな死に様では無いだろうか。
 夢が終わる。帳が下りる。
 落ちる。墜ちる。堕ちる。
 現実へ。苦境へ。絶望へと。
「・・・・・そっか。」
 目が、醒める。即座に覚醒する意識―――まるで眠ったと言う意識が無い。徹夜明けのように頭は胡乱で、けれど意識は澄み切った水のように明瞭で。
「全部、リインの仕業やったんか。」
 夢の中でみたある光景―――胸を貫く女。そして、その直前に見えた泣き叫ぶ子供。
 それはあの日の光景――八神はやてに刻み込まれた癒えない傷跡。リインフォースが死んだ日の映像。
 どうして、彼女がこんなことをしたのか。どうして、シン・アスカだったのか。どうして、あの時言って
くれなかったのか。そして、もし、彼女が全ての元凶ならば―――どうして、彼女はこんな夢を見せるのか。
 理由は分からない。分かりたくも無い。折れた心は思考を鈍らせ、何かを考えることを拒否させる。
「・・・・別に、もう、どうでもいいんや。」
 瞳を閉じる―――私室の片付けは終わっている。業務の引継ぎは全て終わっている。後は移動するだけだ。逃げ出すだけだ。
 ベッドの上のシーツをもう一度被り、身を包ませる。
「どうでも・・・いいんや。」
 自分には関係ない。そう、うそぶいて。
 八神はやては眠りに落ちていく。何も知りたくないし関係ない。
 彼女の心はこの時折れていた――絶望だけが彼女の心にあった全てだった。

 時刻は10時を過ぎた頃。夜空は暗闇。既に寝ていなければいけない時間帯―――シン・アスカは一人、自動販売機の前に設置されたベンチに佇んでいた。場所は訓練所近くの休憩所。以前、フェイトとギンガがシンについて語り合っていた場所。
 手に握るのはスポーツ飲料。つい、先ほどまで延々と訓練を繰り返していた。通常業務終了後から数時間に渡る訓練。訓練内容はこれまでと同じく基礎の繰り返し。そして、シミュレータによる一対多数の訓練だった。
 エクストリームブラストの力を最大限に発揮する為には敵陣に切り込むことが必要となる。それもエクストリームブラストを使わずに、だ。
 エクストリームブラストを使えば、デスティニーは奪う。無作為に全てから。殺しはしないだろう―――だが殺さないだけだ。瀕死まで、枯渇する寸前まで奪い取る。
 それでは意味が無い。自分が死ぬのは問題ないが、付近にいる味方に迷惑をかけるのでは意味が無い。
 幾度と無く繰り返される一対多数の訓練はシンの体力を殊更に奪っていった。全方位から狙われ、背後を取られ、避ける隙間も無い弾幕を避け―――そして、敵陣の中腹にまで辿り着く。全身にかかるストレスの大きさはそれまでの訓練とはまるで違う。
 全身が鉛のように重い。額から流れ落ちる汗。最近は眠ることも億劫に思い、毎日寝ることも無く訓練をしていたせいか、瞼が重い。このままここで眠りにつきたい衝動に駆られる――それもいいかと思い、ベンチに横になった。見えるのは所々シミで黒ずんだ天井。
 寝転がった状態で右手を顔の前にまでゆっくりと上げる。小さく“震える”右の手の指を“ゆっくり”と力を込めて開き、掌を見る。その中心に虹色の瞳――今は閉じている――があった。
「・・・・エヴィデンス。」
 エヴィデンス―――虹色の瞳。
 夢で見たリインフォースと言う名の女性はそう言った。これは全てを奪う“力”だと。
 あの時、この瞳が開き、見たモノは全て砂塵となって、崩壊した。
 エリオには通じなかった。だが、あれは圧倒的とも言える力だ。戦局を一瞬で打破するに相応しい力。
 リインフォースの言葉を思い出す。
 ―――それを使い続ければ、お前は死ぬ。
 それは力の代償として命を求めると言うことを意味する―――逆に言えば、命を代償にすれば強大な力が手に入るということだ。
 手に入る力は強大無比。命を代償にしたくらいでそれだけの力が手に入ると言うのなら安いものだと思った。
 そうだ。命なんて安いものだ。こんな自分のような人間の命は特に。
「シンさん・・・・」
 声。たどたどしく、怯えが含まれた声。
 起き上がり、右側を振り向く。そこには、こちらを申し訳なさそうに見つめる一人の少女とオレンジ色の髪を二つに纏めた少女がいた。
 キャロ・ル・ルシエとティアナ・ランスター。
「キャロとティアナか。こんな時間にどうしたんだ?」
「どうしたんだって・・・・あんたが言うことじゃないでしょうに。」
「?どういう意味だ?」
 シンの返答に呆れるティアナ。ティアナが呆れる理由が分からないのか、怪訝な顔をするシン。
 はあ、と溜め息を吐いてティアナは口を開いた。
「・・・・いつまで訓練するのかと思って見に来たのよ。キャロとはそこで会って、一緒に来たの。あんたに聞きたいことがあるそうよ。」
 溜め息を吐きながら喋るティアナ。
「ああ、そういうことか」
「そういうことかって、あんたね・・・・」
「訓練は、まだ続ける。少なくとももう3時間はやることになると思う。」
 時刻を見る。今から三時間後といえば少なくとも1時だ。
「3時間って、あんたいつ寝るつもりなの?」
「それから、かな?流石にシャワーくらいは浴びるつもりだから・・・・2時くらいだと思う。」
「・・・私が言えた義理じゃないかもしれないけど・・・・そんなことしてたら、その内、身体壊すわよ?」
「かもな。」
 淡々と呟く。口調に淀みは無い――生まれるはずもない。閉鎖したシン・アスカは外界に目を向けることは無い。
 重い沈黙がその場を包み込む。シン・アスカは話すことを失ったように自分の右手を見つめ、ティアナはそんなシンに掛ける言葉を捜すように視線を彷徨わせる。
「シンさん・・・・」
 幼い、どこか怯えたキャロ・ル・ルシエの声――その中に少しだけ強い気持ちが混じりこむ。
「シンさんは、エリオ君と、戦ったんですよね。」
「ああ、戦って―――殺した。何でか、まだ生きてるけどな。」
 “殺した”。その言葉にキャロが全身をビクリと震わせ、ティアナがきつくシンを睨みつける。余計な
ことを言うなとでもばかりに。
 一瞬、それに対して謝ろうかとも思うが――馬鹿馬鹿しくなってやめた。事実は事実だ。自分が言おうと言わんまいと関係なく、それは遠からず知れる事実である。今更、それを隠すことの方が馬鹿馬鹿しい。
 これで怯えた彼女はどこかに消えるだろう。平然と自分の大事な人間を殺した男と話が出来るほど強くは無い。そう思って。
 時計を見る。休憩時間は既に過ぎている。また、訓練の時間だ―――そう、思って、立ち上がろうとした矢先、少女が口を開いた。
 今度はさっきよりも強い口調で。
「どうして、エリオ君はあんなことをしたんでしょうか。」
 疑問の吐露。少女の疑問は誰もが思うことだ。
 エリオ・モンディアルはフェイト・T・ハラオウンを慕っていた。まるで本当の母親や姉のように。傍にいたキャロ・ル・ルシエが時折嫉妬するほどにエリオはフェイトを慕っていたのだ。
 なのに、彼はフェイトを殺した。間接的に、手を下さなかったとは言え―――それがどうしても信じられないことだったから。
「私には分からないんです・・・エリオ君がどうしてあんなことをしたのか。」
「アイツは、“必要だった”と言ってた。」
「必要・・・?」
 記憶を掘り返す――心の奥底で炎が燃えるのを感じ取る。
「・・・・何の為に、どうして、とかは分からないけど、あいつはそう言ってた。」
 エリオ・モンディアルは必要だったから殺したと言った。
 何の為に。何故。そう言った疑問は当然湧いて然るべきものだ。
 だが、あの時の自分は―――今もそうだが―――そんな疑問など浮かばなかった。
 敵は殺す。それだけしか頭に無かったから。
 虚無が、滲んでいく。疑問が虚無を薄めていく。シン・アスカの虚無は未だ強固な虚ろではなく、揺らいでいる。
「・・・・そうだな、キャロ。聞いとくべきだった。」
 申し訳なさそうに、シンは俯き呟いた。
 罪悪感が降り積もる。戦うことしか考えなかった自分はどれだけ馬鹿なのかと。
 共に沈黙する二人。ティアナ・ランスターはそんな二人を見て、溜め息を吐き、口を開く。
「・・・あのね、何でもかんでも自分のせいだと思うの止めなさいよね?今回のことは・・・あんただけのせいじゃないんだから。それに」
 ティアナがその顔をキャロに向ける。
「キャロもよ。エリオが裏切った理由なんて本人に聞かなきゃ分からないもの。ここでシンに聞いても意味が無いわ。」
 鋭い視線―――ティアナ・ランスターの視線にキャロ・ル・ルシエが居竦まる。けれど、それでもキャロ・ル・ルシエは知りたかった。どうして、こんなことが起きたのか。
「ティアナさん・・・でも、私は・・・」
 キャロの頭に手を添える―――昔、兄が自分の頭を撫でたようにして。
「いい?」
 ティアナの顔がキャロに近づく。頬は緩み、微笑んでいる。
「アンタが今やるのは疑問をエリオにぶつけること。それとエリオと戦う覚悟をすること。」
 戦う、と聞いてキャロの顔が悲しみに歪む。
「・・・・家族なのに・・・・戦わなきゃいけないんですか?」
「家族だからこそよ。」
 俯こうとするキャロの瞳。ティアナの手が彼女の顔を挟み込むようにして、無理矢理、上に向かせる。
 瞳と瞳が絡み合う―――ティアナは瞳を逸らさない。
「家族だから、あんたはエリオと戦わなきゃいけない。戦って、しっかり、叱ってあげるの。家族ってそういうものでしょ?」
「私が、エリオ君を?」
「・・・エリオが何を考えて、裏切ったかなんて誰にもわからない。だから、聞いて、戦うしかない。じゃなきゃあんたの言葉はきっとエリオに届かない。」
「たた、かう・・・」
 自分の手を見る―――小さな手。誰かを守るには小さすぎるし、自分自身さえ守れない惰弱な手。涙が毀れそうなほどに弱い子供の手。
(エリオ君と戦う・・・?私が・・・?)
 想像もつかない言葉。出来るはずが無い。今や強大な敵となったエリオをキャロ・ル・ルシエが倒すなど不可能だ―――理性は正確に現実を認識する。
 ティアナもそれは分かっている。分かっていて、そう言っているのだ。
 エリオ・モンディアルと戦うことなど、恐らく―――シン・アスカ以外誰にも出来ないであろうことは。
 ティアナ達はその戦闘記録を垣間見ただけだ。視界も悪い、偶然映っていた程度の代物。それだけでその戦闘力を正確に推し量ることは出来ないだろうが―――それでもその一瞬だけ見えたシンとエリオのその戦いは彼らが想像する“戦闘”とは一線を画していた。速度、威力、肉体強度。その全ての部分において、二人の戦いは常軌を逸している。
 千切れた腕を再生し、巨大な剣を生成し、目にも映らぬ高速移動で攻撃の雨を掻い潜り、致命傷を負いながらも敵に喰らいつくシン・アスカ。
 膨大な数の魔力によって制御された質量兵器と思しき魔法、目にも映らない高速移動、砲手と言うよえいは戦艦と言った方が正しい桁違いの威力を撃ち放ち続けるエリオ・モンディアル。
 あれは異常だ。異常すぎる戦闘力である。
 あれほどの戦闘力を有したエリオ・モンディアルにキャロ・ル・ルシエが戦えばどうなるか。
 キャロは召喚を主とした補助が専門の魔導師。エリオは単独で戦局を変えるほどの力を持つ魔導師。戦えば、その勝敗は火を見るよりも明らかだ。一瞬で彼女は死ぬだろう。
(死ぬ・・・殺される?エリオ君に?)
 空想が現実味を帯びてキャロの脳裏で展開される。
 フリードを開放したならば、恐らく一瞬でフリードは殺される。
 ヴォルテールを召喚したところで同じだ。エリオ・モンディアルの放つ魔法はヴォルテールの放つ一撃と同程度。速度は比較にならない。連射速度も同じく。
「・・・・・・」
 押し黙るキャロ。ティアナは何も言わない。別に、彼女が単独で勝つ必要などどこにも無い。
 だが、これはキャロ・ル・ルシエが自分の力で乗り越えなければならない問題だ。家族の問題は、家族にしか解決出来ない。
 キャロ・ル・ルシエが今、胸に秘めた言葉と想いを届ける為にはどうしてもそれが必要になる。出来る出来ないを論じる段階は当に過ぎている。詰まる所、気持ちの問題でしかない。やるかやらないか、それだけなのだ。
 何を言うべきか定まらず押し黙るキャロを庇うようにシンがティアナに向けて口を開いた。
「ティアナ、言いすぎだ。」
「・・・アンタはどうなの?」
「俺?」
「エリオをどうにかできるとしたら、この子以外に適任っていると思う?」
 ――いるはずがない。家族の心を動かせるのは同じく家族――もしくは家族ほどに近しい誰かだけ。そんな人間は機動六課にはキャロ・ル・ルシエ以外にはありえない。
 だが、
 ――シンの瞳の焦点が再び消えていく。舞い戻る虚無。焦点を失った瞳は暗い穴のように髑髏を連想させる窪みとなる。朱い瞳が爛々と彼女を見つめる。
「かもな。けど、それは駄目だ。キャロじゃあいつに殺される。」
 何でもないことのように話す―――目前にいる少女は家族に殺される、と。
 淀み無く、事実だけを繋げるようにして紡がれた言葉。
 ティアナの瞳が鋭く、キャロの瞳が潤み出す。
 けれど、そんな視線は彼には“見えない”。閉鎖した彼の心は他人の心の機微に対して、あまりにも無力だ。シン・アスカが話すのは事実だけ。述べる言葉は事実のみ。個人個人の真実など知ったことではない。
「だから、」
 シンが答えを言い終えるよりも前にティアナがその言葉を遮って、答えた。
「だから・・・・アンタが殺すって?」
 殺す―――その言葉にびくり、と身体を震わせるキャロ。
「ああ。」
 停滞の無い返答。定められた答えを返すように。
「俺が殺す。」
 自動販売機の明かりに照らされて、朱い瞳が暗闇に輝く。
「・・・・・。」
 その言葉の前でティアナ・ランスターには何も言えない。
 殺す、と言うシンの気持ちも分かる。彼にしてみれば目の前で大切な――少なくともティアナから見ればそうとしか思えないものを殺されているのだ。
 目には目を。刃には刃を。命には命を。
 殺されたならば殺す。奪われたならば奪い返す。
 大切な者を喪った人間にしかその道理は分からない。ティアナはなまじその気持ちが分かる以上は、何も言えない。
 肯定することも否定することも出来ず、ただ沈黙する以外に無い。
 否定は彼女の人生を否定することになり、肯定も同じく彼女の人生を否定することになるのだから。
 大切な人を喪ったその時から彼女の夢は生まれたのだから。
「・・・・・。」
 ティアナと同じく――内面的な意味ではまるで違うが―――キャロ・ル・ルシエも何も言えない。
 彼女の心に在るのは疑問と悲哀、絶望。それだけだ。
 疑問は裏切られたことへの。悲哀は失ったことへの。絶望は孤独になったことへの。
 元々キャロ・ル・ルシエの一生とは碌な人生ではなかった。
 力があったから里を追われ、孤独を強制され、そしてフェイト・T・ハラオウンに保護された―――彼女に保護されていなければ幼い少女などどうなっていたか分かったものではない。人買いに売られ、苦界で心と身体を壊していたとしても驚きはしない。世界はそれなりに苦しみに満ちている。
 そこから連れ出してくれた家族が奪われた。それは絶望だろう。
 そして、それを奪ったのもまた家族。それも自分と同じように苦しみを背負っていたはずの家族だ。
 疑問に思うのは当然だ。エリオ・モンディアルがやったことはキャロが今感じている悲哀と絶望全てを背負い込むことが前提の行為である。“自分ならば絶対にしない”。その確信があった。
 なのに、エリオ・モンディアルはその行為―――裏切りを行った。
 繋がらない。疑問は膨らむばかりで解答にまで辿り着かない。
(エリオ君は・・・どうして。)
 キャロ・ル・ルシエが沈黙するのはそうやって思考の海に溺れているからだ。そうしていれば、少なくとも悲哀と絶望を忘れられる――それが分かっているから。
 彼女は未だエリオに届ける言葉を見つけられない。
 ―――そんなものがあるのかどうか定かではないが。
「・・・・これ、渡しとくわ。」
 沈黙を破るようにして、ティアナが呟いた。手に持っていた鞄からピンク色の蓋のタッパーを取り出す。中に入っているのはサンドイッチ。恐らくティアナが作ったのだろう。この時間になれば既に食堂は閉じている。
「あんた、最近まともに食べてないでしょ?」
「・・・悪い。」
 呟いて、申し訳なさそうにシンの体の右側から手渡されるそのタッパーを左手で掴んだ。その様子にどこか違和感を覚えながらも――ティアナはそれを振り切って口を開いた。
「・・・・正直、エリオのことは私には何も言えない。それはあんたの問題だし、実際エリオと戦えるのはあんただけだと思う。」
 タッパーを掴んでいた手を離す。シンの左手がタッパーを掴み、ベンチの上に置いた。
「けど、誰もあんたを責めてなんていない。あれはあんたのせいじゃないんだから・・・少なくとも私はそう思ってる。」
 ティアナは俯き、シンと瞳を合わせない。見ていられないからだ。痛々しさしかない今のシン・アスカは。
「・・・悪いな。気を使わせて。」
 ティアナの言葉にシンは力無く苦笑する。人生に疲れた老人のような嗤いだった。けれど、俯いていたティアナはそんな嗤いを目にすることもなく。
「・・・・行こっか、キャロ。シン、あんまり・・・・無理するんじゃないわよ?」
「―――そうだな。」
 僅かな沈黙の後の返答。ティアナはその呟きに少しだけ安堵し、この場から去るしかない自分に嫌悪を感じて、逃げるようにして歩き出す。
 キャロはその後をただ付いていき、そして、振り返った。
「シンさん。」
「なんだ?」
「・・・私じゃエリオ君に、殺されますか?」
 意を決した―――否、ある種の覚悟を宿らせた瞳。キャロ・ル・ルシエがシン・アスカに向けて口を開く。
 二人の間に走る緊張感。
「ああ。間違いなく殺される。キャロじゃ絶対に勝てない。」
「・・・・そうです、か。」
 キャロはそう言って、シンに背を向けた。そうして興味を失ったようにシンもまた彼女から眼を外す。
 時折、シンの方を振り返るも、言葉を放つことはない。彼女もまた違和感を感じている――だが、今の彼女にソレを考える余裕などあるはずもなく、彼女はただティアナの後をついていく。丸まった背中が、か弱さを強調する。その後ろ姿はあまりにも弱々しい
 シンはしばしそんな二人を見つめ―――その姿が見えなくなってから、タッパーから“左手”でサンド
イッチを取り出した。
「・・・・。」
 サンドイッチを物憂げに見つめる。そして、一瞬瞳を閉じると“意を決する”ようにして、口の中に放
り込んだ。
 ハムとパンが咀嚼されていく。本来ならパンに塗られたマヨネーズとハムの塩気が丁度いい塩加減を演出するのだが―――今のシン・アスカはそうではなかった。
「・・・・・やっぱ、きついな。」
 口の中に入り込んだサンドイッチが食物ではなく異物―――例えるなら紙やゴムにしか思えない。口から脳に伝わる信号は、“感触”だけ。口内の粘膜に伝わる触覚と歯がサンドイッチを噛み切る歯応えだけ。
「・・・・」
 無言でそれを咀嚼し無理矢理飲み込む。タッパーの中のサンドイッチを無造作に掴むと再び口の中に放り込む。
「・・・・う、ぷ。」
 呻きと共に吐き気が走り抜ける。口内にある物質は食物ではないと脳が誤動作し、身体が勝手に異物を吐き出させようと胃と食道をぜん動させた結果だろう――先ほど買っておいたスポーツドリンクで無理矢理に流し込む。胸の中心に冷たさを感じる。食道を通り抜けるスポーツドリンクの冷気だ。少しだけ吐き気が沈静化する。
 ふう、と溜め息を吐き、再びサンドイッチを口に含む。よく咀嚼してはスポーツドリンクで流し込む。作業のような食事。味がしない食物を食べることはそれだけで肉体に負荷を与えるのだ。
 ―――シンの肉体には今二つの異常が起きている。吐き気の理由。そして先ほどから左手を多用する理由。
 一つ目は味覚が潰れたこと。
 シンが今感じ取れる味覚は無い。凡そ全ての味覚が失われ、それに伴って、舌触り、温度などの口内の触覚が感じ取れる刺激すらもそれまでとは違う類に成り果てている。何を食べようとも紙やゴムでも食しているかのようにしか感じ取れない。無理に食べれば、先ほどのように吐き気を催すことも多々ある。ティアナが言ったようにシンはまともに食べていない。だが、それは食べていないのではなく“食べられない”のだ。
 二つ目は―――こちらはまだ深刻な領域ではないが――右手が“まともに”動かないこと。
 身体の右側から手渡されたものを掴むなら普通は右手で掴むのが道理だ。自然、人間の感覚とは距離が近い方を優先する。だと言うのに左手を多用し、右手は殆ど動かさないようにしている。右手をまともに動かせないのだから当然といえば当然だろう。正確にはまともに動かせないと言うよりも、動作が異常に鈍くなっている、というのが正しい。本を掴もうとすれば、掴むことなくその少し前の場所を掴んでいる。フォークを持とうとすれば手が震えて掴めない。それに伴い握力も以前よりも減っている。
 それらはエヴィデンスを使った後遺症なのか、それともこの身を覆う全能感の副作用なのか、それは分からない。けれど、“力”を手にした時を境に異常をきたしたのは間違いがない。強大な力の代償なのだろう。夢の中で、あの女―――リインフォースもそう言っていた。
 だが、
「・・・・デスティニー。」
 懐からデバイスを取り出し、呟く。デスティニー。フェイスバッジと同じ形をしたアームドデバイス――
今ではインテリジェントデバイスとも言える――を起動する。
 手の震えが止まった。握力が戻る。
 同時に全身に漂っていた倦怠感――恐らくオーバーワークによるもの――も消える。
 肉体が覚醒する。正常に動き出す。
「どうなるんだろうな、この身体は。」
 淡々と他人事のように呟く。
 デバイスを起動した時、身体の機能は十全となる――なのに味覚は戻らない。
 戻るのは戦闘において必要となる機能だけ。手の異常は戦闘において致命的とも言える問題を引き起こすから、戻されたのだろう。
 人間として生きる為の命から、戦う為だけの命として変革されていっているのだ。
 デスティニーは何も言わない。こちらから聞かない限り何を言う気は無いのかもしれない―――もしかしたら言う必要が無いと考えているのかもしれない。
 仮にそうだとするなら、それは全く以って正しい判断だと言える。シン・アスカはそんな終わりをこそ望んでいる。主の願いを叶えることがデバイスの本分だとするなら、それ以上に正しい判断などありはしない。
「壊すわよ、か。」
 ティアナの言葉を思い出し、苦笑する。壊すわよ、ではなく、既に壊れ始めているのだ―――夢の中で女が言ったように、終わりは、近い。死んで終わるのか。それとも壊れて終わるのか。それは分からないけれど。
「・・・・・精々派手に散ってやるさ。」
 喜びに笑いながら、シン・アスカは呟いた。

 夜の食堂。夜空には月がある。
 そのテーブルに突っ伏すようにして座る一人の女―――スバル・ナカジマ。
「・・・・・シン君。」
 呟きは行き場の無い感情――ギンガを殺された憎悪の在り処を指し示す。
 シン・アスカ。機動六課における自身の同僚であり、そして―――既に死んだ姉の思い人。
「ギン姉・・・・」
 もう、どこにもいない姉の名を呟く。
 食堂の窓から空を見る。覗く月は少しだけ欠けていて、どうしてか胸に悲しみが込み上げて来る。
 幼い頃から一緒だった。母のいない自分にとって姉は、母でもあり姉でもあり、大切な家族だった。堅物だった姉。自分を心配していた姉。
 以前、ギンガが洗脳され、敵となった時よりもはるかに強く―――悲しみがあった。あの時はこの手で取り戻すと言う意思を持てた。
 けれど、もう姉はいない。どこにもいない。取り戻そうにも、存在しない。
「・・・・・」
 嗚咽するでもなく静かに涙が毀れる。枯れることの無い悲哀の雫。テーブルに出来る水溜り。
 このまま、この涙で溺れてしまえばいいのに―――そう、思った時、がちゃり、と扉が開く音がした。
「全く・・・こんな夜中に食堂にいるなんてね。おばさんに怒られるわよ?」
 女性の声。それが誰なのかなど振り向かずとも分かる。
「・・・・ティア。」
 彼女の、相棒の名前を呟く。
「・・・・どうしたの?」
 テーブルに投げ出した身体は戻さない。戻しようもない。力が入らない。
「別に。あんたがどうしてるのかと思ってね。」
「・・・・そう。」
 他人の心に敏感な相棒の心配りなのだろう。彼女はリーダーだ。それとなく周囲を見回っては心のケアくらいはやってのける―――そんな配慮も今は鬱陶しいとさえ思う。
 恐らく、気付かれているのだろう。自分が此処最近まともに寝ていないことを。
 眠ろうとしても思い浮かぶのは姉との思い出ばかり。そして、いつもいつも心にあるのはシン・アスカのことばかり。
 彼とどう接すればいいのか、分からない。
 先ほど呟いた憎悪の在り処―――シン・アスカ。彼はギンガ達を殺したのは自分だとゲンヤに伝えたらしい。
 別に、本当に殺した訳ではない。守れなかった自分の責任と言いたいのだと、ゲンヤはそう言っていた。
 その言葉が無ければスバルはシンを糾弾していただろう、と思う。
 確かに見方を変えれば殺したのは彼だ。シン・アスカが守っていればギンガは死ななかった。同じくフェイトも。
 守れていれば死ななかった。そういう意味で言えば殺したのはシンだろう―――けれど、その考えは間違いだ。
 守れなかった=殺したと繋げることは逆恨みでしかない。そんな想いに身を任せるのは行き場の無い感情を鬱屈させた挙句に壊れた、己が憎悪で身を焼く狂人だけだ。
 それが正解だ。正しい解答である。
 だが、だからと言って、その想いが全て間違っていないことも今なら理解できる。出来るなら、いっそシンを憎んで、この感情をぶつけたい。そんな想いがスバルの中には存在していたから。
 人の心とは憎悪を常に持ち続けられるほどに強くない。憎悪を維持し続けると言うのはそれだけで精神をすり減らす。だから、人は容易く与えられた“憎悪の在り処”に憎悪をぶつける。
 それが何の意味も無い憎悪の発散に過ぎないとしても、憎悪を抱え続けることに耐えられないからだ。
 二律背反。同じ心で背を向けあう二つの想い。
 奪われたことを憎めばいいのか、奪われた彼を憐れめばいいのか。
 恐らく、そのどちらを選んだところで何かが変わる訳では無いだろう。
 どちらに傾いたところでココロに残るのは後悔だけだ。それ以外は何も無い。
 室内には静寂が満ちてい。言葉を発することもはばかられるような雰囲気―――その中で言葉を
放つティアナ。沈黙が乱れる。
「シンにさっきのサンドイッチ渡したわ。」
 口調は少しだけ楽しげだった。悪戯を仕掛けた子供のように。
「さっきの・・・ああ、そういえばティア作ってたね。」
 物憂げに呟く。答えることが既に億劫だ。
 対するティアナはスバルの物憂げな態度など気にしないのか、構わず楽しげに話し続ける。
「実はね、あの中に一つだけ当たり入れといたの。」
「当たり?」
「そ。ハバネロソース入りの特製サンドイッチをね。」
「・・・・へ?」
 ティアナ・ランスターの唇がニヤリと歪む。
 ハバネロ―――唐辛子の一種である。市販されているタバスコに比してハバネロの辛さはおよそ140倍。
辛さの単位スコヴィル値で言えばハバネロが300000スコヴィルに対してタバスコは2140スコヴィルである。
 そんなもの食べた瞬間に吐き出すような代物だ。
「な、何で、そんなこと?」
 呆気にとられるスバル。何故ティアナがそんなことをしたのか、理解出来ないのだ。
「悪戯よ。これでアイツも少しは眼が覚めないかってね。・・・・まあ、意味があるかって言われるとどうかは分からないけど。」
 ぶっきらぼうな物言い――彼女なりにシンを心配したと言うことなのだろう。悪戯で少しだけでもシンの心が正常に戻るように―――その表現方法は彼女らしく全く以って素直じゃない。意地っ張りなのだ、彼女は。そう思うと、つい頬が綻ぶのを止められなかった。
「・・・・ティアって結構馬鹿だよね。」
「う・・・確かにちょっとソース入れすぎたかも・・・・ま、まあ、一応、辛味消しに牛乳とヨーグルトは準備してあるから大丈夫よ。」
 辛味消しとかそういう問題ではないだろうが―――と、考えた矢先、食堂の前をシンが通っていった。
 “何事”も無かったかのようにいつも通りに。
 スバルの瞳の色が変化する。濁る―――憎悪と悲哀が交じり合って。
 その変化に気付いたティアナは後ろを振り向き、そして彼女もまた気付く。
「・・・・シン?」
 ティアナの呟き。それに気付いたのか、シンが彼女達の方へ振り向いた。
「ティアナとスバルか。」
「どうしたのよ?」
「これ、返そうと思ってさ。」
 そう言ってタッパーを持った左手を掲げる。
「あ、それ食べたんだ?」
 口元を歪ませ、嫌らしい笑みを浮かべるティアナ。空になったタッパーを見る限り、どうやら彼女の
“悪戯”は成功したらしい―――だが、シンの表情はそんな彼女の思惑とは違い、あまりにも普通だった。そう、いつも通りだった。
「ああ。美味かったよ。ありがとうな。」
 ―――美味かった。
 ティアナの顔が強張る―――言葉は残酷だ。あまりにも簡単に人の内腑を抉り抜く。
 スバルの顔が強張る―――悲哀が重なる。言葉の意味を理解などしたくない。
 二人の強張った顔――シンが怪訝に二人を見つめる。
「・・・どうかしたのか?」
「あんた・・・・それ全部、食べたの?」
 その言葉は殆ど反射的に放たれた。考えるよりも前に放たれた言葉。
 その言葉に頷くシン。
「ああ。そのタッパー見れば分かるだろ。全部食べたし、一応洗っといた。」
 そう言ってタッパーを見せつけるシン。二人の顔の強張りはそれでも取れない――むしろ強くなる。その表情の強張りが気にはなったが、別に気にすることでもないだろう―――そう、思い、タッパーをティアナの前のテーブルに置いた。
「じゃあ、俺、行くよ。」
 そう言って、歩き出すシン―――ティアナとスバルはその背中に声を掛けることが出来ない。
 食べることの出来ない代物を食べて、平然としている。
 “美味かった”
 在り得ない、言うはずの無い言葉。
 喉が渇き、心臓が早鐘を打ち、ココロの奥底がざわめき立てる。
 事の真偽を正すことも出来ず、ティアナとスバルはただ呆然とシンを見つめていた。自分達が何か開けてはならないものの中身を覗いたようなそんな錯覚を覚える。
 二人は静かにその場で彼を見つめ続けた。声を発することも出来ずに呆然と。

 壊れていく日常。それは始まりに過ぎない。当たり前にそこにあったものが次々と壊れていく。
 ―――八神はやてが機動六課部隊長を解任され更迭される知らせが届いたのは翌日だった。

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